[和泉元彌][片岡愛之助][楳茂都流] 前に,「宗家」の意味というエントリを書いたことがある。能楽というのが元々お稽古料を当にしている芸能であること,お稽古事では宗家なり家元というのが免状を与えたり教本に名前を載せたりするから重要になってくること,でもどんなお稽古事でも宗家や家元が完全に好き勝手することも出来ないことなどを書いた。ちなみにそのエントリのオチは,「江戸ー明治期に和泉流の家元であった山脇元賢の息子和泉元清は,能楽の動乱期にあって家元としての権威を誇示し,流儀を統率しようとした。その結果,かえって反発を買い,晩年には孤立化し,後を継いだ息子も不遇なうちに三十歳でなくなってしまう。そして和泉流はいったん家元不在になってしまったのである。」というものだった(笑) ちなみに,和泉元彌の父親である元秀が山脇家の養子に入る前にもいったん和泉は家元不在となっている。
また,何度も書いているが,宗家なり継承者なりは完全に「血」によって決定されているわけではない。確かに「完全実力主義」ではないのだが,伝統芸能なり茶道や華道といったお稽古事には「養子縁組」という裏技がある。血がつながっている子供がダメそうだったら,有望そうな弟子を養子(婿も含む)にしてしまうのだ。たとえ「血」で決定しても,有力な弟子達の支えがなくては宗家や家元として機能出来ない。
つまり,現在の和泉宗家による「和泉宗家が600年続いている」とか「弟子は宗家に意見をすることは許されない」とか「宗家は生まれながらにして決まっている」といった妥当でないところがある。しかし,完全に間違っているわけでもない。完全に間違っているわけではないから,彼らの「宗家ごっこ」を信じてしまう人もいるのかもしれない。
最近,宗家とか家元に関する面白い事例があった。上方舞「楳茂都(うめもと)流」の家元後継者に歌舞伎俳優の片岡愛之助が選ばれたというニュースだ。片岡愛之助は,元々は歌舞伎の家の出身者ではないが,十三代目片岡仁左衛門の部屋子となり,更には十三代目の次男である秀太郎の養子となった。つまり,才能があって華もあると見込まれたんだろう。現に人気俳優の一人であるし,次の仁の字を継ぐのはおそらくこの人になるだろう。佃医師は女形だし,もう一人は(略)
面白いことに,愛之助は楳茂都流の門下だったわけではない。殆ど接点がなかったらしい。アサヒコムの記事には次のように書いてある。
片岡愛之助さん、上方舞の楳茂都流家元に 「扇性」襲名
大阪出身の人気歌舞伎役者、片岡愛之助さん(35)が、上方舞「楳茂都(うめもと)流」で三代目「扇性(せんしょう)」を襲名し、四代目家元になることが内定した。10日の同流総会で決定し、来年中に披露公演を開いて正式に就任する予定。
楳茂都流は井上流、山村流、吉村流とともに上方舞四流と呼ばれ、江戸末期に初代扇性が大阪で創設。三代目家元だった陸平さんが85年に亡くなった後は家元の不在が続き、理事として運営に当たる高弟の高齢化も進んでいた。
「芸、容姿、人柄。三拍子そろい、家元に最適な方と思い襲名を打診した。新風を吹き込んでほしい」と同流理事の楳茂都梅咲さん。愛之助さんは9月に大阪で開く先代家元の追善会に出演するという。
更には愛之助オフィシャルページのお知らせには次のように書いてある。
このたびご縁がございまして、愛之助が楳茂都流四代目家元の後継者とのありがたいお話を賜りましたことをここにご報告申し上げます。楳茂都流は、上方舞のなかでも歴史が古く、歌舞伎舞踊にも多大なる影響を与えた流派です。先代お家元が亡くなられてからは、楳茂都流舞踊協会というかたちで長い間運営してこられましたが、今回その由緒ある楳茂都流家元後継者のお話を頂戴し、松竹関係者、松嶋屋一門、そして秀太郎のご了解をいただきまして、家元にふさわしい舞踊家となるべく楳茂都流を学ばせていただくことなりました。
去る8月6日大阪市内におきまして、9月22日に行われます先代お家元の追善会の発表とあわせまして、後継者発表の会見が行われました。その会見の中で愛之助は、「自分がこの席にいることが嬉しいという思いとともに、とても不思議な気持ちでおります。楳茂都流にはそれほどご縁があったわけではない自分にお声をかけていただき、光栄です、歌舞伎役者としてこれからも精進してまいりますが、それに舞という分野でも、頑張ってまいりますので、何卒よろしくお願い申し上げます。」とご挨拶し、「今の自分はまだまだ学ぶところがたくさんあり、松嶋屋の芸、色を大事にしたいと思っています、また、今後は楳茂都流の舞踊も数多く自分のものにしたいと思いますし、できましたら本興行の中で、復活してご覧いただく機会が持てれば」と抱負を語りました。
襲名の具体的な時期は未定ですが、まずは舞踊家として第一歩を踏み出しますので、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
つまり,楳茂都流は先代家元が亡くなって以来家元が空白になってしまい,高齢の理事達が運営してきたけどこのままじゃジリ貧だ,若いお弟子もたくさん入れなきゃマズイでしかし,そのためにどないしたらええかなあ,そういえば上方歌舞伎で若くて人気のあるええ役者がおるで,将来は偉くなるかもしれん,おおそれはええな,という感じで(関西弁適当),愛之助にお鉢が回ってきたみたいなのだ。歌舞伎役者が家元を兼ねている例はいくつもある(最も大きくてメジャーなのが坂東流)。関西では竹三郎がそうだ。歌舞伎役者はみんな日舞は習ってるから都合がいい。
上方舞について殆どよく知らないのだが,楳茂都流は伝統がありそうな「ちゃんとした」流派のようだ。そうでなかったら,流石に松竹や松嶋屋関係者が賛成しないだろうが。そんな「伝統ある」流派が今まで全く流派と関係なかった人を思い切って宗家として持ってきたのはすごいことだと思う。それは伝統の破壊ではないのか?
いや,もともと家元とはそういうものなんだと思う。愛之助が家元になっても多分流派の運営の仕方は大きく変わることはない。理事達が合議で重要事項を決めるのは今までと同じで,ただそこに若い家元が加わるだけである。「家元に意見をするのは許されない」ということもない。それ無理だし。
ただ,お免状に家元の名前が入るとか,発表会で家元がやってくるとかそういうところが大きく変わる。らぶりんの名前入り(舞踊名だけど)のお免状が貰えたり,発表会でらぶりんと共演できるかも,とかそういう夢がひろがりんぐなわけですよ,素人弟子にとっては。これから名前入り免状が欲しくて舞踊始めちゃう人も出てくるかもしれない。実は私もちょっと「どこで習えるんだろう」と考えた(笑) そういう「お弟子獲得」のメリットを考えて,楳茂都流の協会が彼を選んだんじゃないだろうか。あと,歌舞伎の舞台の中でも取り上げてもらえるだろうから,流派の宣伝にもなる。愛之助にとっても,家元という肩書きはあって困るものじゃない。両者ともにメリットがある。
要するに家元というのは「お稽古事の看板となる」存在なのだ。だから,看板として相応しくない宗家や家元はまずいのである。でも,それは単に芸の問題ではない。素人弟子からみたら「芸の質」までは分からないから。どちらかというと「ワイドショーにやたらと取り上げられる」とか「やたらと内輪もめしている」といった要素の方が看板の質に影響するようにみえる。ということで,「伝統芸能の裏技」の象徴としてらぶりんを取り上げてみた。
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