2009.07.12
故のエントリの続きです。5か月空いてしまいました。すみません。特にエヌエルさん……。
念のために言っておくと,私自身は狂言を職業としているものでも狂言を研究しているものでもありません。単なる愛好家です。だから,狂言の歴史や台本の変遷といったことについては狂言の研究者の方が詳しいです。私自身が答えられるのは,一般人が手に入るような書物で調べられるようなことや舞台で観られるようなこと,あるいは「習い事としての狂言」についてです。ですので,この間の「無布施経」問題は,あれ以上はわからないです。中世文学の研究者の方に聞いた方が確実でしょう。国立能楽堂資料室に行くと,過去の公演の録画がありますので,「現在どういう台本で上演されているか」はそれで分かるのではないでしょうか(あ,夏休みになったら調べてみてもいいです。それでも完全には分からないと思いますが)。
ただ,このブログには,能楽を本職とされている方から私よりも詳しい愛好者の方まで集まってますので,舞台のことについてなど気軽に質問をいただけたら嬉しいです。
さて,能楽の運足についてですが,小冠者さんよりR25で取り上げられてましたよ!という情報がありました(いつもながら多謝!)。能の所作でインナーマッスルが鍛えられるので,持久力がつき,痩せやすい体になるそうです。おそらく狂言も同じ効果があるはずです。
ヨガやピラティスが流行ってますが,両方ともインナーマッスルを鍛える作用があります。ハードな動きはありませんが,意外と腹と腰周辺の筋肉が疲れます。
狂言のすり足もそうです。動き自体はスローですが,腹筋・背筋あたりが結構鍛えられます。まあ,狂言方は基本的に年を取っても元気な人が多いじゃないですか(お年寄りの方が若い人よりも元気な家もあるくらい……)。きっと狂言の動きや発声は体に良いのでしょう。皆さんも健康維持のために,自宅ですり足はいかがでしょうか。
まず,上半身の構えです。エヌエルさんの分かりやすい解説です。
少しだけ上体を前傾させます。ごく軽い会釈くらい。その上体から胸を張って上体を起こします。慣れないうちは腰が痛くなるでしょうが、それが正しい構えです。
注意点はとにかく猫背にならないことです。
手はズボンのポケットあたりにつけます。中指が縫い目よりやや前の辺りになり、手のひらが太ももにぴったりくっつける感じです。袴だと横の割れ目より前になります。
ひじは軽く張ります。手をくっつけたまま、ひじを横に張りかつ前に出すようにすると、自然にひじは横に張るようになります。
上体の前傾の角度は役によって異なります。大名だと威風堂々とした趣が必要ですので深く前傾しませんし、若い女の場合も立ち姿をきれいに見せる為にあまり前傾しません(お茶の水など)
なぜ前傾するのか?ということですが、私も理由は良く分かりません。ですが、前傾して頭を前にもっていくと上体の前後方向の揺れが少なくなくなるようです。
前傾していないと、なだぎさんの「ややこしや~」のように上体が前後してしまいます。
少しだけ前傾がコツです。ただ,この構えは最初は本当に痛いというか少々辛いです。でも辛くなって力を抜くとすぐにグラグラします。大名や女性は「応用系」なので,基本の「冠者」になったつもりでやってみましょう。後は顎が上がったり,逆に引きすぎないように。鏡の前でやってみましょう。
ちなみに,私もなだぎさん好きです(笑)
さて,この体勢のまま,ゆっくりと足を動かします。
ひざを軽く曲げ、力を抜きます。ただし腰が落ちない程度に軽く、です。
運足は、太ももを持ち上げて動くのではなく、主にひざから下を使って水平移動するイメージになります。そのため、ひざをフリーにする為に少し曲げる必要があるのです。
1.まず左足を前に出します。足の裏全体が接地しているように動かしてください。
このとき重心は右足に残っています。
2.一足から一足半くらい歩幅を進めたら、かかとでブレーキを掛けます。
そうすると腱反射でつま先が少し浮きます。それでOKです。
3.左足が停止したら、つま先をおろし、右足の荷重を進めた左足に移し変えます。このときに、右足のかかとが高く持ち上がらないように、出来るだけ床に近づけてください。言い換えれば、後ろから見たときに足の裏が良く見えるようなら、正しい運びになっていないということです。
4.左足に重心が移動し、フリーになった右足を前へ運びます。左右が逆転しますが1と同じです。
5.右足を2と同じ動きをします。
6.左右が逆転しますが3と同じ動きをします。
とにかく最初はゆっくりと動くのがいいそうです。片足を運ぶだけで7,8秒かけるつもりでやってみましょう。ここで気をつけるのは,「つま先がそり上がらないようにする」,「足の裏が見えすぎないようにする」ことです。結構「ゆっくり歩く」というのも難しいですが,そうしないときれいに歩くことはできません。
あと,歩幅は大きくしないように気をつけた方がいいでしょう。一足くらいが私にはやりやすいです(女性だからかもしれませんが)。歩幅が大きいと,上体が崩れやすいからです。やっぱり「冠者」になったつもりがいいでしょう。
何事もそうですが,1日10分でも毎日続けることが大事とのことです。そうなんですよね……(と昔を思い返し反省する)。
「役柄による運足の違い」については,また次回(できるだけ早く書きます)。
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2009.06.20
書店,ネット,テレビ番組,あらゆるところで多くの料理レシピが公開されている。不況のせいで自炊ブーム,弁当ブームだからかもしれないし,「食の不安」問題が解決されていないからかもしれない。かく言う我が家も平日は弁当作ってるけど。ダイエットのためですね。ちなみに,弁当作りの最大のコツは「冷凍庫が大きい冷蔵庫にしておくこと」である。素材となる冷凍肉,冷凍魚,作った常備菜の保存が出来ないとつらい。
しかし,「使える」レシピとなると意外と限られているのではないだろうか。ということで,勝手に格付けしてみた。
・ベターホームの本
本当に家庭料理を作ったことがない人に一番お勧め。でも,料理慣れしている人にも役に立つ。普通のレシピだと曖昧にしか書いてないところもちゃんと図解入りで説明している。世界でいちばんやさしい料理教室に到っては,「正しい卵の割り方」まで説明している。この通り作れば絶対に失敗しない。これでダメだったら,料理教室に行った方が良い。
・城戸崎愛先生のレシピ
個人的に,結婚当初最も役に立ったのが「きょうの料理」などでおなじみの城戸崎先生のレシピ。80歳超えてもお元気そうです。典型的な昭和のちょっとハイソな家庭料理で,昭和の家庭料理で育った人間には「馴染む」味なのです。すっごい凝った味ではないんだけど,家庭料理なんだから,毎日食べても飽きないものがいいんだよ。作り方もそんなに難しくないし。
・鈴木登紀子先生のレシピ
お年寄りばっかりだな……。登紀子ばぁばの和食は美味しい。でも,ちと初心者にはハードル高めか。あと,出汁をきかせたあっさりした味付けなので,そういうのを物足りないと思う人には向かない。
・ケンタロウのレシピ
レシピが1人分の材料で表記されたものが多いのがいいところ。若い一人暮らし,二人暮らし向け。もりもり食べたい男子か,もりもり食べたい男子を食べさせなければならない女子には,参考になる料理が多い。
・最終兵器・枝元なほみ(笑)
「きょうの料理」でお馴染,かなりのキャラのなほみ(笑) オンナだだもれななほみだが,料理は少しエスニック調で,野菜中心で,作りやすい。体に良さそう。
なぜか年末の「変わりおせち」になると毎回登場するが,なほみはきっと伝統的おせちが嫌いなんだろう。そういう人にもなほみのおせちはいいかも。
・栗原はるみのレシピ
一般的にもっとも有名な料理研究家は,はるみだろう。はるみは「誰が作っても美味しいレシピ」を目指しているらしい。
確かに美味しいのかもしれないが,味が濃い。というか,醤油と味噌の味が強くてしょっぱい。一応私は関東出身で,両親ともに北関東出身という,「しょっぱい味」耐性が高い人間のはずだが,はるみの味付けは明らかに濃すぎ(アマゾンレビューでも「関西の人間には合わない」とか書いてあったが,関西人だけじゃないのよ)。はるみの血圧が心配になるくらいである。家では別のものを食べてるんだろうけど。「誰が作っても美味しい」は,「調味料が濃い」てことです。多分。味が濃いのが好きな人向け。↑今までの文章読めば分かるかもしれませんが,私はあっさりした食べ物の方が好きです。
てことで,続きはまたいつか。
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2009.06.16
毎度ながら,日刊スポーツの見出しは見事だ。橋本真也が死んだ時もそうだったが,私の心の中を的確に言い当てている。
プロレスの試合で三沢が死ぬなんて。三沢がバックドロップを食らって起き上がってこないなんて。
13日の夜,ネットのニュースで「三沢心肺停止」というのを見た時は信じられない思いでいっぱいだったし,その後「死亡」が報道されたが,悪い冗談を見る思いがした。あんなに技を食らっても,必ずきれいに返してきた三沢がリングで死ぬなんて。
子供の頃からプロレスを見るのが好きで,三沢は特に好きな選手の一人だった。2代目タイガーマスク時代よりも,マスクを脱いで「三沢光晴」となり,超世代軍の騎手として台頭していく三沢の方が印象が強い。彼はジュニアのスピードと技の華麗さを保ちながら,鶴田やハンセンといったヘビーの選手と闘う事で,ヘビー級のパワーを徐々につけていった。本当に天才的な選手だった。ドロップキックやジャンピングキックの美しさはなかった。
そして,四天王時代。全日本は四天王時代が一番好きなのよ。あの激しくて濃いプロレスが。その中で一際輝いていたのが三沢だ。
ノアでもあの激しい技の応酬のプロレスは続いていた。お互いに技を繰り出し,受けては返す。そんな激戦が彼の体を激しく傷めていたのではないか。
そして,ノアを設立した直後にラジオ番組に三沢が出演したのだが,その時に三沢は「社長としての業務が多く,自分のトレーニングをするのは夜中になってしまう。毎日3時間くらいしか寝ていない」と語っていた。単にノア設立当初だったから忙しかった,というわけではないだろう。おそらく,今までずっと社長と選手の兼業で休むヒマなどなかったのではないだろうか。年齢的にタイトル戦のような激しい試合は徐々に降りるとか,運営業務を誰かに任せるという選択肢もあったかもしれないが,「三沢だから」ついてきた多くの選手やファンを裏切れなかったのだろうか。体調がずっと良くなかったという話もあるが,看板選手で社長となると休む事もできなかったのだろうか。
三沢について印象に残っている事いくつか。1つ目は,全日本時代に「全日本プロレス入団テスト」の様子が日テレで放映されたことがあった。そのテストにおける試験官が三沢だった。集まってきた受験者は,当然ながら体力に自信がある者ばかり。しかし,試験の中で受験者はプロレスの厳しさを思い知る。
最後の課題は「無制限スクワット」。合図に合わせてスクワットするのだが,徐々に脱落していく。1時間くらいで最後の受験者が終了。この後三沢はこう言った。
「これは,体力というよりプロでやっていく根性をみる試験です。プロは毎日このくらいのスクワットをやってます。」
レスラーは超人的に体を鍛え抜いて,あれだけのことができるのだ。プロレスの凄さを改めて知る。
2つ目。これも全日本時代だが,なぜか「三沢とチャット」という企画があり,日時を指定してファンと三沢がチャットをしたことがある。ソープへ行け級下ネタ連発。テレビでもそういう人だったが(笑)
試合中の厳しいイメージとは全く違い,バラエティ番組やアニソンや下ネタが好きなおっさんだった。三沢の真似を持ちネタにしているイジリー岡田にガウンとコスチュームをプレゼントするような粋な人間でもあった。ちなみにイジリーの三沢の真似は,細かいところが良く似ている。リングインしてロープにもたれるところとか,右ひじをあげるところとか。
3つ目。先に書いたラジオ番組で,パーソナリティの辻よしなりに「好きな曲を一曲」と言われ,松浦亜弥の「LOVE涙色」を挙げていた。曲の後あややに対する思いを語っていた(笑) 意外とアイドル好きだった。
なんだかしょうもないことばかり覚えているが,試合のことはもちろん覚えている。やっぱり鶴田に立ち向かっていた姿,川田との毎度の激戦が一番印象に強い。
私が心配だったのが最後の試合の対戦相手の彰俊だが,翌日の試合は行なったらしい。引退も考えたらしいが,プロレスを続ける事を決意したようだ。やっぱりそれが三沢の望みだろう。
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2009.06.13
先日,3月末に亡くなった友人のお別れ会が行なわれた。その友人についてはこのエントリでも書いた。彼女は異国で亡くなったが,ご家族,彼女の現地の知人友人が彼女を看取り,彼女が愛したその国でお葬式を行なった。今回は,日本にご家族が帰ってくるのに合わせ,日本の彼女の友人,知人が集まった。
彼女が病に倒れたという知らせを受けて以来,私達の周りにはさまざまな人からのメールが飛び交っていた。その過程で,彼女を中心にした人のネットワークが可視化されていった。残念ながらその中心にいるべき人物はもうこの世にいないのだけど,そのネットワークがある限りは,彼女はある意味「生き続ける」ことができるのだ。
彼女は私のマイミクでもあったが,彼女が倒れてから彼女が入っていた多くのコミュニティを改めて眺め,「彼女はこんなものが好きだったのか」と初めて知ったことも多々あった。結構長いつき合いだったけど,彼女について知らないことはたくさんあった。彼女と話したことのないこともたくさんあった。
彼女が入っていたコミュニティの一つに「コーネリアス」があった。私が高校時代にフリッパーズギターが好きだったのは知っていたはずなのに,小山田の話を彼女が私にすることは結局なかった。言ってくれよう。でも,パーフリのようなネオアコは彼女は好きじゃなくって,しかも私はオザケン派に見えていただろうから,あえてそんなことを言わなかったのか。本当はそんなことなかったのに。いや,彼女が元気なうちに私が気が付くべきだった。いつも甘えていた,本当にごめんなさい。
お別れ会では,彼女に関わったさまざまな人達がたくさんの思い出話をした。それらの話を聞いてわかったのは,彼女はずっと基本的には変わらなかったこと,誰に対しても公平だったことだ。少しのんびりしているように見えながら,何事にも(仕事でも私生活でも)かなり粘り強く,全力で臨んでいた。
そして,彼女は「ずっと幸せだった」。もちろん,彼女がやり遂げたかっただろう仕事はいくつもある。心残りになってしまった仕事もある。日本でも作品を作りたかっただろう(私もそれを見たかった)。何よりも彼女が愛した旦那さんと,彼女が産んだお子さんがいる。ご家族のことが一番心残りだったろう。
それでも,彼女は34年10か月の中で,できる限りのことはやった。仕事でもプライベートでも精いっぱい楽しく一生懸命だった。そして,幸せだった。彼女の生前の写真を見たらよく分かる。彼女はいつもにこにこしていた。
彼女が私達に遺したものはたくさんある。彼女の遺した宿題は難しすぎて,私が生きている間に解ける自信は全くないが,次に会う時には答えを彼女に言おうと思う。
彼女が好きだった小山田圭吾は,「THE SUN IS MY ENEMY.」と歌っていた。太陽は僕の敵だ,と。しかし,彼女がこの世から旅立った日は,前日までの陰鬱な空模様とはうって変わって春の日差しが現地を照らしていた。そしてお別れ会の日も,前日まで降っていた雨が止んで,初夏の晴天だった。
地球上の生物は,太陽の光の元で生まれ,育ち,死んでいく。私達もそうだ。これからは太陽の光に彼女の存在を感じながら生きていくのだろう。もはや太陽は私の敵ではない。
ちなみに,彼女の名前は「陽子」という。
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2009.06.06
自分探しを商売にし始めて幾星霜の中田英寿氏だが、この人は現代の水戸黄門である。別に水戸黄門は自分探しのために旅をしていたわけではなく、そもそも本物の水戸光圀は日本諸国を巡り歩いていないが、テレビの水戸黄門と非常にかぶるところがある。
まず、この人は「隠居」の身分である。30代にして隠居なのだ。これから先、サッカーとは全く違う分野に専念しない限り、ずっと隠居だろう。隠居するくらいの金はある。今まで稼いだお金もあるし、今のところはスポンサーもいる。
更に、たくさんの「お供」もいる。ヒデが海外でどんな暮らしをしているのか良く知らないが(←知らないのかよ)、身の回りのことをしてくれるお供がたくさんいそうである。危険な目に遭う心配もなさそうだ。
テレビの水戸黄門は、自分がその土地の全くの部外者であるのにもかかわらず、自分の地位を振りかざしてその土地の代官を懲らしめ、後始末は現地の人達に任せるような人物である。考えようによっては、迷惑なジジイである。庶民はそういうおせっかいな存在を希望していたのかもしれないけど。タックスヘブンの国・モナコより「日本は最貧国を救うべきだ!」と叫ぶヒデ先生にもそういうところがある。
そんな中田英寿氏が、最近、雑誌「ゲーテ」5月号にこんな論考を寄せたらしい。
「経済復興の切り札は地方や農業の活性化!」
「日本のことについて、ほとんど知らない」ということに、ふと気付いたらしい。これが日本についての論考なのかは読んでないから分からないのだが(←読んでないのかよ)、一つ気になることがある。
ヒデって野菜食べられない人だよね?
確かアレルギーかなんかで食べられないはず。自分が食べない野菜を作ることを語っているのだ。ザ・机上の空論。
確実にブレーンがいる。ブレーンと呼ぶと当事者達に怒られそうだから、メンターとでも呼んでおこうか。何か彼に吹き込んでいる人物がいるんだろうね。でも、おそらくヒデ自身は「吹き込まれている」とか「利用されている」なんて思っていなくて、その人物のことを信頼しているのだろう。その方が根が深いのだが。
農業といえば、ダイヤモンド☆ユカイも農業に目覚めている。「農業が衰退しており、もっと自給率は国策としてあげるべきだ」と語るユカイ。フェロモン出しまくっていた三浦理恵子と結婚していた人間とも思えない発言だが、中田論考とかぶるところがある。両親が揃って農家出身の私としては、「農業や農家なめんな」と言いたいが、今の自分探しは農業に向かうのか。そして、水戸黄門・ヒデは次は何と発言するのか? 「車乗るな」とか? それじゃ小沢健二か。新党立ち上げるのはどうだろう。
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2009.05.31
狂言の素人会を観てみようの続きです。コメント欄で、「素人会にはプロでは見られないような面白さがある」と書いてしまったのですが、これの補足。
素人会の楽しみというと、「ハプニングやいかにもな素人芸を楽しむ」だけだと思ったらそれは違うのである。それもあるんだけど。出てきた瞬間からヨレヨレで、何とかセリフ頑張って覚えてきました的な、見ず知らずのおじいちゃんを心の中で応援するのも素人会の楽しみの一つではある。また、お弟子さん達に混じって出演したり、後見を勤める職分の方々の様子も大きな見所の一つである。その素人会の師匠のファンなら目を離してはいけない(笑) ハプニングの連続に、思わぬ「素」が出たりするのも面白いところである。
素人会の面白さは他にもいろいろあり、素人の演技を観て「プロの演技」について考えさせられることも多々ある。今回はその辺について考えてみる。
1.狂言自体の面白さ
素人会でかかる曲は、プロの舞台でもよく出てくるようなスタンダードなものが多い。冠者物だと「附子」、「口真似」、「舟ふな」、「しびり」、「成上り」、「棒縛」、「樋の酒」等、山伏物だと「蟹山伏」、「梟山伏」、「柿山伏」、「蝸牛」など、大名物だと「二人大名」、「萩大名」、「文相撲」、「昆布売」あたりが多い。というか、学生狂言ではこういうのが多い。「佐渡狐」、「盆山」、「魚説法」も出る。人数が多い会では「千切木」、「仁王」、「首引」のような立衆が出てくる狂言も出てくる。時々マニアックなものをやりたがる人もいなくはないんだけど、大概は先生が止める(笑)
上演機会が多い狂言は、やっぱりよく出来ている。台本が洗練されているから、素人でもちゃんと面白い(勿論、十分お稽古しているからだけど)。
お稽古する側としては、こういうスタンダードな狂言には型やセリフの基礎がギュギュッと詰まっているから、簡単な曲(なんて突き詰めたら存在しないかもしれないけど、比較的短くて、セリフや動きも相対的に少ないもの)を一通り演じることが出来るようになると、次の舞台は楽になる。といっても、次の舞台の方がセリフも動きも増えるから、やっぱり難しいんだけど。スタンダードな狂言を一つ一つきちんとお稽古することが、上達につながるとは言えると思う。
そして、観る側の話だが、こういうスタンダードな狂言は演者の力量がわかりやすい。この人は動きがきれいだなとか、セリフ回しがいいなとか、すぐに分かる。
落語にたとえると「前座噺」みたいなものなのかもしれない。落語の演目には、前座がよくかけるような噺がある。割と短くて、内容がわかりやすく、落語の基本的な構造をおさえたものが多い。前座噺は、前座だけでなく二つ目も真打の師匠方も寄席でかける機会が多い。当然だけど、前座よりも真打ちの方がうまいし、名人に到っては前座噺で客を満足させてしまう。狂言の素人会は、「前座噺」多数、時々真打級の曲が入る、という感じだろうか。
2.プロに求められる面白さ
素人さんの中には、会場を沸かせられるくらい面白い人も時々存在する。しかし、こういう人がそのままプロになれるかというとそれは違う。先生からは、「あざとい」とか「やりすぎ」とか言われることが多い。……というか、私も言われたことがある(笑)
本人達も「アマチュアとして楽しくやっているし、そのつもりである」ということが多いし、それでいいと私は思っている。やっぱり素人だから楽しくやれるんですよ。しかし、プロの演技は「本人達だけが楽しければいい」ではいけないのだ。
料理にたとえると、素人会の演技は「お父さんが一年に一度腕を振るう特別な料理」で、プロの演技は「いつどこで誰が食べてもおいしい料理」である。素人会というのは、お父さんが何日も前から材料を吟味し、いろいろと隠し味も揃え、家族を喜ばせるために作るような料理のようなものなのだ。本人や家族にとっては、この世で一番美味しい料理かもしれない。でも、それは毎日は作れないし、毎日食べたいような味ではない。
しかし、プロはそうはいかない。どんな客でもそこそこ満足させ、できればまた来てもらうようなものにしなくてはならない。茂山家の「お豆腐狂言」は、「お豆腐のように、嫌いな人が少なく、味付けを変えれば毎日食べても飽きない、そういう狂言」を表しているが、プロが求められる演技もそういうものなのだろう。
歴史が古い素人会だと、出演されている方の中に時々「セミプロ」もいる。そういう方は、やっぱり少し違う。単に他の人よりうまいだけでなく、演技の上での意識が違っているように見受けられる。素人会は長丁場なので、できるだけ気楽に見て欲しいのだけど、プロの演技の凄さもよく分かると思う。
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2009.05.12
一時期私が熱心に追いかけていた「フラッシュ作るぞ作るぞ詐欺(?)」。真相は結局有耶無耶というか,何も説明がないままてっくの人の本ブログは閉鎖されてしまった。
あの問題が起きてから,あのブログのサブタイトルには「キャンペーンについて説明します」という文言があったが,それもいつの間にか無くなり,やたらと小麦粉についてのエントリを書いていた。あと,本人が忙しいからと「代理の者」がエントリを書いていたこともあった。いつまで何人羽織をする気だったんだか。そもそも何のために演じ分けが必要だったのだろうか。
そして,被害者の追及も,ネット上では続いていないようだ。彼が必死になってやっていた「カンパ者の分断作戦」が功を奏したということなのか。というか,そもそもあれをどうやって訴えればいいのか。
しかし,あのブログの避難所だった場所はまだ生きている。前は「ゴールドカード」だの「トラベラーズチェック」だのの情報が書いてある変なページだったが,この5月にブログが出来ていた。これなんですが,一体何? カードの比較だの「結婚したいOL」だの「消費者金融」だの。浪費癖のあるOLを釣るってんじゃないだろうね? 次は結婚するぞするぞ? やっぱりこれ更新したり管理してるのってあの人だよね? あの人でもそうでなくてもいいんだけど,このブログの目的を考えてみると気持ちが悪くなるんだが。
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2009.05.02
以前,後見の話にかこつけて,「素人会」の魅力を熱く語ったことがあります(そのエントリはここ)。プロの舞台だと道具の出し入れと地返しくらいしかやることがないように見える後見ですが(だからといって誰がやってもいいわけじゃないのです。結構いろいろと役割があるのです),何があるか分からない素人会では後見の先生方が大変活躍されるのです。
また素人会にはプロの舞台とは違った独特の面白さもあります。私は「狂言の神が降りてくることがある」と書きましたが,素人の方が年1回の舞台にかける思いはものすごく強いですから,その強い思いが客席にも伝わり,記憶に残るような舞台になったりするのです(勿論,技術的には到底プロには及びませんが)。
ということで,ぜひぜひ機会があれば素人会を観て欲しいのですが,いつもこのブログにコメントを下さる小冠者さんがこのエントリに素人会情報を書き込んで下さいました。本当にありがとうございました。
来る6月27日(土)10時から国立能楽堂にて、千之丞師の社中の[タンポポ会]が開催されます(もちろん入場無料で出入り自由)。当日15時頃からの[鬼瓦]の大名役で桂米二さんが出演予定とのことです。
千之丞師の素人会が東京で行なわれるとは!! 当然ですが,素人会なので入場無料。素人会で入場料取るのはダメです。
落語家の桂米二さんの落語会情報のページを見たらこんな情報も。
☆6月26日(金) 19:00 〜
桂米二スペシャル落語会/東京・国立能楽堂2F研修能舞台(和室)
JR中央線・総武線「千駄ヶ谷」徒歩5分
地下鉄大江戸線「国立競技場」A4出口徒歩5分
演目当日 米二・二席 二乗 トーク:茂山千之丞×米二
前売・予約¥2,500 当日¥3,000 主催:童司カンパニー 発売中!
チケットぴあ TEL 0570-02-9999 Pコード 394-468
お問い合せ TEL 06-6365-8281 米朝事務所 または
TEL & FAX 03-3412-2585 yasu66@my.email.ne.jp 米朝事務所東京
27日(土)狂言タンポポ会で「鬼瓦」の大名をやらせてもらいますが、その前日に千之丞先生プロデュースで2階研修能舞台にて落語会を開くことになりました。
当日は向かって左手の事務所入口からお入りください。
しっかりしてるなあ(笑) 宣伝がてら?前日に国立能楽堂の研修能舞台で落語会も米二さんの落語会もあるそうです。こちらは米二さんの本業なので,入場料を取られます。また,千之丞師も出演されるようです。
上にも書きましたが,素人会は基本的には入場無料です。いくら有名人が出ていても無料です。だって,「趣味」の会だから。出入りも自由です。……一日座ってると疲れますから,時々はロビーでくつろいだり,外でお茶するのもいいでしょう。ただし,出入りは曲の合間にお願いします(当然ですけどね)。
素人会の面白さですが,本当に何が起こるか分かりません。米二さんの大名も,どんなアドリブが飛び出すのやら。とにかくプロと違って予測がつかないのです。そして,後見などで見せるプロの先生方の素顔。今回は千之丞師ですから,何かあるかもしれないですね。こういう素人会を観る際には,プロの舞台を見る時とは違って,リラックスして自然に楽しんで下さると嬉しいです。私も時間が合えばタンポポ会を観に行きたいです。
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2009.04.12
最初にお詫びですが,「能楽」のエントリが滞っていてすみません。いろいろあって,なかなか頭を使うエントリが書けないんですな。ゴールデンウィークまで待って下さい。
……と去年もこんなことを書いていた気がする。去年の今ごろは,このブログは「某家歌謡ショー」の話題で盛り上がっていた。あのサンバは結局どうなったのか,誰もわからない。
あれから1年。彼らは夫婦でブログを書いている。それによって,私なんかが何もしなくても,いろんなことが世の中に知れ渡るようになった。良かったジャマイカ。私自身はもう,あのブログは頭悪くなりそうだから飛ばし読みしかしないし,嫁の方は面倒だから(笑)読まないんだが,某スレは見ている。7年も結婚生活をしている人達だから,やっぱり似てるんですなあ,という感想しかない。
さて,テレビでは時々「家族もの」番組が放映される。当然ながら,どんな家族でもいいわけではなく,大概は世間から見たら「特殊」な家族が扱われる。「サラリーマン家庭子供2人・時々は祖父母に会いに行く」という平凡な家庭でも,切り口によっては良いドキュメンタリーになるんじゃないかと思うが,そういう番組は残念ながら受けないし,そういう腕の良いテレビ製作者も少数である。
「特殊」といっても,大別すると2系統ある。
1つは「伝統芸能」系である。私達の世代だと「中村勘九郎(当時)親子」が有名である。歌舞伎役者という家に生まれた子供が,舞台のために師である父に非常に厳しい稽古を受けたり,同じ役者である祖父や親戚との関わり合いの中で育っていく,というものだ。最近だと,片岡孝太郎親子もそういう番組に出ていたし,能楽だと宝生宗家が出たこともある。
伝統芸能の家は「親の職業が極めて特殊で非常に厳しい」,「子供はその職業を継ぐことが期待されている」,「父親が師匠でもある」など,世間から見たら非常に厳しく感じられるものである。そして,親戚やお弟子さんといった「家族」も多く,「たくさんの家族の中で厳しいながらも,お互いに支え合いながら育っていく」といった側面が強調される。
ただ,「師匠」というのは実の父でなくても,弟子にとっては「第2の親」みたいなものであるから,「父」と「師匠」とでは,役目はそんなに違わないのかもしれない。例えば落語家の場合は二世や三世の方が圧倒的に少ない。血縁がない者同士が師弟関係を結ぶことによって,「疑似親子」「疑似家族」になる。師匠は弟子が独り立ちするまで養わなくてはならないし,独り立ちした後でも弟子に何かあったら出て行くものだから。
(ところで茂山家のドキュメンタリーを作ったら面白そうだと思うのだが,京都ではもう既にあるとか?)
もう1つは「大家族」系である。大家族といっても,単に「人数が多い」だけではダメである。「4世代同居」みたいなのも大家族のはずだが,こういうのはなかなか取り上げられない。あと,伝統芸能系も基本的には「大家族」である。親戚,弟子も家族であるから。しかし,「大家族」系とは普通言わない。大家族ものにはいくつかの特徴がある。
・子供がやたらと多い。
親2人に子供8人とか9人とかそんな感じ。年子が多い。
・とにかく貧乏。
前に高校の先輩が「近所に住む社長さんは,宗教上の理由で避妊や中絶が出来ないので子沢山であるが,お金があるから広い家に住んでいる」という話をしていた。こういう家族は大家族ものには出られない。出たいとも思わないだろうが。
大家族は必ず狭い家に住んでいる。子供は重なって寝ている。服は汚い。
ちなみに,貧乏なのは「親が一生懸命働いているのに収入が低い」というよりももっと大きな問題があったりする。
・両親がちょっと(略)
NHKの「五つ子ちゃん」は,子供が一度に5人も生まれる大変さを扱っていたが,いわゆる大家族ものではなかった。映像も静かな感じだった。父親がNHK記者だったからだろう。
しかし,大家族ものに出てくる親は違う。何してるのか分かんない人ばっかり。子供は増える一方なのに,「仕事が嫌になって辞めちゃった」という父親を見たことがある。それを聞いた母親は切れていた。当然だ。お腹に子供がいるのに。……って番組が放映されるごとに子供が増えていく。
そういう両親はやたらと喧嘩をする。時々は母親が出ていったりする。でも,子供はなぜか増えていく。喧嘩してもそれは別なんですか。いつも不思議なのは,家があんなに狭く子供があふれ返っているのに,子供だけは毎年のように生まれることである。いつどこで?(何を?)
母親も母親で疲れすぎている(毎年のように子供産んでたらねえ)んだが,疲れている割には「おかあちゃん」というより「オンナ」を感じさせる人が多い。ヨレヨレなのに自意識はオンナっぽい,ような感じがする。
・子供もちょっと(略)
こういう番組に出てくる大家族の上の方の子供は二十歳に近いことが多い(超えていることも)。子供がやたらと多い環境にうんざりしているはずなのに,早く結婚して子供産んだりするんだ。というより,子供が出来たから結婚するとかそういう感じ。でも,時々育てられなくて親や施設に預けて逃げちゃったりする。子供が生まれやすい家系ってあるんだろうか? というわけで,子供の子供まで増えていく。
3人目以降の子供たちは,大体諦め切った目をしている。子供同士で勝手にやってる。もう親も手が回らないからね。
しかし,こういう家の長女はなぜかみんな不思議だ。下の子の面倒を見るような,しっかりしたところは持っている。が,なんだか危なそうな人ばっかりだ。あと,父親に対する感情が変。特に青木家に顕著だけど,「自分が母親代わり」というのが,単に「子供たちの面倒をみる」だけでなく「父の妻でありたい」みたいな。ま,大家族スペシャルのやっていることなんて,どこまでホントか分かりませんが。演出は入っているんでしょうから。
こういう大家族スペシャルがなぜ放映されるのか。こういうのを見て家族って素晴らしい! 子供がたくさんいるっていいよね! と思う人っているんだろうか。それよりも「うわ,また増えるのかよwww 避妊しろ」とか「子供いるのに仕事辞めるってバカwww」とかツッコミながら観賞する人の方が多いのではなかろうか。「恐い者見たさ」,はっきり書いちゃうと「ディーキューエヌ(って最近言わないですね)」を見せ物にしているだけだろう。
そして,某家の話である。某さんの最近の文章を読んでいると,「伝統芸能系一家」としてのアピールを必死に行っているような感じがする。もしかするとテレビで扱って欲しいのかもしれない。しかしながら,ブログを見ていると,伝芸系よりもなぜか「大家族系」に見えてくるのだ。子供2人だから別に大家族じゃないのに,なぜか。あと5人くらい子供いてもおかしくないような感じがする。何がいけないのだろう。
いや,私の読み方がいけないのかもしれない。奥さんのツテを使って,TBSで彼らのドキュメンタリーを作成してはどうだろうか。制作は植木商店で。タイトルはもちろん「和泉さん家が大変だぁぁぁ」で(どこが伝統芸能なんだ)。
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前エントリの続き。藤間紫に続いて,金田龍之介も亡くなった。
個性派俳優の金田龍之介さん急死(デイリースポーツ)
個性的な脇役として活躍した俳優の金田龍之介さんが3月31日午前2時13分、慢性腎不全のため、埼玉県草加市内の病院で死去した。80歳だった。
誰もが驚く急死だった。所属事務所によると、金田さんは糖尿病を患い、07年12月から週3回の透析を受けていたが、亡くなる直前まで元気だったという。容体の急変を察知できず、家族も深夜の臨終をみとれなかった。入院も深づめで足を痛めて歩き辛く、透析に通う手間を省くためだった。
最後の出演作は、歌舞伎俳優・市川猿之助(69)が演出し、猿之助一門が出演した昨年8月の舞台「新・水滸伝」(東京・ル テアトル銀座)。懇意にしていた猿之助の妻・藤間紫さん(享年85)が3月27日に亡くなり、金田さんも気にしていたという。最近は目立った活動はしていなかったが、事務所は「5月に朗読劇でもやろうという話がチラッとあった」と明かした。
東京都出身の金田さんは戦前に大阪で子役として初舞台を踏み、関西で新劇活動を続けた後に上京し、56年に劇団新派入り。大きな目と恰幅(かっぷく)のよい体格を生かし、悪役から、善人まで幅広い役を演じた。舞台の代表作は蜷川幸雄さん演出の「王女メディア」、スーパー歌舞伎「新・三国志」シリーズ、麻実れいさんとの二人芝居「サラ」。テレビは大河ドラマ「国盗り物語」「秀吉」をはじめ「君の名は」など多数、映画は「スーパーの女」などに出演した。
葬儀・告別式は5日午後1時から埼玉県越谷市南越谷2ノ5ノ6、東冠メモリアルプラザ越谷で。喪主は妻満里子さん。
確か,「落語娘」にも出演されていたのでは? たくさんのドラマや映画に出演されていたが,私にとっては,やっぱり「スーパー歌舞伎」の印象が一番強い。初期もそうだけど,特に段四郎・歌六といったベテランが去った後,重鎮として舞台を支えていた印象が強い。去年の「ヤマトタケル」も出ていたはずで,だから今回のニュースには非常に驚いた。
スーパー歌舞伎や21世紀歌舞伎組については,今まで何度も書いてきた(これとかこれとか)。スーパー歌舞伎は普通の歌舞伎に比べて低く見られていたようだが,功績もたくさんある。まず,猿之助が行った演出の一部は,今や「普通」になってしまった。例えば,菊五郎も吉右衛門も宙乗りを普通にやっている。また,俳優の演技力を上げるという目的も果した。例えば,段四郎,歌六は,今や歌舞伎座でかかすことの出来ない貴重な脇役である。弥十郎,錦之助は当時は残念ながらあまりパッとしなかったが(笑)
あと,笑三郎,春猿,段治郎,猿弥といった若手が成長し,他の劇団でも出演することが多くなってきた。この人達はスーパー歌舞伎でも,猿之助座頭の歌舞伎座の公演でも,結構無茶な役をたくさん演じてきた。上2人に比べて(笑)年齢的にもキャリア的にも難しい役を割り当てられることが多かったような気がする。そのお蔭で今があるのかもしれないが。
しかし,「若手をどんどん抜擢する」という当初の目的は,ある時期から全くといっていいほどなくなってしまった。決まったメンツに自動的に役を割り当てるような,かつて猿之助が批判したはずのシステムになってしまった。本当に残念ながら,今やスーパー歌舞伎って,ある一部の俳優を養うためにだけ行われているような感じすらする。その一部の俳優の一人である(笑)笑也が最近「天地人」で武田勝頼を演じているらしく,「市川笑也」で検索してこのブログにやってくる人が増えた。残念なことしか書いてなくて申し訳ないっす。勝頼って長篠で負けるんだよね? 写真見たけど,老けたなあ……。
それはともかくも,藤間紫,金田龍之介といったスーパー歌舞伎を支えた人達の相次ぐ死は一時代の終わりを感じさせる。今後もスーパー歌舞伎の再演はあるのかどうかは分からないが(どうでもいいけど,「ヤマトタケル」は猿之助に対する当て書きものだし,台本もすごく良いとも思えないので,別なものの方がいいのでは),これまで以上に苦しい状況になるかもしれない。あと,猿之助はもう復帰しないのだろうか。そういう話が出てこないのも寂しい。
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2009.04.08
藤間紫が亡くなった。2月に国立劇場で舞踊会が行なわれたことは知っていたので(「あぜくら」で見たのかもしれない),急なことに驚いてしまった。そして,猿之助よりも元気で若い印象があったので余計に。
訃報記事をたくさん読んだが,一番印象に残ったのはスポニチのこの記事だろうか。
藤間紫さん通夜 猿之助「一番大切な人」
27日に肝硬変による肝不全のため、85歳で死去した女優で日本舞踊紫派藤間流家元の藤間紫(ふじま・むらさき、本名喜熨斗綾子=きのし・あやこ)さんの通夜が29日、東京都台東区の寛永寺輪王殿で営まれた。夫で喪主の歌舞伎俳優・市川猿之助(69)は、最愛の妻の死去後初めて「いつまでも少女のような紫さんは、一番大切な人でした」とコメントを発表した。
藤間流に入門した12歳の時「将来、結婚する」と公言した“初恋の相手”。結ばれるまでに約50年かかったが、それでも猿之助にとっては夫婦として過ごしたこの9年間は至福の時だった。
出会った時の印象が忘れられないのか、公表した文書では「いつまでも少女のような紫さんは、私にとりまして一番大切な人でした。私の歌舞伎俳優としての今日がありますのは、紫さんのおかげです」とつづった。コメントを発表するまで立ち直りつつあるようだが、喪主として最前列に座った式場では、おなかの前でずっと合掌。棺を見つめていた目は時折、ギュッと閉じられた。
約3000人の弟子がいる紫派藤間流。その切り盛りだけでなく、藤間さんは猿之助が率いる「澤瀉(おもだか)屋」一門の世話にも奔走。猿之助は「流派の総帥であるとともに、私の最高のマネジャーでありました。そして、私の一門の俳優にとりましては、母でもありました」と感謝。スーパー歌舞伎など「澤瀉屋」公演の成功の陰には常に藤間さんの存在があったからだ。
猿之助は、女優の浜木綿子(73)と結婚していた当時から、歌舞伎公演などで紫さんの助力を得ていた。68年の離婚後は、実質的なパートナーとなり、85年に紫さんが夫の勘十郎(90年死去)さんから「不貞があった」と訴えられた時には精神的な支えとなった。03年に脳こうそくで倒れてからは、支えられる立場になった。
「紫さんと私の志は、いつも同じものを見つめて生きてきました。その思いを忘れずに、これからも夢を追い続けていきたいと思っております」と猿之助。「悲しい…」ともらしながらも、700人もの弔問客に対応。目に光っていたものは、今後も“最愛の人”と生きていくという誓いのあかしだった。
≪祭壇 7種の紫の花で飾られる≫えび茶色の着物姿でほほ笑む遺影が置かれた祭壇は、藤間さんの名前にちなみ、スイートピー、バラ、カーネーションなど7種の紫の花で飾られた。遺影は13年前に宣伝用に撮影された1枚で、本人が気に入っていたものだという。棺の中には4月28日にNHKホールで出演予定だった公演用の着物など舞踊関係の品のほか、猿之助が色紙に書いたヤマトタケルの絵なども納められた。
中村芝翫(81)中村富十郎(79)ら歌舞伎界の重鎮のほか、猿之助と浜の長男で俳優の香川照之(43)津川雅彦(69)らも弔問。津川は「テキパキとした姉御(あねご)肌でした」と思い出を語った。戒名は、優照院賢徳紫芳大姉(ゆうしょういんけんとくしほうたいし)。
「猿之助は、女優の浜木綿子(73)と結婚していた当時から、歌舞伎公演などで紫さんの助力を得ていた。」という書き方は,実際のところをぼやかしているような気がするが(笑)それはともかく。猿之助が藤間紫と再婚する前に,どこかのスポーツ紙(確か日刊スポーツ)でインタビューを受けていた。ちょうどスーパー歌舞伎が上演されていた時期だ。楽屋には「西太后」の衣裳が飾られていたらしい。そして,藤間紫が「盟友」であり,「支え支えられる存在」であると語られていた。
本当にそうだったのだろう。単なる肉体的な関係を超え,一緒に夢に向かっていくための同志だったのだろう。
いつも市川笑也が演じているスーパー歌舞伎に出てくるヒロインの女性はみんな似ている。純情可憐で控えめなようで,芯が強く,いざという時には男性を引っ張っていくタイプである。「ヤマトタケル」ならみやず姫,「オグリ」なら照手姫。おそらくみんな猿之助の「憧れの女性」の姿なのだ。そんな「憧れの女性」のモデルが世を去ってしまった。
その2は金田龍之介さんの話(続く)。
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2009.03.31
本当にワタクシゴトですが。
彼女とは中学1年の時に同じクラスになって初めて知り合った。出席番号や席が近かったわけではないのに仲良くなったきっかけは,もう覚えていない。いつの間にか,彼女を含む同じクラスだった9人が何となく集まって,中2以降もずっとつるんでいた。
高校を卒業して各自大学に入って職について,と,年が経つにつれてそれぞれの居住範囲や生活は本当にばらばらになり,集まる機会は少なくなったけれども,それでも定期的に集まったり連絡を取りあったりしていた。
彼女はいつの間にか異国に留学し,そこが気に入ったのかそのまま住むようになってしまった。そして,去年,現地で知りあった人と結婚した。去年の夏に東京で会った時には,お腹に子供がいるから次に日本に帰るのはしばらく先になりそうなことを照れ臭そうに語っていた。年明けには,すごく久しぶりに彼女からの年賀状が届いた。私が初めて見る彼女のシャイそうな旦那さんと2人でにこやかに映っていた。
もう知り合ってから20年経った。各自家族が増えたりしながらも,10年後も20年後も同じように集まるんだろうと何となく信じていた。
彼女が出産後に倒れたと聞いたのは2か月前のことだった。最初は全く信じられなかった。きっと悪い冗談だろう,盆あたりにいつもの調子で「今度日本に帰るんだけど,来られるかな?」というメールが来るんだろうという気分でいた。あと,彼女は本当に「強い」人間だからだ。相手を打ち負かすような強さではなく,口元にいつも笑みを浮かべながら粘り強く状況を1つ1つ変えていくような強さを持っていたから。
その後多くの現地の情報が入ってきて,どうやら本当らしいこと,そして彼女がとてもタフな状況から脱しつつあるということを聞いた。入ってくる情報に一喜一憂しながら,私達はずっと祈っていた。
しかし,3日前に彼女はこの世から旅立ってしまった。あまりに過酷な戦いのせいで,体がいっせいに悲鳴を上げたということだ。最期にはにこやかに微笑んでいたらしい。
この2か月,今までにないくらい彼女のことを思い出していた。そして,現地から送られてくるメールや彼女と関わっているさまざまな人達からの話から,私が今まであまり知らなかった彼女の「顔」をたくさん知ることができた。彼女が誰かに話していたこと,現地でたくさんの人が彼女を献身的に支えてくれていたこと,まだ会ったことのない彼女の旦那さんのこと。
また,彼女の旦那さんが最後に送ってくれたメールには,彼女の生前の元気で綺麗な姿を映した写真が添付されていた。写真の中の彼女は,私が見たことがない,いや私には見せてくれない「顔」だった。愛する男性にしか見せない,無防備でどこか挑発的で,おどけていて,でも喜びに溢れた美しい顔だった。これを見て何年後,何十年後も彼女を思いだすことになるのだろう。
20年間本当にありがとう。美しくて,強くて,飄々としていて,「えっ?」と驚くようなことを考えたりするそんなあなたと中学で同じクラスになったのは僥倖でした。もう頑張れとか無茶なことは言わないので,しばらくゆっくりしてください。あなたのことだから,もう既にそちらでも楽しいことを見つけているかもしれませんが,今度会う時には,もう少し面白いことが話せるようにこっちでもう少し頑張ります。
それまで,いつものように。
じゃあ,またね。
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2009.03.26
日本がWBCで優勝した。とりあえずめでたい。正直言って,同点に追いつかれた時は,もうこれでダメかもしれないと思った。理由は,原だからである。日本シリーズでもクライマックスシリーズでも,原巨人はいいところまでは行くんだけど,いつも最後のツメが甘い。そして,負けて選手のせいにする,と。今回負けてたら,おそらくイチローを責めたろうな。采配についていろいろと言われていたが,そんなこと最初から分かっているだろうに。
あと,今更だけど「侍ジャパン」てのはダサいと思うよ。日本野球がやっぱりいまいち垢抜けないことがバレちゃうじゃないですか。
それはともかく,原辰徳は相変わらず「不思議ちゃん」である。この記事を読んで欲しい。
原監督3度舞った!「すごい侍たち」は日々進化した
【日本5-3韓国】長い戦いを勝利で終えた日本代表は、フィールドで喜びを爆発させた。ダルビッシュが最後の打者を三振に取って城島と抱き合うと、そこに次々と選手が集まる。
決勝打のイチローは内川、青木の外野手3人で抱き合い、マウンドの輪から離れて勝利を祝福。大きな輪にいた岩村が3人の外野手を迎え入れるように手を広げ、がっちりと抱き合った。
原監督はダッグアウトでスタッフと喜びを分かち合い、遅れてマウンドへ。選手の手で3度舞った。「すごい侍が集まって、世界の強豪に勝てたことに価値がある。一日一日、チームがまとまって、団結し合って進化した。重圧につぶされそうな時もあったが、それをはねのけて喜べるのは、野球界にも、日本の国にとっても良かった」と話す原監督は興奮にほおを紅潮させていた。
「お前さんたちは、すごい侍になった!」という原監督のかけ声で、シャンパンファイトがスタートした。
なんかおかしなところはないだろうか。
……「お前さんたち」って何?
あんたは落語のご隠居かよ! とつっこんだのは私だけか。なぜ「お前さんたち」なんだか。
「お前たち」と言いかけて,「でもそれってなんか偉そう……」ってことで「さん」をつけてみたのだろうか。「お前さんたち」も十分偉そう,そして,却って「変」なんだが,こうやって選手に妙に気を遣ってしまう辺りが原クオリティなんだろう。何しろ「星野ジャパン」のように「原ジャパン」と言われることは少なかった。「お前さんたち」は,イチローの方が妙に注目されていた今回の大会らしい発言である。
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2009.03.20
数日前に,更新もしてないのにアクセス数が急増していることに気が付いた。前に書いたことが今話題になっているのだろうか,と気になって検索ワードを調べたら,妙なことになっていた。
・"nifty"で約60アクセス
・"logic"で約50アクセス
・"txt"で約50アクセス
何かを検索して情報を得ようとするには,マヌケすぎる。”nifty"はまだ分からないでもないけど,logicとかtxtは意味不明。しかも複数ワード検索じゃない。
誰が一体何やってるんだと気になって,リモホを見たら,MSNのボットらしい。毎日,さまざまな検索システムがこのブログをクロールしているはずだが,フツーはこんな風に出てこないぞ。というのと,キーワードが曖昧すぎるが,MSNは大丈夫なのだろうかと余計な心配もしたくなる。だからいまいち使えないんだよ,とかは言わないことにする。
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2009.03.14
ここ1か月くらい,個人的に空前のスカパラブームだ。ひたすらスカパラばっかり聴き,YouTubeでもPVを見まくっている。今までも不定期にシングルを買ったりしていたんだけど,最近になってiTune Storeでアルバムをまとめ買いしている。音楽はiPodに入れて聴くので,iTune Storeで売ってくれると本当にありがたいっす。
今までものすごく熱心に聴いてきたわけではない割には,メンバーはなぜか全員知っていた。きっとオザケンのせいだ(笑) 当時のギタリストはテラシさんで,ドラムは故・青木さんだった。青木さんが亡くなった時はとても悲しかったなあ。
高校生の時は,冷牟田さん(脱退はすごく残念だけど,体が良くなったらまた戻ってきて欲しいです)が一番好きだったはずなんだが,今PVを見まくっていて初めて気が付いた。
名古屋課長みたいな男にものすごく弱い。
例えば,YouTubeで上がっていた「ルパン三世」の映像だけど,NARGOがカッコよすぎて死にそうになる。昔はあまり興味がなかった(←失礼な)のに,今になってやられている。やられまくり。今になって思えば,無意識のうちに自己防衛のために正視しないようにしていたのかもしれない。
NARGOは男前である。男前であるが,なんだかビミョー。大森さんだと「本当に男前」と胸張って言えるんだけど,NARGOは何となく垢抜けないというか,その髪形とか服装とかどうなのよ,というか。何ですか,その眼鏡は(笑) ニッポン男児的な顔なんだけど,妙に濃い〜ような気もする。そして,明らかに天然気味。
こういう天然気味の,微妙に垢抜けない,コンパクトな男前に弱い。他人に説明しにくい上に,納得してもらいにくい趣味である。困ったものである。
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2009.03.06
今回EXILEのことを書いてみるが,実を言うと私はEXILEのことを殆ど知らない。あまりテレビで見たこともない。EXILEの真似をする芸人の方は何度も見ているのに。まあ,芸人に真似されるくらい売れているってことだろう。
知っていることといえば,ZOOのメンバーだった人がリーダーであること,だから「Choo Choo TRAIN」をカバーしていたこと,やたらとベスト盤を出していること,「月刊EXILE」が出ていることくらいである。どれも何だかなという事柄であるが。
あと,Wikipediaでの記述が笑えるくらい凄い! 第1章とか第2章とかあるけど,第13章まで続くんだろうかとか,メンバー紹介の「洋楽アルバム的ベタ文章」具合も気になって仕方がない。
そんなEXILEであるが,最近メンバーが14人に増員された。そのニュースを聞いて最初に思ったこと。
「さくら組とおとめ組に別れたりするんだろうか」
こんなことを考えたのは私だけはなかったようで,「思い切って48人にすればいいんだ」というコメントもネットで読んだ。毎日公演してるんだ。こんなことを言われるのもEXILEだけだろう。
と,ここまでは少しおちゃらけて書いてきたけど,EXILEが人気なのはよく知っている。今の大学生くらいの年齢の人でも,EXILEを普通に好きなのにちょっと驚く。「最近の若い者の考えてることはよう分からん」とお嘆きのオジサンやオバサン,本当はそうでもないようですよ。意外と昔から日本の「ある部分」は変わってないんですよ。
故・ナンシー関は,かつて「日本人の血からヤンキーとファンシーは絶対に消えない」と書いていた(元は根本敬の言葉らしいけど)。要するにそういうことなんですよ。EXILEのファンって,銀蝿とかセピアとかにはまってた人達とおそらくそんなに違わない。そして,「ヤンキーの血」を持つ日本人の受け皿はいつの時代にも必ずあって,今はEXILEがぴったりとはまっているのだろう。
「月刊EXILE」の広告を見る度に,あまりの絶妙さに膝を打たずにいられない。ナンシーだったら確実に何か書いたことだろう。雑誌不況の現在だが,「月刊EXILE」はなぜかそこそこ売れ続けそうに見える。どこか「月刊哀川翔」を出してはくれないだろうか。多分売れるよ。
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2009.02.22
最近何度かネタにした「発言小町」にて,もしも江戸時代に小町があったら(超駄)というトピが話題になっている。殆ど2ちゃんのノリだが,最近の小町の雰囲気にモヤモヤ(←小町頻出単語)していた小町中毒者にとってはかなりの良トピである。
なぜか狂言ネタ(「上司の物覚えが悪くて困ってます」)も混じっているのだが,意外なほど落語ネタは少ない。時代劇ネタはたくさんあるのにな。やっぱり落語ブームって幻なんだろうか。ということで,今日は落語ネタでやってみた。
[男女]:夫が大金の入った革財布を拾ってきました。
[男女]:嫁の言葉遣いが難し過ぎてよく分かりません。
[子供]:すぐに物をねだるうちの子供
[子供]:うちの息子が西洋の怪しげな宗教にはまってしまいました。
[ひと]:隣人のせいでうちの仏壇の阿弥陀様が(怒)
[学ぶ]:百人一首の短歌の意味を教えて下さい。
[口コミ]:夏ですが,みかんを売っているお店を教えて下さい! 金に糸目はつけません(至急)
[男性発]:妹が殿様の子供を産みました。お屋敷に呼ばれてますが,どうしたらいいでしょうか?
そして,こんなトピはおそらく炎上する。
[ひと]:居候先が自分に働けと言ってきました。出入りの者のくせに生意気です。
予想レス:「今までただでご飯を食べさせてもらったくせに恥ずかしくないんですか?」
「あなたの実家が立派なのであって,あなたが偉いわけではありません」
一方,熊さんも「働かない2階の若旦那」というトピを立て,「若旦那を追いだせ」という流れになっていたりして。
[ひと]:私の義太夫を聴きに来ない店子を追いだしたい(怒)
予想レス:「あなたの下手な義太夫から店子さんたちを解放してあげて下さい!」
(「解放してあげて下さい」も小町頻出表現。モラハラ気味の夫(あるいは妻)に対して,「あなたの奥さん(あるいは旦那さん)を解放してあげて!」といった使いかたをする。ちょっとキモイ。解放って誘拐じゃないんだから)
[男性発]:嫁や隣人が私の夢を聞きたがります。夢なんかみてないのに(涙)
予想レス:最初は「奥さんもお隣の方も下らないことを聞きたがりますね。そんなの相手にしなくていいですよ。あなた悪くないから」といった流れなのが,いつの間にか「ところであなた,本当は何の夢を見たんですか?」というレスがつき始め,トピ主総叩き。あはれ。
結構落語のネタも小町にしっくり来るなあ。人間の悩みのバリエーションは無限なようでパターンがあるからだろうか。もう少し思いついたらまたやってみます。狂言版も。
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2009.02.15
前エントリのコメント欄で始まった,エヌエルさんによる「正しい運足法」をいったんまとめました。まだまだ続く予定です(笑)
「宗家問題」ですが,また時間があったら続きを書きます。「どこの流派も明治維新時に宗家が途絶えちゃったのよ。そこで何とか復興できたのが大蔵と和泉なのよ」という話ですが(笑) wikipediaの「狂言」の記述は,基本的に間違ってないと思われます。おそらく文献に基づいて書かれたのでは。
それはともかく,「運足」の話。狂言の運足は日常生活において,まったく役に立たないものではありません。「着物を着てもなんだか様にならない」,「歩いているうちに裾がはだけて困る」あなた,普段,洋服を着て歩くように動いているからです。最近の時代劇を見ると,若い俳優さん,女優さんの動きが「ヘン」に感じられるのも,着物に適した動きや姿勢を取ってないからですね。歌舞伎俳優の方が時代劇に出演されるのも,「様になる」からでしょう。
現代の「洋服での動き」と「江戸時代以前の日本人の動き」には,次のような違いがあります。
現代人は歩くとき、走るときに手の振りに伴って肩が前後に動き、足の動きに伴って腰も前後に動きます。
しかしながら、江戸時代以前の日本人はそうではありませんでした。歩くときに手も動かず、肩も動かない。足は前後に動くが腰も前後に動かない、そういう歩き方でした。
以前陸上の末続選手がトレーニングに取り入れて少し話題になった「なんば」という歩き方(走り方)です。
「なんば」は,「右腕と右足を同時に前に出す」という,現代の陸上では「ありえない」動きをする歩き方です。今だったら,運動会の行進で絶対に直される歩き方ですが,これ,江戸時代までは「フツー」だったようですね。そして,「体をねじらず,重心を低く保つ」のがポイントで,今まで考えられてきた陸上の理論とは全く異なっています。だからあれだけ話題になったのでしょう。
手は太ももの横の、少し前に軽くつけ、肩を前後に動かさないようにします。
実はこうやって動くと着崩れしづらくなります。現代人のように歩くときに肩を前後に動かすと、途端に着崩れしやすくなります。
とにかく「上体を動かさない」のがポイントです。現代人は腕を振って方が前後に動きますが,この動きでは着物を着た時に襟元が崩れます。
ちなみに,舞台上で地謡や後見が移動する時はこの歩き方で,楽屋でも「なんば走り」だそうです(笑) この動きを様式化し,「すり足」にしたのが「運足」なのです。
というと,すごく難しそうですが,実は「着物での歩き方」は家でも練習できます! もちろん洋服でOK。ぜひやってみましょう。
背筋を伸ばしてまっすぐ立ち、手をズボンのポケットのあたりにつけます。中指が縫い目の辺りになり、手のひらが太ももにぴったりくっつける感じです。
ひじは軽く張ります。手をくっつけたままひじを前に出すと、自然にひじは横に張るようになります。
その状態で、手と肩はもちろん、上体を動かさずに歩きます。両手で太ももを両側から押さえるようにすると腰も前後に動きにくくなります。
実は,私,小笠原流礼法を少し習わされたことがあるのですが,正座の時に,手のひらが太ももにくっつけて,ひじを少し張るように座るように教わりました。正座から立つ時も,手のひらの位置は動きません。それと同じですね。今思い出した(笑) あの動き方と同じでした。着物で動く時には,腕は決まった位置において出来るだけ動かさないようにするのが基本なのでしょう。
そして,こうやって歩くと,絶対に大股にはなりません。大股だと上体がぶれます。「歩幅はせいぜい足一足半くらい」とのことです。
慣れてくれば、手を太ももから離しても、手と肩を前後に動かさずに歩くことができるようになります。普通に、前後に手を振って歩いている最中に、意図的に手の振りを止めることもできます。
そうなれば完成です。
手の振りという、反動を利用した動き方(つまり現代人の歩き方)ではなく、体重移動だけで進むという、昔の日本人と同じ動き方ができるようになったということですね。
「なんば走り」の解説をいろいろと調べたのですが,現代陸上では「腕の振りによって生じる上体のねじり」を推進力とするのに対して,「なんば走り」は「体幹部を最大限に生かした体重移動」を推進力とするようです。本当に,運動の原理が異なっています。
体幹部といえば,最近ピラティスとかバランスボールとか「体幹部の筋肉のバランスを整える」トレーニングが流行っていますが,「着物歩き」もそれに続くことができるでしょうか。ちなみに,私は「運足」をすると背筋から腰の筋肉が張ってきます。
エヌエルさんによる「歩き方のコツ」のまとめ。
・まず片足を前に出す。(能楽の場合動き出しは左足からなので、ここでは左足を前に出すこととします)このとき重心は右足に残っています。
・左足が着地したら、右足の荷重を進めた左足に移し変えます。
・フリーになった右足を前へ運びます。重心は左足に残っています。
・右足が着地したら、左足の荷重を進めた左足に移し変える。
普段のように「足で蹴る」ように動かないようにします。続けているうちに,「着物が似合う」動きになってくるはずです。皆様,そろりそろりと参りましょう(笑) では,続きは次回に。エヌエルさん,よろしくお願いします。
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2009.02.14
今更ながらの大手小町の不思議の続き。どうでもいいですが,最近,こうさぎのコミヤマさんが小町にはまっていることが分かりました。
こういうことをはっきり書くと身も蓋もないけど,世の中の相談事にはある程度フォーマットがあって,そこに個々の変数を入力することで,おおよその回答の「相場」が出てくる。法律相談が一番例として分かりやすいけど,当該の揉め事がどのような問題であるかを,法律の条文や過去の事例から決定し,その揉め事における当事者達の責任を決めるような変数(誰がどうしたとか,どういう状況であったとか)を入力し,過去のケースから「どうぞ参考になさって下さい(仁鶴風に)」と大体の相場を示す。
雑誌や新聞やネットといったメディアに掲載されている人生相談も大体同じで,回答者が何かの専門家であるとは限らないところが,法律や医療の相談とは違うが,自分の経験から「大体こんな感じなんでは」という答えを提出する。
ただ,こういう人生相談と専門家の相談で違うところは,必要な変数が回答者に全部分かるとは限らないところだ。完全に相談者の詳しい事情は完全に分からないので(肝心なことを言わないこともあるし),分かっている変数からそれっぽい答えを出すしかない。だから,相談者にとっては不満が残ることが多い。
メディアに対する人生相談と,知人,友人に対する相談の大きな違いは,「自分変数=オレ」を入力してくれるかどうかである。これ,当たり前なんだけど,知り合いの相談だったら知り合いの性質や詳しい事情も考慮して回答するが,知らない相手だったら考慮しようがない。だから,「私の個人的な事情抜きで,”世間一般の人”がこういうのを見たらどう思うか」を知りたいのなら,メディアに対する人生相談は有効である。
しかし,小町なんかで炎上しているトピを見ると,「変数オレ」で全て認めて欲しいというところが共通している。完全無欠の「変数オレ」が入力されている限り絶対に自分は悪くないのに,なんでみんなひどいこと書くんですか!? みたいな。で,「変数オレ」について説明すればするほど,なぜかみんなひいていくというのも共通している。
その変数オレはどう見ても世間一般の相場を超えるほど素晴らしくないというのは放っておいてやるけど,そもそも「変数オレ」なんか,読んでいる人は知らない。知らないから,「世間一般の相場」で答えるしかない。でも,相談者はなぜか世間一般の相場に「変数オレ」は入力したくない。
そんなに「変数オレ」を重視して欲しければ,友達とか家族とか変数オレをよく知っている人物にでも相談すればいいのだが,なぜかそういう気配はない。家族や友達すらも「変数オレ」の万能性を認めてくれなさそうからとか言わないでおくけど。
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2009.02.08
読売オンラインには,大手小町という名物コーナーがある。ここの「発言小町」が,今更ながらものすごい。トピ主の相談にレスをしていく形の掲示板(?)だが,痛々しいトピはソーシャルブックマークとか某掲示板で必ず話題になる。
そういう「痛々しい」感じのトピを立てる人というのはどういう人なのか,前から気になっている。ある程度「発言小町」を読んでいれば,「こういう内容なら,絶対トピ主が総攻撃にあうな」とか予想できるトピが次々に乱立するのだ。なので,ヘビーな読者からは「何かの釣りですか? こういうトピをわざと立ててアクセス数でも競ってるんですか?」というレスが来るくらいである。
小町に限らず,「○○相談」というのはネットに限らず,雑誌でも新聞でも欠かせない。こういう相談事には2種類の系統があって,1つは「専門的な知識を有する人に,当該ケースについての妥当な提案をしてもらう」というものだ。例えば,家計相談であれば,今の年収や家計の状況から,家を買うならいつ頃がいいか,いくらくらいならいいのか,子供を持つとしたら教育費はどうするか,など,相談者の要求に対して,専門家が「妥当な」答えを出す。この「妥当」というのは,世間の多くの例から考えて,相談者の家計状況からおそらく無理がないだろうということである。「宝くじで1等を当てること前提」とか「1か月の食費が家族4人で1万」とかそういう無茶は絶対にない。医療相談,法律相談もそうである。こういう類いの相談では,相談者の目標がはっきりしていて,それに対して「可能な手段」を提案する。
もう1つは「お悩み相談」という,ある意味答えがない系統のものである。ただ,こちらも,新聞や雑誌では紙幅が限られているし,相談者の個人的な状況を回答者が完全に把握しているわけではないので,どうしても「世間的にこういう線が妥当ではないですかなあ」という感じの回答になってしまう。「専門家に対する相談」ほど答えが限られるということはないのだけど,それでも「当たり障りがない」,「世間の人が聞いても,おそらく多くの人はそう答えるだろうなあ」という回答になるのだ。
一方,悩んで相談する側も,ある程度,相談する相手を選ぶものである。フィナンシャルプランナーに「うちの夫がアル中で家計が無茶苦茶です」と相談しても,家計のことはともかくもアル中の解決には答えられないだろう。
人生の悩みも同じである。相談する相手を選ぶものである。
そこで小町だ。
確かに小町的性質を考えた良トピも存在する。「現在妊娠中ですが,出産までにやっておいた方がいいことはありますか」とか「思い切ってなくしてみたらすっきりしたもの・習慣」とかは,主婦が多そうな小町にはピッタリでレスもなかなか有用なものであった。
しかし,こういう場に「うちの嫁がわがままで言うことを聞きません」というトピがなぜか連続して立つのだ。良く読むと,「僕ちゃんの大事な大事な実家と仲良くならないんです。」「嫁が一方的に悪いはずだから,僕は謝りたくないです。でも離婚とか恥ずかしくて嫌です」とか,フルボッコ警報が鳴りそうなものばかり。そしてトピ主総叩き。「友達が謝りません」とか「娘が自分の言う通りになりません」とか,そういうのもある。過去トピを見たら,その類いのものは,絶対に叩かれると予想つきそうなものなんだが。わざとやってるとしか思えない展開。
こういう叩かれるトピの特徴の1つは「結局どうしたいのか分からない」ところである。嫁と険悪だが,絶対に嫁が悪いはずだ,だから自分は謝りたくない,でも離婚は嫌。一体どうしろと。そういうトピで「お嫁さんの方が悪いですよねー」という賛同レスを集めて,それを嫁に読ませる気なのだろうか。「ほらお前が悪い」って。それってやっぱ離婚じゃね? あと,批判レスをスルーするか,批判レスに切れる,というのもお約束である。
本当にそういう人が世の中にいるだろうということは想像がつく。しかし,あそこまでの「化け物コーナー」ですよ? 絶対過去ログ読むでしょ? 本当に悩んでいるんだったら,過去ログ読んで,自分の欲しい回答が得られそうか考えるもんでしょ? 釣りでなければ。
あと,それぞれのトピに対してブックマークのマークがあるということは,あちこち晒されるのは覚悟ってことじゃないかと思うんだが。「発狂小町」は閉鎖してしまったが,ブックマークや掲示板で「これはひどい」とか「○ねばいいのに」とか言われるのも想定内のはずなんだが。
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2009.01.29
本日,「日々カタログ。」は開設5周年を迎えました。よくここまで続いたもんだ(笑)読んで下さる皆様のおかげです。どうもありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。
ここで皆様にご報告なんですが,サイドバーに貼り付けているgoogle adsenseによる収入がこの間ようやく100ドルを超えまして,振り込まれました。これ設置したの,2年前なんだよね。2年間の約20万アクセスで100ドル。儲けようとは思ってませんが,本当に儲からないもんですね。時々「落語天国」とか「矢来能楽堂」が出てくるので,クリックしたくなったことはあります,がしてません。
元々儲けるつもりで設置したのではなく,「何が出てくるんだろ」という観察目的でしたので,この100ドルは寄付しました。↓の「イーココロ!」経由で今「派遣村」で話題の「もやい」に1万円。

派遣村で話題になる前に,リアルご近所の瑠璃子さんにその存在のことを初めて聞きました。元々「もやい」は,ネットカフェ難民やDVで逃げてきた人など家が借りられなくて困っている人のための保証人になる組織だそうです。その時は「寄付は一口5万円」(その時はそう言ってた)というのにちょっとひいた,というのと,「本当に”人を食い物にしない”組織なのか」というので少し迷ってまして。
ただ,「都会で家を借りる」というのは,本当に大変です。親がいても退職後で年金暮らしだったりすると「働いている人に頼めませんか」と言われたり,働いている親がいてもいろいろな理由で断られたりとか。あ,ちなみに,私は結婚直後に家を借りる際に両方の目に遭いました。マジで。
結局カード会社の保証人サービス(毎月いくらか払うことで保証人になってくれる)を頼んで,無事家を借りられたんですが。
ただ。みんながカード作れるわけではないでしょう。親が既に働いていない人もたくさんいるだろうし,みんな色んな事情があって親戚に頼れるわけではない。誰かに頼れていたら,ネカフェ難民にもならないだろうし,DVから逃げるのを躊躇うこともないわな。
「家を借りられない」悩みは,他人事とは思えなかった。そして,今回の派遣村も。どうしてあんなに叩くかね? 自分がああならない保証なんかどこにあるんだろう?
あれだけ大声をあげないと,世間や行政は聞いてくれないんだが。生活保護が受けられなくて死ぬ人が出ると「なぜ言ってくれなかったんだ」と必ず言うでしょ? あ,でも,最近ちょっと思うんだけど,「生活保護を受けずに黙って死んだ」人を,世間は「偉い」と思ってるんじゃないかと。妄想だったらゴメンね。私ならみっともないくらい生きるけど。
その後いろいろ調べてみて,貧乏人を食い物にするどころではないし,別に5万でなくていいし,イーココロ経由で振りこめるので,1万円「もやい」に寄付しました。手数料が1割かかるのが難(1000円取られちゃう)だが,仕方ないか。
ということで,普段しないような話を書きましたが,どうぞ今後ともよろしく。次からは平常通りで行きます。
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2009.01.28
久しぶりのこのコラム。今回は禁断のテーマ「宗家問題」である。どこかの誰かの本のタイトルのようだが,「宗家がそんなに偉いのか」。
何度もこのブログで書いているが,能楽は基本的には日本舞踊や茶道,華道と同じ「習い事」である。だから各流派に「宗家」や「家元」が存在する。習い事ではない歌舞伎にはそういう人はいない(「市川宗家」という表現だけが例外)。落語だと立川談志が「家元」を名乗っているが,彼は弟子(素人・玄人両方)から上納金を取っているからである。
さて,宗家は偉いのだろうか。
調べれば調べるほど,「偉い」などという言葉で語れないものであることが分かってくる。
昨年,シテ方の宝生流では和英師が第二十世宗家を継承した。父の英照師は病気(……何も言うまい)で舞台に立てなくなり,3年前からご子息の和英師が宗家代行となっていた。ただ,和英師はまだまだ若い(当時は10代)ので,宗家代行に就任するにあたっても5人の流派重鎮が後見人となり,流派の運営をサポートし,宗家代行の指導にあたっていた。
宗家代行だった和英師が正式な宗家になることで,今までと何か変わるのだろうか?
多分,変わらないと思う。若い宗家を重鎮がサポートする体制はずっと続くだろう。そもそも,和英師が宗家代行に就任したのも,当たり前だけど本人が言いだしたことではなく,重鎮の側が「宗家が舞台に立てない状態が続くのは良くない」と判断されたからだろう。
宗家や家元というと「血でつながっている」,「宗家の息子が自動的に次期宗家になる」というイメージがあるが,確かにそういう側面はある。会社の社長を選ぶのとはちょっと違う(同族経営の会社もあるけど)。芸の上では未熟である若い人が宗家や家元になることも多々ある。しかし,「自動的に」というとそれは違う。流派重鎮のサポートなしに宗家や家元になることは出来ない。宗家が重鎮の指導を受けなくて良い,なんてことは絶対にあり得ない。
狂言の方だが,大蔵流の宗家継承について,狂言ハンドブック
には次のように書いてある。
大蔵流宗家でも,04年1月に二十四世大蔵彌右衛門が没すると,同年七月に,家元の権限を制約した内容を含む五箇条の条文のあとに,まず狂言大蔵流二十五世宗家大蔵弥太郎,次に狂言大蔵流各派代表として茂山千五郎,茂山忠三郎,善竹忠一郎,山本東次郎,最後に立会人として金春惣右衛門(太鼓金春流家元)が署名捺印した「確認並びに合意書」と題する文書が取り交わされ,長男弥太郎の宗家継承が認められた。こうした文書の取り交わしは能楽界初の事例であり,宗家継承手続きの現代化と評価できる。
和泉流の例の騒動を受けて,大蔵流では宗家の権限を明文化し,宗家継承についても文書化されたようだ。小林責先生はこの流れを評価されているようである。今までも重鎮同士で宗家継承について確認する手続きはあったが,文書化することによって誰の目からも明らかになる。
そして,本ブログでは,エヌエルさんも次のようなコメントを寄せて下さった。
能楽の宗家継承は「推戴」という言葉が最も近いと思います。「おしいただく」ということですね。
自流でいえば、二十四世逝去の後、千五郎家、忠三郎家、善竹家、山本家各当主の連名で宗家継承に関する緊急職分会の招集がありました。
私は所用で欠席し、委任状出席という形になったのですが、その席上で彌太郎師を二十五世宗家として推戴することが職分会の総意として決定されました。
このことが彌太郎師に伝えられ、師が内諾し、能楽宗家会に諮られ、宗家会の総意を以って大蔵流の二十五世宗家が彌太郎師に決まったという経緯でした。
この宗家継承についての流れは、宗家を戴く流儀においてはほぼ変わりないものと思います。
能楽の宗家が「血で継ぐ」だけでなく「芸で継ぐ」ことも同じくらい重要であることがご理解いただけると思います。
宗家とは,「職分が推し、推された方が戴く」ものである。そして,ここで影響力を持つのはやはり流儀重鎮。各家の代表が集まり,宗家継承についての会議を開いている。職分会の総意を決定し,更に宗家会にも諮って,ようやく宗家が決定するという流れである。
エヌエルさんは,某宗家騒動により,宗家継承についての誤った理解が広まってしまったことに心を痛めているとも書かれていたが,おそらく他の能楽師の方もそうではないだろうか。職分の合意を得ずに勝手に宗家を名乗ることを職分会は問題としたのであり,「彼が宗家になること」自体を問題としたのではないのだ。もう終わってしまったことだけど。
蛇足だが,宝生和英師といえば,彼が子供だった時に,稽古と舞台の様子がドキュメンタリーで放映されていた。英照師に怒鳴られて,泣きながら稽古していた。稽古後に一緒に泣いていたのが,故・裕子さんだった。あれから10年以上経ったが,こんな風になるとは……。そして,英照師といえば,某騒動の時に,例の人を庇おうとしていた人物。間狂言にも出してあげてたしね。でも,結局その好意も裏切られてしまった。若い和英師には,何とか頑張って欲しいと心から願う。
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2009.01.04
今年も「日々カタログ。」をよろしくお願いいたします。ちなみに,今年の1月29日で開設5周年を迎えます。3年くらいで飽きると思ったんですがねー,意外と続いたものです。
今年の年末年始。
・大晦日:年越し蕎麦を作って食べながら,「ガキの使い」を見る。クラウディアと板尾が良かった。テレ東のリットンを見届けようとしたけど,お酒で撃沈。
・2日,3日は国立名人会に行く。手ぬぐいをゲット。
・昨日は「ドリームマッチ」を見る。松本・内村って,完全に90年代じゃないか。個人的には,竹若・日村コンビと大竹・小杉コンビが良かった。やっぱり大竹って凄いよな。
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2008.12.31
今年最後のエントリです。カウンタでは471000アクセスを超えました。去年の大晦日の時点では363000アクセスでしたので,1年で10万超えたようです。更新が停滞した時もありましたが,どうにかこうにか続けることが出来ました。皆様のおかげです。どうもありがとうございました。
<どこ行く宗家>
今年を振り返ってみると,このブログの流れを決定的に変えたのは,宗家「直面」問題に言及するというエントリだったように思います。宗家の「直面」の説明がおかしくね? ちなみに堺市のショーでは「じかめん」って言ってたらしいよ(能楽では「ひためん」と読む),というエントリです(詳しくは当該エントリを参照)。
まず,このエントリ以降,このブログが「宗家の敵」と見做されるようになってきたように感じられます。まあ,しょうがないんですけどね。だって,これ,「能楽師」なら間違えちゃいけない事項だもの。歌舞伎俳優が「丸本」の意味が分からないとか,落語家が「上下」の区別がつかないとか,あり得ないでしょ? そのくらいのあり得ない話。更に「間」が悪いことに,宝生流の重鎮近藤乾之助師が直面で「鷺」を上演とか,フェスティバル狂言で,直面で「菓争」を上演というニュースもあったし。
更に,このエントリから,普通の(笑)能楽についての話も格段に増えました。今まで漠然と見ていて,分からなかったこと,気が付かなかったことに目が行くようになったというか。今後も精進していきます。
なお,宗家には次の言葉を送ります。
「どうもおぼっちゃん育ちが身にしみこみすぎる。」
……どうしてこんなにファーストガンダムが似合うのか。
<今年のベストコンサート>
今年は読響ばっかり行ってました。印象に残ったコンサートは,以下の3つ。
・R・シュトラウス「英雄の生涯」(2月・ホーネック指揮)
・ブルックナー交響曲第5番(4月・スクロヴァチェフスキ指揮)
・チャイコフスキー交響曲第6番(4月・スクロヴァチェフスキ指揮)
あと,ウィーンフォルクスオパーの「こうもり」でコロとコワルスキーを聴けたので良し。
そう言えば,この間ジャン・フルネが亡くなりましたね。最後の都響に行けて良かったです。
<今年のベスト高座>
ベストは,さん喬師の「たちきり」にしておきます。「柳田格之進」も「品川心中」も「芝浜」も良かったけど,ってどんだけさん喬loveなんだよ!
あと,印象に残ったのは,以下の通り。
・左龍 「淀五郎」 (この人の芝居物が好き)
・文左衛門 「らくだ」 (この時の燃えるかんかんのうが収められたDVDは購入しました)
・遊雀 「宿屋の仇討ち」 (もっと観たいよう)
・小朝 「中村仲蔵」 (お願いだから,寄席にもっと出て欲しい)
・権太楼 「疝気の虫」 (あの「助けて下さい」を生で観られて本当に嬉しかった(笑))
・小三治 「小言幸兵衛」「初天神」 ("cool"という言葉はこの人のためにある)
結構あるなあ。あ,他のがダメだったってことじゃないですよ。
<来年の展望>
・もっと狂言を観ようと思った。特に善竹家。というか隆司さん……。あ,とみいも。
・雲助師をもっと聞きたいなあ。でも,鈴本の興行の時期はなぜか私は忙しいので困る。
・歌舞伎から遠ざかりつつあるので,少しは戻ろうと思う。来年こそは片岡ススヌ君を拝みたい。
・というか,もっと仕事しろ>私。
ということで,皆様,よいお年をお迎え下さい。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
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2008.12.20
今年が終るまでにまだ10日くらいあるから,「今年のまとめ」なんてまだ出来ないのだけど,今年ほど「伝わる・伝わらない」でいろんな思いをした年はなかった。
先月のこのエントリでも書いたけど,今年ほどこれだけ書いても「本当に伝わらない」相手がいることに無力感を感じた年はなかったと思う。私には相手が理解する気がないようにしか見えないのだけど,多分向こうから見たら,私はすごく偉そうに映ったのだろう。
実は,こういう「伝わらない」という思いは,ネットだけでなく実生活でも何度も味わった。「もう,あなたに分かるような言葉は持ってないや」という気分になったことも両手の数以上あるし,「分かりたくなければ,目の前から去って欲しい」と思ったこともたくさんある。こちらにも伝えようとする気持ちが足りないというのを棚に上げて。今年初めて,「もう潮時かも」という思いが沸いてきた。
しかし,逆に「ものすごく伝わった」という気持ちを強く感じたことも今年は多々あったのだ。ギリギリまでああでもないこうでもないと悩みながら行ったプレゼンが受けたり,講義でも今まで誰も質問しなかったような鋭い指摘をするような学生がいたり。
ネットでもそうだった。「2人は蜘蛛の糸に浮かぶ夜露さ」と歌うのはキリンジだけど,思わぬところに伝わっているという実感を初めて持ったのも今年だった。裏でタレコミや励ましメールくれた方々(特に「宗家ショー潜入レポ」を送って下さった羽衣さん,本当にありがとうございました)あり,コメントを下さった方々あり,とうとう本職の能楽師の方もコメントを下さるようになった。「和泉宗家,定価20000円の写真集を方々に送り付ける」という衝撃の事実まで明らかになってしまった(笑) こんな話タダで聞いちゃっていいのかしら? いや,エヌエルさんには本当に感謝してもしきれません。
そして,最近,とある方からメッセージを頂いた。その方の名前は出しませんが,私がこっそり応援している方である。名前見た時に,椅子から転げそうになったね(笑) 震える手でお返事を書いたが,なんであんな余計なこと書いちゃったんだとか,もっと気の利いたことを書けば良かったとか,後で軽く死にたくなったけど(笑)
それはともかく,伝わってしまったのだ。折しも,そのメッセージをもらった日の3日後は年内最終の講義。いつもよりも教室の後ろまでが「見える」感じがしたが,実際,いつもは殆ど横を向いているような人達がその日に限っては,こちらをじっと見ていた。教室がすうっと静かになった。こんなのは本当に久しぶりだった。
その方がメッセージを下さったのは単なる気まぐれかもしれないし,あのタイミングというのも単なる偶然なんだろう。
また,その日の講義ネタ自体が良かったというだけかもしれないし,人は単なる偶然の連鎖から勝手に意味を見出すような習性を持っているというのも知っている。だけど,何となく「もうちょっと頑張ってみたら」とポーンと肩を押されたような気がした。その方がこのブログをまた読んでいるかどうかは分からない。というより,こんな私の気持ちなんか知ることなくお仕事に励んでいて欲しいと願っている。なんだかツンデレみたいだけど(笑)
「ある人に深く届く」というのは,もしかすると,「その他の複数の誰かに全く届かない」ということと表裏一体なのかもしれない。だから「別に分かんない人は分からなくて良いよ」というのが,単なる書き手の怠慢とは言い切れなくなるのだろう。
でも,たくさんの人に分かってもらえなくて良いよ,面倒だからと投げたくなることも多々あったけど,もう少し走ってみます。ブログも実生活も両方。「それらしい言葉をならべても 伝わることなどはじめからない」って私はスガシカオか。
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2008.12.17
岡村ちゃん(と言ってしまうところに年齢が現れる)も遠くなりにけり。
そんなことより泰葉である。もはやどんなステージにいるのか分からない彼女だが,ハッスル参戦が決定した。
それを聞いた時に最初に考えたことが,「ナンシー関なら何と書くだろうか」だった。ああ,小室逮捕についてもナンシーに何か言って欲しかった。恐山のイタコはナンシー関を呼べないのだろうか。泰葉ヲチャーの瑠璃子さん,どうなんですか!? そういえば,前に瑠璃子さんに「泰葉ってどうですか?」と聞かれたことがあったような。その時にモトヤンとの相似を感じておられたんだろうか。モトヤンほど笑えなそうだなあと判断したので何も答えずにおいたけど。
離婚会見からずっと彼女は「空回り」している。あの妙な会見に対して世間は「なんだかなあ」という反応だったが,あれが最初の誤算だったのかも。おそらくチヤホヤされたい人なんだろうけど,うまくいかなかったと。その後も注目されようといろいろしていたが,却ってドン引きというのが続いている。あそこまで来るとネタとして消化することも難しい。大体においてそれを本人が拒みそうで,そうなると「笑い飛ばす」ことも出来ず,どんどんと重たくなっていく。
もうマスコミも相手にしなきゃいいと思うんですけど,そういうことすると色んな意味で死ぬかもしれないしなあ。でも個人がテレビを治療に使うなという気もする。
そして今回のハッスル参戦。どう考えてもゴージャス松野とかモトヤンと同じ要員でしょう。インリン様ほどの芸はなさそうだし。今のところすごく生き生きしてる感じがするが,終わった時の反動が大きそうで恐ろしい。
取りあえず金髪豚野郎(笑 いや,笑い事じゃないんだけど)には落語に専念して欲しいし,さん喬師の悪口はやめて欲しい(権ちゃんは?)。
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2008.11.24
前エントリでもちょっと書いたが,今更ながら「宗家ブログ騒動」について書いてみたい。宗家ブログが荒れただけでなく,明らかに当方を「荒らしの張本人」呼ばわりする輩も現れたので,いろいろ考えた末こちらは撤退した。改めて言っとくけど,向こうに書きこんだことなどない。自分のブログを持っていて好きなだけ書ける人間が,なぜわざわざ向こうに出向いてイミフな書き込みをするんだろうか。
今後のことについて(少し真面目に)というエントリにも書いたのだが,狂言の良さを伝えることにもう少し力を入れたいという気持ちが湧いたというのが一番大きい。実際には,仕事が忙しくてなかなかうまくいかないのが悩みどころなんだけど,情報交換とか気楽に出来る場にしたい気持ちはずっとある。
しかし,他にも理由があった。当時は書かなかったけど,今だから書く。
1つは,「おそらく今後も似たような感じでずっと行くんだろうな」という予感があったこと。ブログの客が実際の観客動員には結びつかないとか,また訳の分かんない人達がいろいろ寄ってくるんだろうとか。で,実際にそうなっちゃってるみたいね(笑) 知らない賞はもらうし,手で子宮筋腫治すおっさんと写真撮っちゃってるし。
そしてもう1つは,「”全肯定”しない人達を敵と見なすメンタリティ」に辟易したからである。
私がネットで知りあった人達の中には,「自分が愛する国がいっさい悪いことをするわけがない」という無茶な前提を持った人達(いわゆるネット右翼という人達ですな)と日々闘いを続けている方々もいるんですけど(サイドバーの「あわせて読みたい」を見ると,時々ビックリします),彼らの苦悩や無力感が実感できましたよ。とにかく「事実」には目をつぶるし,事実を指摘する相手は敵視する。宗家のファンも,全員じゃないけど似たような匂いがする。
狂言の歴史において今まで全く何の不祥事や問題もなかったなんて本気で思い込んでいる狂言好きっているんだろうか? 私が一番お世話になった某家についても,こっそりと「今は無理かもしれないけど,人数も少ないんだから,一緒にやった方がいいんじゃないですか?」と願っている。イケメン狂言師が○○したことが報道された某家のファンの方だって,「彼がそんなことするわけない!! 陰謀だ!」とか思ってない,ですよね? 「困ったもんですなあ,今後は気をつけてもらわないと」とか思いつつ,応援しているんじゃないですか?
ついでに,私がものすごく好きな噺家さんの一人は,破門されて別協会で復帰した(苦笑) 破門の原因となった事件自体は事実なんだろうから,いつかは両人ともに笑って話せる日が来て欲しいと願っている。しかしそれはそれとして,私が彼を応援する気持ちは全く変わらない。
「好き」であることって,そういういろんな「負の要素」を認めて,どうしたらいいかを考えたり,逆にツッコミを入れて笑い飛ばしたりすることじゃないかと思っていたんだが,違うんだろうか。「完全無欠じゃないと愛せない」って不自由過ぎやしないだろうか。まあ,私自身が「隙のないもの」よりも,「欠点はあっても,それ以上の大きな魅力が感じられるもの」が好きだからかもしれないけど。
ついでに,アパグループのこぼれ話1つ。昔,出張で金沢に行った時に,安くて便利だからアパに泊まったことがあります。ホテルの必ず聖書が置いてある引き出しを開けたら,社長と社長夫人の伝記(ヨイショ本)が入ってました(笑) あまり内容がないからヒマだから全部読んでしまったが,「なんだかものすごい会社だ」という印象は持ちました。なんつうか「濃い」人達だと思った。……本当にそうだったみたいね。
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2008.11.22
先週まで約1週間仕事で日本を離れていて,その間ネットの接続環境が著しく悪かったせいで(金取る割に,ものすごく遅い!),急ぎのメールに対応する以外は殆どネットに接続しなかった。帰国してからブログを巡回していたところ,こっそり見ていたブログが閉鎖(?)していたり,更新終了を宣言していたりした。リアルタイムで読んでいたわけではないから詳しい事情はわからないが,ちょっと寂しい。
もう4年以上ブログを続けているが,今までに1回だけ本気でブログ休止を考えたことがある。最近忙しかったり体調が良くなかったりして,1週間に1回くらいしか更新ができない状況だけど,そういうのは今までも何度かあって,それでも当人の中では「休止している」という意識は全くない。こんなエントリでも実は結構時間がかかっていて,こま切れな時間だと落ち着いて書けないのだ。でも,そのうち時間が出来れば書くつもりではいるのだ。
あと,「荒らし」コメントが来た時も,某掲示板でいろいろ言われた時も,某宗家ブログでいろいろあった時も(あの時,アクセス解析見てたら,アメブロのメッセージがリンク先にあったな。「正義」の皆さん,本当にご苦労様です),「やめる」も「休止」も全く考えなかった。
むしろ,ここでやめたらいけないと強く思った。ブログ書くのって孤独なんですよ。ここで閉鎖したら,その時悲しむ人はいるかもしれないけど,1週間もすればきっと忘れるんですよ。だから閉鎖したら負けだろうと(でもミクシで愚痴ってましたが(笑))。今になって,あの騒動についてはいろいろと思うところはあるんだけど,それは次で。
では,その「1回」とはどういうものだったか。このブログをいつも読んで下さっていたある方がコメントを書きこんだ。その内容は何も知らない人から見たらどうかというもので,当人から後で謝罪のメールが来た。しかし,そのコメントを読んだ時点で,悪意どころかこちらに対してすごく期待しているような気持ちで書かれていたことは私にも理解できた。
しかし,私には「重かった」。「別にあなたにお金もらってこのブログ書いてるわけじゃないんですけどー」とか,当時もとても忙しくて,ネタはあってもエントリは書けない状況で,ようやく書いてこれかよ!とか,本当に言っちゃいけないことばかり頭を駆け巡った。そして,そういう気持ちは多分伝わらないような気がした。そこでいったん本気で休もうと思った。でも結局休むこともなく,スルーしてしまった。ひどいなあ。重たい気持ちが人を萎えさせることは意外と多い,ということを痛感した。
で,結局なんだかんだ言ってブログを続けているわけですけど,おそらく私はどこか鈍感で図々しいからだと思う。あと,「別に今日無理しなくてもいいや」という気持ちでやってるからというのも大きい。
それはそうと,「SORORI」のチケットが買えました! とみいからメールが来て恐縮(笑) 初とみい楽しみであります!(あ,隆司さんも勿論!(笑)) ムラさん,ありがとうございました。東京近郊の皆様も是非。とみいに個人情報を握られてしまった以上,これから毎年熱い暑中見舞いが届くはずです。想像するだけで鼻血が止まりません。
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2008.11.10
よく芸能人を評するのに,「あの人本当はいい人らしいよ」という言葉が使われる。ドラマで悪役ばかり演じている俳優や女優に対して使われるし,「芸はつまらないかもしれないけど……」という前提の元で使われることもよくある。
実を言うと,私は芸能人が本当はどんな人間であるかということにあまり興味がないし,「友達になれそう」という理由で好きになることもない。記者会見やら本人のブログやらで,「当人がどんな風に世間に思われたいか」の自己申告の内容には興味はあるけど,それも1つの芸だと私は考えている。泰葉も一種の芸(笑) 多分。「本当はいい人」かどうかなんてどうでもいいと考えている。
私自身は,芸能人は人が悪いよりも芸が面白くない方が罪深いと思う。そして「本当はいい人なんだよ」と言われてしまう芸能人は,どうしようもないと思う。芸がつまらないことのフォローの言葉なんだから。芸が良かったら,「本当は」はないでしょ? あと,演劇でも落語でも,「単なるいい人」ではダメなんじゃないだろうか。人間の悪感情も見据えられる人が名優とか呼ばれるんじゃないだろうか。
とは言っても,落語会なんかに行くと,落語そのものよりも落語家と親密になることに興味があるようにみえる人たちなんかいたりする。正直言ってげんなりする。いや,「落語家さんの気持ちは」分からないでもないのよ。お得意さんを作っておこうってことだろうから。実は,狂言方の先生方も似たようなことをしていた。きっかけは何でもいいから公演に足を運んでもらって,徐々に狂言でも落語でもそれ自体を好きになって欲しいということだと思う。でも,なぜかそうならない感じのお客さんもいるんだ。
このブログは,職分の方も読んでいらっしゃるので,こういうことを書くのは緊張するんだけど,能楽師の先生方の素に触れてみて,「友達になれそう」と思ったことは1回もない。と書くと,「能楽師って性格悪いのか!?」と思われる方もいるかもしれないが,そういうことではない。確かに,舞台とは違って,普段は暗いというか物静かな感じの方だったり,でも夜になるとはじけ飛んでいたり(笑),「芸の肥やし」と言っていいのか分からない武勇伝を持っている方も少なからずいらっしゃる。
でも,私自身はそういうのをイヤだと思ったことは全くない。謙虚でない方を見たことがないからだ。皆さん,自分の芸については恐ろしく謙虚で,先人に対する尊敬の念が行動の端々に伺えるのだ。例えば,私が習った先生は,あまり自分のことを話そうとしない。時々何かの折りに思い出して,「あの時の稽古では父親がこんなことを言ってた」とか「戦時中はこんなことがあった」とか一門の話とかポツポツ話すこともあるのだが,苦労話は本当にしない。苦労してないからじゃなくて,「大したことない,みんなそうだし。話すのもなんだか恥ずかしい」という感じなのだ。だから,先生が時々思い出したようにする昔話は,弟子みんなで語り継ぐ。
「能楽師の方と友達になれなさそう」と私が感じるのは,単に私が「習ってしまった人」だからだ。研修生が終わったばかりの方でも,「プロとしてやっていくぞ」という気概の人間と,単に習っている人間との間には大きな溝があるんですよ。覚悟の量が違うというか。そして,プロとしてのキャリアが長い人間ほど,他人に対して苦労話なんかしなくなっていくんですよ。そこまで来ると,いい人とか悪い人とかじゃなくて「凄い人」なんですよ。近所のレストランで夕食食べてたら,たまたまそこに居合わせた能楽師の方と意気投合ということはあるかもしれませんが,能舞台で観ちゃうとねえ。
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2008.10.20
あなたの趣味は?と聞かれたら,私の場合「観劇と音楽鑑賞」と答えるしかないだろう。趣味といえるほど大した回数観たり聴いたりしているとは思えないが(世の中,私なんかよりももっと通っている方はたくさんいるので),世間の印象もいいので。あと「料理」も好きで周期的に特定の料理に凝ったりしてるんだけど(最近までのブームは「ラーメン」。化学調味料を使わないでいろんな出汁でどれだけ店の味に近づけるか試していた。贅沢だけど,ひき肉を使うとスープが格段に美味くなることが分かった),料理は日常的義務の1つでもあるので,趣味と言いにくいとこがある。
クラシック音楽,落語,歌舞伎,能楽,と,とりとめもなくいろんなものを観ているわけだが,当たり前だけど実際に観にいく回数は限られる。お金の都合もあるし,仕事もある。
こういうところが私の生半可なところかもしれないけど,仕事や日常を犠牲にすべきじゃないと思う。観劇は日常に彩りを与え,「明日も頑張るぞ」という気持ちを与えるものであってほしい。若い頃仕事を頑張ってきた人が定年後に楽しむというのは別として,「趣味」なんだから。
あと,体力の都合もある。あまり体調が悪い時にコンサートとかいっても楽しめなかったりする。私の場合,結構そういうことが多い……。
ということで,私の場合,こんな感じで日程を決めている。
・チケットの発売順
一番早く決まってるのがクラシック音楽。まず読響会員だから年間日程は決まってる。あと,海外オケの場合遅くとも半年前にはチケット発売される。
次が一部のホール寄席と一部の能楽。これが2,3ヶ月前。同じ日に上演されるもっといい公演が後から発売されることも多々あるのだが,一切後悔しないことにしている(笑) 歌舞伎と能楽堂の定期公演が前の月。寄席の定席は直前に決める。……そういうことでなかなか寄席は行きにくくなってしまう。
・同じ公演,同じ演者は続けて観ない
8月にさん喬師を観に10日中3日も通い詰めたのはどこのどいつだという感じですが(笑) どんなに好きでも,あんまり連続して何度も観ると,「こないだの方が良かった」とか「今日は体調いいのかしら?」とか余計なことを思いやすいもんです。大体において飽きてきますし。いくら好きな噺家,演者でも月に1回くらいがよろしかろうと。
そう思いつつも,つい何度も観ちゃうんだ,トホホ……。「チクルス」という言葉にも弱いし……。
・ハシゴはなるべくやめる
歌舞伎で昼夜連続で観るとか,かなりの確率で途中で気を失う。私は集中して観過ぎなのかなあ……。
・追っかけはなるべくしない
その地方でしか見られないものなら仕方がない。例えば,上方落語は東京だと公演回数が少ないし,東京に来る人は限られているから,大阪まで観に行くというのは分かる。逆に東京でしか上演されないものもたくさんあるから,それを観に来るというのも分かる。あと,公演が行われる建物自体に意味がある場合はそこまで行って観る価値があるだろう。私の場合,「南座」は嬉しかったですなー。
しかし,ツアーとか地方公演というのは,基本的に「普段はそれを観られない地元の人たち」のためにあるはずだ。そのチケットを「いつでも観られる人」が取るのはどうなんだろうと思う。
時々いるんですよ,特定の落語家さんを地方まで追いかけた揚句,「また同じのやってる」とぼやく人が。そんなところまで追いかけるあなたが悪い,と言いたい。
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2008.09.29
久しぶりの能楽エントリです。今日のテーマはタイトルの通り「私を能楽堂に連れてって」。Take me out to the Noh Theater♪
このエントリのコメント欄でも話題になったのですが、能楽というとどうしても敷居が高いイメージがあります。このブログを読んで能楽に興味を持った、だと嬉しいですが、例えばテレビで最近人気のあの狂言師の方を見に行きたい!とか思ったとしますよね。でも、「能楽って何か大変そう」と思って足踏みしてしまっている方も多いかもしれません。そういう方へ送るエントリ。
おそらく能楽にはこういうイメージがあります。
1.料金が高そう。
2.マナーにうるさそう。着物とか着てないと会場に入れてくれない感じがする。
3.内容が難しそう。
まず最初の「料金」の点ですが、高いものもあれば安いものもあります(笑) 傾向としては、まず「貸劇場公演」(能楽堂が主催する定例公演ではなく、主催者が会場を借りて行う公演)の方が料金が高いことが多いです。会場料がかかりますから。あと、「特別公演」とか「記念公演」は高いことが多いです。大概はそういう公演では普段なかなか見られない披き物があったり、普段よりも番数が多かったりするからです。特にお能だとそういう傾向が強いです(人数も必要ですからね)。あと、身も蓋もないことを書くと、人気があってそこそこの集客が見込める公演の方が実は安いです(笑)
ちなみに国立能楽堂の普及公演(大体2時間くらいの公演)だと、一番高い席で5000〜8000円です。東京で安くて内容が充実しているので前から有名なのは、杉並能楽堂の山本家の公演です。一般でも2000円で3番も狂言が見られます。学生は、たった1000円! ということで、探してみると安い公演も結構ありますし、料金が安いからといって質が悪いわけではないのです。
ここで強く言っておきたいのは、能楽では学生料金は非常に安いことが多いです。むしろ学生からも普通に金取ろうという主催者は(略) ここを読んでいる学生の方がどれだけいるのか分からないですが、学生の方は学生証を持って行きましょう。時間がある学生の方こそ能楽堂に行って欲しい。
2番についてですが、能楽堂は寄席や歌舞伎と違って、場内飲食禁止です。ロビーではいいですけど、会場に入ったらダメです。そして、能楽ではいったん始まったら「基本的に」途中入場は出来ません。実際は時々いるみたいですけど、演者の方にも他のお客さんにも迷惑ですのでやめて下さい。曲が終わったら入ることが出来ます(会場の方の誘導に従えばいいと思います)。あとは、普通の舞台観賞と同じです。
服装ですが、確かに着物の方も時々はいらっしゃいますが、大概は普段着です。仕事帰りのスーツの方とか大学帰りのジーンズの学生とか、能楽堂に平気で入っています。ジーンズでも入れてくれますよ(笑) (ただ、個人的には、一番高い席にジーンズ・スニーカーみたいな服装はどうかなとは思っています……。歌舞伎でも、優雅な1階の桟敷席と天井桟敷の幕見席とで服装が同じでいいとは思えません。でも、単なる一観客の意見ということで)
さて、一番肝心の3番ですが……。正直言って分かりやすいものもあれば難しいものもあります。能よりは狂言の方が分かりやすいことが多いですが、最初は「附子」、「柿山伏」といった、内容が分かりやすいものの方がいいかもしれません。動きがあって面白いですしね。言葉が時々わからないこともあるかもしれませんが、あまり深く気にしないように(笑)
といっても最初は心理的抵抗があるかもしれないので、市民会館や公民館などの狂言の公演がお勧めです。能楽堂だけでなく、市民会館や学校でも狂言の公演がよく行われます。こういう公演では、最初に演者の方が、狂言の歴史や見方、今日の演目について詳しく解説をして下さることが多いです。大体は若い方が解説されますが、時々重鎮の方も出てこられます。以前私の実家近くで行われた公演では、野村万作師が自ら解説されてました! そしてこういう公演だと、大体初心者でも分かりやすい狂言が上演されやすいです。当然普段着でOKですし、料金もそこそこです。最初から能楽堂というのが恐い、あるいは、近くに能楽堂がない方には、こういう公演の方がいいかもしれません。
最後に。どんなものでもそうですけど、1回見てよくわからなかったからといってそこで諦めないで下さい。何度も見ているうちに分かるということもありますし、演者や演目との相性というのもあります。意外と大きいのは演者との相性です。何がどうとか書けませんが(笑)それはともかく、どうぞ3回は見て下さい。
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2008.09.11
このブログでは、最近は落語やら歌舞伎やらクラシック音楽やらの感想もそこそこ書いている。最初は単なる備忘録だった(実は意外と役に立っている)が、最近は検索経由などで結構読まれているし、感想録を目当てにリーダーやアンテナに加えて下さっている方もいるようだ。
そこそこ読まれているとなると、こちらもちゃんと書かなくてはなるまい。一応これでも舞台やコンサート、寄席の感想を書く時にはいくつか気をつけていることがあるので、それを書いてみる。
1.行った日付を書く
舞台でもコンサートでも、「ナマモノ」は日によって色んなことが起こる。例えば歌舞伎の興行でも、日によって台詞の入り具合やアドリブなどいろんなところが変わってくる。勿論、客席も毎日違う。つまり、その日私が観たものは「その日」のものであり、「毎日そうである」とは限らないのだ。
ということで、読まれる方も、「この日はこうだったんだな」と思って読んで下さい。
2.ネタバレはしない
これは良く考えると難しい。一応、歌舞伎の新作、オペラは公演が全部終わってから感想を書くようにしている。オペラの場合、演出を楽しみにしている人が多いからね。歌舞伎、落語、能狂言、クラシックのコンサートは、ネタバレも何もないので出来るだけ早く感想を書くようにしている(が、忙しくてすぐに書けないこともある)。
「ネタバレ注意。ここからは読みたくない人は帰れ」って書いてもいいんだけど、ネットに文章を上げたら読まれちゃうものだと思ってるので。
3.「もうこいつのは絶対に見ない!」と思った時は、いっさい書かない。
いろいろと面倒だから(笑) 自分が好きな役者さん、落語家さんが、「あ〜」ということをした時にはきついことも書くけど、それはまた観るから。もう見ない人はどうでもいい。
4.演目や曲目は全部書く。
特に落語。最初は落語をよく知らなかったから出来なかった。でも、演目は全部書いた方がいい。自分のためにも(笑)
5.あまり詳しく書きすぎない。
これは趣味の問題なんですが。
落語とか歌舞伎の感想を書いたブログで、時々すっごく細かいところまで書いちゃってる人がいます。で、私も行った会の感想を読むと時々イヤな気分になることがあるんですわ。別に私が好きな役者さんや噺家さんをけなしているわけでもなく、むしろ、「私もそう思った」と思うことの方が多いのになぜか。自分の頭の中の記憶が、その人の文章で上書きされるような感じがするんですね。
それを観に行った方が「そうだ、あの時はあんなこともあったよな……」といろいろと「各自で」思い出してくれるような、自分の頭の中の記憶を探る作業をしてくれるような、そんな文章の方が個人的には好み。
更に欲張ると、そこにいなかった方には、「あー、それ観たいなあ」と思わせたい。思いっきり羨ましがらせたい(笑)
まだまだ未熟ですが、そんな文章を書けるようになりたいものです。
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2008.08.20
劇には必ず台本がありますが,狂言にも勿論台本があります。ただし,普通は各家で実際に使用されている台本は簡単には見ることが出来ません。先生について習っている方が発表会のために少し借りることは出来ますが,それ以外には目にすることは難しいのではないかと思います。大事なものですからね。しかし,一部の家の本は書籍として公開されています。今日はその紹介をします。
狂言の曲のあらすじを紹介する本はいくつかあり,そういう本は初めて狂言を見る場合にはとても役に立ちます。でも,何度か観ていて「ここは何て言ってるんだろう?」とかいろんなことが気になってきた時には,あらすじだけだと答えが分からないことが多いんですよね。ちなみに,台本はこれから発表会の曲を決める方々にはもっと役に立ちます(笑)
・岩波文庫「能狂言 上・中・下」
とても古い本なので,もう売ってないかもしれません。ただ,岩波文庫だからどこの図書館にも絶対あります。
大蔵流の底本「大蔵虎寛本」165番が収められています。旧かなの台本が書いてあるだけの本なので,ものすごく読みにくいです(笑) 狂言の舞台をある程度観ていて,台詞とかある程度頭に入ってる状態でないと読めないし,イメージもつかめないかと。狂言の台本には動きは書いてないですから。当然ですが新作は含まれてませんし,和泉流とは台本が違うところがあります。
でも文庫なので場所を取りません。大学の部室にはこれを常備していて,曲を決める時に参考にしてました。
・狂言集 (新編 日本古典文学全集) 小学館
茂山家が現在上演する舞台をそのまま採録した本です。写真,演技演出の註を加えて38曲が収められています。
とても台本が読みやすく註も充実しているので,最初に手に入れるのにはこちらがいいでしょう。ただ,38番って少ないよね……。どーんと100番くらい収めて欲しい。
狂言集(日本古典文学大系) 岩波書店
山本東次郎家の台本110番を収めたものだそうです。……私は見たことない(汗)。もう古書店にしかないようです。
あと,狂言に必要なのは謡本です。昔は和泉流の謡本はわ○や書店で扱ってましたが,もうないようです(例の騒動のせいか……)。今はどうしているんだろう? 能楽の謡本は割と手に入れやすいんですけどね。
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愛用していたiMacが病院送りになりました。今月に入ってから,突然電源が落ちる,または電源がなかなか入らないなどのトラブルが続き,日曜についに電源が入らなくなりました。家で仕事をしたり,ブログ書いている時も,ひやひやしてました。というか,実際に何度かコメント書いてる最中に落ちたのよ。起動している時に,Tech Toolでハードウェアを検査したけど,何の異常もない。電源だけがおかしくなったのだろうか? この構造だと熱が逃げにくいからなあ。いろいろ検索したら,iMac G5ではそういうトラブルが多かったらしいが,Intelだとそういう事例を1つしか見つけられませんでした。
これを買ったのは去年の7月末。ちょうど1年。まさかAppleにも某社と同じようにタイマー(略 いやいや,入ってて良かったProtection Plan。
日曜にサポートに電話して,無償で修理してもらうことになったのですが,「電源抜いてから長時間放置したりしましたか?」とか質問されたけど,そういうことは全部やったよ。てのと,トラブルが起きたら24時間放置しなきゃ元に戻らないパソコンってどうなのよ? それって役に立たないのでは,と思いつつ,火曜に引き取ってもらう約束をする。
月曜に気まぐれで電源を入れてみたら。
普通に起動してるんですが。
うわあ,どうしよう。でも,土曜の昼は普通に起動してたけど,日曜になったらダメになってたし。まだらなんちゃら状態。とりあえずバックアップの取り残しを確認して,電源落とす。火曜には無事入院いたしました。
……てことで,今使ってるのは,iMacの前に使ってたPowerbook G4,チタニウムであります。CD-ROMの調子が悪い以外は健在。というか,これがダメになったら,もう終わりであります。
それにしても何がいけなかったのか。最近続いた雷雨のせいか,それとも呪いか。
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2008.08.16
今日の能楽Q&Aは写真入りでお届けします。能楽の必須アイテム「足袋」の話です。
狂言の舞台をご覧になったことがある方はご存じかもしれませんが、冠者や山伏などの足元をみると、足袋が白くありません。黄色いです。狂言の登場人物の殆どは、黄足袋を履いています。
これが黄足袋です。微妙にシワがよってるなあ(笑) 神保町の足袋屋で買いました。「肌」の色を表すために黄色くしています。冠者や山伏は、普通の白足袋を履けるような人達ではなかったということです。だから「木六駄」では、太郎冠者は雪の中、手も足も凍えて大変辛いのです。
……と聞いたけど、コメント欄にもあるように昔は鹿皮の足袋だったからその名残では? という話も。

アップにするとこんな感じ。結構丈夫です。でも、普段のお稽古ではもったいないから履きません。すり足ですぐにダメになるからです。普段は白足袋でした。しかし、この黄足袋、これからどうすればいいんだろう……。履く機会はあるのか?

滅多にみられない黄足袋の裏側。底は緑っぽい布です。ちなみにシークレットじゃないですよ(笑) それにしても写真があまりうまくないな。
というか、能楽の足袋に細工をするということはありえません。エヌエルさんによれば、足の裏の感覚も非常に大事になってくるからです。
面を付けると視界が極端に制限されます。
足の裏の触感も視覚を補う要素になります。板の目何枚目を通過したかで舞台中心を把握することもあります。
ですから、感覚を鈍らせるような細工はおそらくどの方もしていないと思います。
素人でも「常座」(登場人物が名乗る位置)くらいまでは足の裏で把握できますが(明らかにそこだけすり減って凹んでいるから)、プロは板の目まで数えています。というのは、下を向けないからです。エヌエルさんも仰ってましたが、シテ方が面をつけて下を向くと表情が変わってしまいます。面をつけてない狂言方でも、下向いて歩くと何だか変です。ですから、「使える感覚は全て使いたい」とのことです。
プロの能楽師の凄い話。
水上に突き出た特設舞台で船弁慶が行われた時のこと。水上舞台ですが、特設ゆえに柱がないところが難しさを倍増させます。下は見えませんから(見ようと下を向くと面を曇らせることになる。面を曇らせると表情が変わるのでそのようなことはできません)舞台の端の見当がつかないのです。
おシテは「ここは五足くらいで止めとかないと危ないな」などといいながら一通りの確認だけ行い、それで本番。その先生は、本番ではかなり前のほうまで出てこられていました。
篝火の中、立派な芸を見せるそのシテ方を見て、私はプロの凄さを見せ付けられた思いがしました。
薪能のシーズンですが、どこの舞台も能楽堂のようにはいきません。舞台の広さも舞台の材質もまちまちです。しかし、どんな舞台でもベストを尽くすのがプロなのです。もしこれから薪能に行かれる方は、そういうところも見て下さると嬉しいです。
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2008.08.15
他の人のブログを読んでいて、時々、ちょっとしたことから「この人、同年代の人だ」と気付くことがある。自分の年齢プラスマイナス5歳くらいだろうと推測し、あまり外したことはない。
例えば。
布施明の代表曲は「君は薔薇より美しい」であって、「シクラメンのかほり」のような辛気臭い歌ではない
という主張をしているブログを2つ知ってる(笑) 全くその通りであって、歌バカ布施明が「歌い上げる」のに適しているのは「君は薔薇より美しい」である。
去年放映された「お笑いウルトラクイズ」が楽しみで楽しみで(略)
それは私も(笑) いくつかのブログで感想を読んだ。この年代は、ダチョウ倶楽部も何となく好きだ。来年も山本モナ救済のためにやってくれないだろうか。
南野陽子の変わらなさについて
私の知る限り、3人のブログ主が語っていた。そんなにみんなナンノが好きだったのか……知らなかった……(笑)
あと、なんだかんだ言ってベタな大映ドラマが好きで、サッカーよりも野球で、ビートたけしを悪く言えない、そんな世代だ(と決めつけてみる)。
だが、おそらくこの世代の最大の地雷は小沢健二である。地雷というかトラウマというか。フリッパーズギターでも心が痛むが、小山田圭吾ではなく小沢健二の名前を聞くと、いまだに妙な動悸がする。小沢健二の近況が時々ニュースになるが、どうしても耳をふさいでしまう。中田英寿だと半笑いできるのに、小沢健二だとそれができない。そんな人は私だけではないと、誰かのブログを読んで安心することがある。
バブルが終わって、祭りの後のようなけだるさと閉塞感が東京の街を覆っていて、そんなトーキョーに王子(笑)が君臨していた。いや、90年代の王子といったらオザケンに決まってるだろう。
勘違いした男が彼女を仔猫ちゃんと呼び(うひゃー)、冬にはみんなダッフルコートを着ていた。そんな時代の東京で、私は大学生だった。あの時のやけくそ気味の高揚感を小沢健二は体現していた。過剰な自意識と過剰な言葉で。
現在、私は過剰な自意識と過剰な言葉でブログを綴っている。そして、オザケン的なものから逃れられない人達からも、過剰さを時々感じることがある。それもまた、心が痛むところである。
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2008.08.14
ここ数日のアクセス解析を見てみたら、「石川顕」で検索してここに来ている人が急増していた。石川顕とは、TBSラジオの野球中継でおなじみだったアナウンサーだが、なぜこの時期に石川顕?と不思議に思っていたのだが、どうやら夕刊ゲンダイの「あの人はいま」に石川顕が出てきたらしい。前にマスターズリーグを観に行ったら石川顕が出てきて、試合中にごちゃごちゃ喋っていて試合を明らかに妨害していて鬱陶しいから何とかしろというエントリを書いた覚えがある(笑)
他の「検索ワード」もついでに見てみたのだが、相変わらず「なぜこんなことを?」そして「なぜその検索ワードでここに来る?」というのが目に付くので、取り上げてみる。一応、載せても大丈夫そうなのだけ選んでいる。
・春風亭正太郎
春風亭期待の前座さん。何しろ前座さんだから情報が少ない。
・谷亮子 発言 意味がわからない
・谷亮子 結婚式 勘違い
ノーコメント(笑) 時期もあってか、谷亮子関係の検索が多い。
・ダメなわたし むなしい 別れ
一体何を調べてるんだろうか。歌詞くらいしか思いつかない。演歌かムード歌謡っぽい。
・痔をほっとくと
おそらく大変なことになる。
・特殊セーラー服
私そんな単語使ったか? と思って調べてみたら1回使ってたorz うわあ。
・ムラムラ 授乳
何を求めて生きているのか。
・6文字の片仮名
ハンドアウト、サンドイッチ、コントロール、パントマイム……。
・年忘れにっぽんの歌を見学するチケット応募
ミッキー・カーチスはまだ出てるのだろうか?
・マキアージュ マジョリカマジョルカ 違う
同じ資生堂だけど違います。
・怪談 涼しい理由
去年書いた一龍斎貞水先生の怪談についてのエントリでも話題になった。なぜ日本人は怪談で涼を取ろうとするのか? 他の国にもそういうものがあるのだろうか?
・米朝事務所 美人マネージャー
・桂小米朝 美人マネージャー
そうなの?
・能楽協会はいつ成立
いつなんだろう? 能楽協会のサイトにも書いてない。
・盆山 狂言 教本
狂言台本って売ってるんだろうか。謡本なら売っている場所を知っているが。それよりも、どこかの先生に習った方が早いのではないか。
・能楽師 収入
……人によると思います。競馬で一晩で○万すっちゃう人から、バイトしている人まで。
・能楽 習う
ぜひそうしてください。
・ブログに誰もこない
そう言われても困ります。
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2008.08.09
関西というか大阪の電車に乗ると、驚くことが多い。扉の前に並ばないとか、ヨーロッパのターミナル駅みたいな阪急の梅田駅とか、ジューススタンドの多さとか(どこでもミックスジュース売ってる)、なんばの地下街でアニマルプリント(ラメ入り)の服が普通に売られているとか、キダ・タロー先生のポスターとか。ホームで既に焼き肉の匂いがする鶴橋駅もすごい。
そんなすごい大阪の電車の中で、一番驚いたのが、これ。
ゆびをつめないように
扉のところに貼ってあるシールに書いてあった。要するに、扉で手をはさまれたりしないように注意しろと言うことなんだけど、ゆびをつめないようにって。
そんなことはいいとして、今日は夏だから鉄道の話。べっ、別に鉄子じゃないからね!
コメント欄でも書いたけど、某所で撮った昔の近鉄の車両。某所と書いたところで、行先表示で分かっちゃいますが。これには乗ってません。この車両は見たことないなあと思って調べてみたら、南大阪線を走っている16000系で狭軌系なんだそうな。なるほど!
昔の南海ズームカー。20000系です。高野山を走っていた車両。ただし、ここではワンマン用に運賃箱が前に置いてあります。これは乗りました。
そういえば、関西で南海って乗ったことないような気がする……。
なぜか熱狂的なファンが多い(笑)京阪。なぜか人間国宝の目撃率が高い(南郷力丸氏談)京阪。なぜか淀屋橋と出町柳が終点の京阪。ワンセグ時代でもテレビカーの京阪。京阪には不思議がいっぱい。おけいはんの先生がモーツァルト北浜って(笑)
これはテレビカーじゃなく、扉の前に補助イスの3000系です。はい、乗りました(笑) 補助イス邪魔です。
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2008.08.06
券は買えないは、コップは割るは、ついてない一日でした……。気を取り直して。
能楽Q&Aの第5回です。今日は「後見」の話です。あの舞台の後ろに座っている後見は、一体何をする人なのでしょうか? 満月さんからの質問です。
「舞台の後見の事ですが、後見の役目とはどのようなものなのでしょう。舞台上で演者に万が一アクシデントがあったらいつでも、代わって舞台をつとめると聞いた事がありますが、それにしては、ベテランのシテに若造が後見についている事もあり、小道具係ならわかるんですが、配役と同じく何か考えがあって後見役が決まるのでしょうか?」
舞台の上で演者が倒れたら、本当に後見が代役に出ることはあるのでしょうか? 観ている側から分かる後見の役割というと、小道具係、地返し(シテの謡を返す。山伏物の最初で「還らん〜」と低く歌うとか)くらいしか思いつきません。
これに対するエヌエルさんの回答ですが、本当に代役として控えているそうです。ただ、「若い人が後見についていたりする」のには深い事情があるようです。
狂言の後見も能同様、代役として控えるという役目がありますし、演者が絶句した場合言葉を付けるのも後見の仕事です。それと、道具の出し入れですね。
ただ、狂言方は二流合わせても全国で百名弱くらいで、その中のおそらく二割くらいはご高齢その他の理由で舞台を勤められない方がいらっしゃると思います。要するに、絶対的に人が足りないのです。ですから若いのが後見を勤めたりします。
苦しい台所事情が背景にありますね。
単に、人が足りないからだそうです……。これだけ全国的に能狂言の会があったら、代役でシテと同じような人を揃えるのも難しいでしょう。ただ、本当に演者が舞台上で倒れた時に後見が代わりに出てきて続行ということがあるかというと……おそらくそんなことはなく舞台中止でしょうとのこと。「おそらく」というのは、そんなことは最近ないからだそうです。観客もイヤですよね、倒れた演者の方が心配だし。
「プロンプター」というのは失念していました。普通の能楽の公演では、後見が台詞をつけるなんて見たことがないですが(歌舞伎だとしょっちゅうありますけど)、素人の発表会では後見の力が発揮されます。
ここからは素人会の宣伝なんですけど(笑)、殆どの能楽師の方は素人さんを教えています(前にも書いたかもしれませんが、能楽は習い事でもあります。もともとは習って楽しむ芸能です)。先生によっては発表会もします。この素人会、入場料はタダですし(プロのようにお金取れる芸はできません(笑))、会によってはレベルの高いもの(というか、プロの会だとありえないような無茶な番組)もあります。早く行けばいい席にも座れます。
何よりも、大概は先生が後見で座っていたり、場合によっては素人さんに混じって狂言に出てたりします。先生が普段の舞台では見せない、「素」が出てしまうことも(笑) 笑いを堪えていたり、苦虫をかみつぶしたような顔をしていたり。
素人さんですから、何があるか分かりません。アクシデントに対応するために先生が後見を勤めます。
むかーし、ある先生のお弟子さんの会に行ったら、ある高齢の男性が台詞を殆ど覚えてないので、台詞の殆どを後見の先生が言ってました(笑) これが終わるかどうかハラハラしながら、その見知らぬおじいさんを心の中で一生懸命応援しながら観ている、そんな自分がいました。終わった時には会場は大きな拍手が起こりました。会場の人達も同じ気持ちだったようです。
ということで、素人会は楽しいです。意外とファンもいるんです。観ていても、寝てる場合じゃなくなってきますよ(笑) これ読んでいる皆さんも、機会がありましたら、ご覧になって下さい。
エヌエルさんもこんな思い出話を。
お素人会は何があるかわかりません。鴈礫でどうにもならなくなって後見の私が手取り足取り舞台上で教えたこともあります。茶壷みたいでしたが、その方も物故されましたから、もう書いてもいいでしょう。 おシテが後見の私のほうを向いて「先生次なんでしたっけ?」とやられたもので、これは如何ともし難いなと判断した次第です。
楽しければ、気持ちよければ間違えようが飛ばそうが絶句しようがそれでいいのです。装束つけた自分の姿に満足できればそれでOK。楽しくなければ趣味ではありませんもの。
お素人会で心底楽しそうに演じていらっしゃる姿を見て、正直羨ましいと思う時がありますよ。
そう、素人会は楽しいのです。私もまた習いたいと思いつつ、なかなか出来ないんですけど(笑)皆さんも習い事で「狂言」はいかがでしょうか?
……最後は、なぜか「素人会」の話になってしまいましたが、今日はこの辺で。
<8月8日追記> 大事なこと書くの忘れてました。舞台でアクシデントが起きた時の対応も後見の仕事です。「山伏の祈りの時に数珠の糸が切れ、弾けたことがあります。」とのことです……。後見が何とかするしかないですよね。ですから、後見省略というのは絶対にないのです。
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2008.08.05
この「日々カタログ。」を開設してから4年半経ちました。最初から読んでいる人は多分ほとんどいらっしゃらないと思いますが,行き当たりばったりでここまでやってきました(最初の1年のエントリを今読み返すと,「こんなこと書いてたんだ」と自分でも驚くことしきり)。現在では,能狂言,歌舞伎,落語,クラシック音楽のエントリが殆どになってますが,最初からそうだったわけではありません(小難しいネットコミュニケーション論とか良く書いてたよねえ>南郷の兄さん)。
元々狂言は習っていたし好きだったのですが,あの「ハッスル参戦」から山脇家を追いかけ始めました。最初は単なる小ネタのつもりだったのですが,書いているうちに「宗家とか家元とかがどういう意味なのか」とか「そもそも狂言が習い事でもあるって,みんな知らんかも」とか考え始め,少しずつそういうエントリも書くようになってきました。きっかけは宗家家という人でも,歌舞伎や落語について調べていてここに来てくださった人でも,何となく狂言に興味を持ってくれたらいいなあとか思っているからです。幸い,狂言が好きな人,詳しい人,更には本職の方(!)まで,たくさんのコメントを下さるような状況になっています。
ただ、最近「これでいいのかなあ」と悩むようになってきました。昨日,コメントでも少し書いてしまいましたが,もうちょっと本腰を入れて本当の狂言の良さを紹介するようなブログにできないかなあと。狂言師(敢えてこの呼び方で)の方々のブログやホームページはたくさんありますし,狂言についての詳しい解説を載せられている方もいらっしゃいます。しかし,「観る側」だからこそ,すごいと思うこと,不思議だと思うこともたくさんあるんですよね。そういう話が気楽にできる場にしたいなあと思うようになってきました。あと,真面目に舞台活動に励んでいる能楽師の方々を応援するとか。前は別の場所にそういう掲示板もあったんですけど、機能してないようだし。
落語とかクラシック音楽とかを語る時によくありがちな問題として,「無駄に偉そうに語る」というのがあるんですが,そういうのはできるだけなしで。少しミーハーだっていいじゃないか。「とみぃ,熱くてステキ」でもいいじゃないか(笑)
あと,落語好きや歌舞伎好きの人にも,狂言はいけると思うんですよ。歌舞伎でも「素袍落」とか「棒縛」とかありますし。そういう人を巻き込んでいきたい。鉄道オタクは巻き込めるか分かんないけど(笑)
具体的にどうしていくかは思案中ですが,とりあえず「能楽Q&A」を引き続きまとめていきます。今後は,「本当の能楽」のエントリで行きますので,どうぞよろしくお願いいたします。「こんなのどう?」みたいな提案もよろしかったらどうぞ。一応、「能狂言」というカテゴリを作ってみました(ついでに、「落語」カテゴリも(笑) 本人もエントリを探すのが面倒になってきたので)。
あ,今後も歌舞伎や落語やクラシック音楽のエントリはちゃんと書きますよ。今月も何度か寄席に行くし(笑)
ここから先は,追記。読みたい人だけ読んでください。
上のような気持ちはずっとあって,それを強く後押ししたのが,昨日からの某ブログの騒動です。このブログにも1人だけ訳わかんないコメントを残した人がいますが,なんだかここが「荒らしの巣窟」みたいな風に思われてる人もいるようですな。信じてもらえるかどうか分からないけど,私はあっちにコメント書いたことすらない。IPでも調べてみたらどうですか? すぐに分かるんじゃないの? 確かにここの内容を元にしたコメントはあったけど,それをわざわざ本人が書き回るとお思いか? 証拠もないのにそういうこと書いていいの?
ここのアクセス数は一日で500〜600前後だから,コメント書いてくれる人の100倍くらいの人が読んでるんです。私も,誰かのブログを荒らすなんて馬鹿馬鹿しいからやめてほしいと思ってます。自分がブログを持っているからです。でも,ここにアクセスしている人全員にそれを強制するのは現実的に無理です(まあ、コメント下さってる方が、荒らしているとは思えないけど)。
ここではずっと,「狂言に興味を持ったのなら,自分でもいろいろ調べて欲しい」と書いてきました。このブログの内容が信用ならないなら,たくさんある狂言についての書籍を図書館で借りてもいいから読んで欲しい。
でも,もう無理みたいです。私もしんどくなってきました。58歳男性だから(違うけど)。己の力不足を痛感します。
……こんなことエントリにわざわざ書かなくてもいいことかもしれないんですが,少し弱ってるんですみません。的確に空気読んで下さるコメンターの皆さんに本当に感謝。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
追記その2。ここ2日ばかり「ネルロ・サンティ 死去」という検索ワードがあるんですけど,亡くなってないよね? ホルスト・シュタインと間違えてない? N響に来ていたオペラ指揮者つながりで。
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2008.07.31
7月29日にライブイベントがあることが藤九郎サイトで告知されていたが、宗家のブログでも前日になって告知された。いつも思うんだけど、もっと早く告知したらどうでしょう? 信者の方にも都合があるんだし。藤九郎サイトによると、藤九郎姉ちゃんは来年の天皇陛下ご即位20周年奉祝行事開催の奉祝委員に就任したそうだ。宮内庁は何考えてるんだ。記者会見というのはこれについてかと噂されていたが、実は違った。新譜発表だったのだ。
2008北京オリンピック支援事業・和泉流宗家北京狂言公演記念として、韓国歌謡曲のカバー・「ジェーン」を発売するんだそうな。北京オリンピックの支援事業で、なんで韓国歌謡曲をカバーするのか、全くつながりがわからない。
記憶力が悪いと謙遜される宗家は、ライブにあたって昔のことも思い出したらしい。渋谷の「じぁんじぁん」で昔ライブをしていたこと、狂言1曲にトーク1時間半で、30回続けるうちに「モトヤくんスキスキ」などのバカなコーナーが生まれたこと。トークばっかりだな。そして、この人は昔から何も変わってないことがよく分かる。「エンジンにニトロ入れる」などハイテンション! ニトロときいて、昔の刑事ドラマでは犯人はやたらとニトロを持って警察を脅迫してたなとか思いだした。でも、この元ネタは「よろしくメカドック」じゃないかとコメントを頂いた(mizinkoさんに多謝!)。多分そっちだろう。アニメ好きだから。
狂言はともかく、この日のライブは50分あったらしい。私は韓国歌謡曲に疎いので、「ジェーン」がどれだけ有名なのか分からない。イ・ソニという人は名前は聞いたことがある。韓国ドラマの主題歌を歌ってなかったっけ? 宗家はやたらと韓国に入れ込んでいるらしい。だけど、北京オリンピックと何が関連しているのかさっぱり分からない。
あと、カップリング曲の「アドバイス」も披露。あと、なんと、あの「signal」も披露した模様。「別に隠してたんじゃないですけど」と仰っているが、前のホームページのプロフィールには全く書かれてなかったよ。ハッスル参戦は載ってたのに。
しかし、どこにも「源さん」と「モトヤDEサンバ」の記述がない。衣裳はあの伝説の毛皮コートではなかった。もうあの企画はなかったことにしたいのだろうか? あれは宗家の黒歴史として葬る予定なのだろうか。
さて、今回の公演は、「(株)メディアスタッフビジョン」であり、あの(株)ルーフではなかった。木村社長は来ないのだろうかと不思議に思って、木村社長ブログを見たら驚いた。
「中国大使館主催のレセプションパーティに参加していた」らしい。駐日大使と名刺交換したって。中国の災害に対する尽力に対するお礼だって。
あのチャリティを利用しましたね?
そうとしか思えない。中国進出でも考えているんだろうか? しかしあの国はオリンピック終わったら(略 それはともかく、宗家一家は利用されてないだろうか。心配である。
また、メディアスタッフビジョンという会社も良く分からない。検索してみたら、学習塾が出てくるんだけど。学習塾と宗家に何の関係があるというのか。無縁そうなんだけど。
ちなみに、この日の入場料は10000円なり。高いな。それはともかく、CD「ジェーン/アドバイス」特典付先行予約券付というのが気になっている。「特典付」とあるが、一体何がついてくるのか? 宗家のブロマイドか、サインか? あのサインならちょっと欲しいかもしれない(笑)
「年に2回くらいこんな企画があってもいい」とご満悦の宗家である。……堺市の歌謡ショーで「これはいける!」と思われたのだろうか。このブログでも羽衣さんの渾身のレポを紹介させてもらった。確かに好評だった。今、当該のエントリを読み返しても、ものすごく面白い。このブログも、宗家の背中を後押しすることに貢献してしまったのだろうか。
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2008.07.30
今日は宗家新譜発表! のニュースがありましたが、ツッコミどころが多すぎてまとめるのに時間がかかるので、明日以降で。あと、寝違えたのか首が回りまへん。去年もやったような気がしますが。
今日の最初は「能楽の師弟関係」でいきましょう。古典芸能というとやたらと師弟関係が厳しいイメージがあります。昔は、歌舞伎の御曹司(中村屋とか)が舞台に上がるまでのドキュメント番組が放映されてましたが、親子だろうが容赦ない稽古の様子が印象に残ります。落語においてもそうです。師匠噺
といった本を読むと、人を育てる時には指導する側が本気でなければならないと痛感します。
能楽においても、大変厳しいようです。エヌエルさんのコメントでも、厳しい業界であることが伺えます。
私もしょっちゅう怒られています。若い頃、蝶結びの結び方で流儀重鎮の方にこっぴどく怒られたなんてことも記憶しています。他流儀の方に手を出すことはさすがにありませんが、自流なら日常茶飯事でした。ただ、最近はそういうことが少なくなってきました。
芸道はどこも同じなのでしょうが、親子の師弟関係で手が出ないところのほうが稀でしょう。
といっても、堅苦しいばかりではありません。
「薪能で何で二人大名なんすか」と師家に言ったことがあります。
どこかのお家と違って、弟子が意見しても大丈夫だそうです(笑)
次は、「舞台でのアクシデント」編です。舞台はナマモノです。いくら練習していても、当日何があるか分かりません。そういう時に冷静に、何もなかったように振る舞うのがプロです。
この時期は薪能が全国各地で開催されます。薪能は能舞台で行われるとは限らない、というか屋外に能舞台があるところなんて殆どないです。ですから、本当にいろんなところで行われています。
薪能は、舞台の大きさもまちまちで、床の素材もまちまちです。カーペット敷きのこともありますし、石舞台そのままだったこともあります(足拍子踏んでも音はならないわ痛いわでいい思い出はありませんが)。
意外に厄介なのは強風です。総じて演じるほうはかなり気を遣ってやってます。
石舞台はイヤですねえ。足が痛くなりそうです。石舞台そのままというのも不思議な感じがしますが、その上に何かを敷くことも出来ないのでしょうね。しかし、頼まれたらどこでもやるしかないのでしょう。
あと、強風といえば、薪能で「土蜘蛛」をやっていて、蜘蛛の糸が開いた途端にシテの方に風が吹いてきて……というのを聞いたことがあります(笑) 自爆。
「土蜘蛛」といえば、こんなエピソードもあるそうです。
土蜘蛛で、蜘蛛が不発で、塊のままワキツレの眉間に当たったという話を聞いたことがあります。そのワキ方曰く「マジでシテを斬ってやろうかと思った」と。もちろん冗談ですが(笑)
思わぬ攻撃。
また、間狂言のアクシデントも。宗家ヲチャーでも有名な「船弁慶」の間狂言。念のために調べてみたら、「舟のつくりものを舞台の真ん中に置いちゃってワキの邪魔をする」でした。遅刻は別件だったようです(芋娘さん、すみません……)。しかし、他にもアクシデントがあるようです。
舟を出すところで、太鼓方との衝突などの話を聞いたことはあります。
あの作り物の扱いは難しいのですね。しかし、「狂言方は船弁慶の間狂言は好きです! だってカッコイイですから!」とのこと。あれ、カッコイイですよね! 間狂言にしては珍しく一つの見せ場になってますから。そして、「船弁慶」はシテもワキもカッコイイ。
また、公演時間の時間短縮で、急きょ演目変更もままあるそうです。それでもその日のお客様に満足してもらえるようにプロの方は普段お稽古に励んでいるのです。頭が下がります。
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2008.07.25
前回のエントリの続きです。前のエントリで「東京在住の狂言師のブログが見つかりません」と書いたところ、コメントでいくつか教えていただきました。本当にありがとうございました&よく調べてなくてすみません……。いつもながら、このブログは読者の方に助けられっぱなしです。
今回も、善竹家特集です。大蔵家は次回にします。それにしても、なぜ善竹・大蔵の若手狂言師の方々は舞台活動もネット上での活動もこんなに熱心なんでしょうか? こちらとしてはありがたいですが。
・善竹徳一郎さんのブログ
前にも書きましたが、関西の善竹家の若手の方は舞台で拝見したことがありません。本当に申し訳ないです。それはともかく、ドットマック! マカー?! Mac使いの狂言師の方は初めて見ました(笑) ちなみに、私もマカーです。今、iMacで書いてます。あと、心理学専攻というのも個人的にはものすごくツボです(というか、ちょっと吹いた……)。料理も好きみたいです。見ていてドキドキしてきます。
あと、ウェブページの方はここなんですが、こういう構成のホームページはどこかで見たような……。確か宗家も(略 こちらにも最新情報と雑記があります。狂言関係の雑記はこちらのようです。一年の行事など、きれいにまとめられています。
・Bamboo Note 善竹富太郎のブログ
満月さんからの熱いリクエストに応えて(笑)紹介。東京の善竹家の若手狂言師の一人、善竹富太郎さんのブログです。とにかく「熱い!」です。熱血狂言師。毎日早朝に「今日もそろりそろりと参りましょう。」と更新されていますが、読んでいるうちに気合が入ってくる、そんなブログです。
満月さんより「イタリア人に狂言を教えるのが得意」というコメントがありましたが、喜劇の祭典 狂言とコンメディア・デッラルテの情報がここにありました。
最初イタリア人がわかんなかったよ! 本当に違和感なくって。動きも顔つきも完全に狂言師。ビックリしました。
狂言解説とかいろいろ興味深いコンテンツがありますので、公式サイトをご覧下され!(と気合が入る)
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2008.07.24
毎度おなじみ能楽Q&Aです(←タモリ倶楽部のノリで)。と書いてみたはいいのですが、タモリ倶楽部は全国放送じゃなかったような気がします。分からない方は、本当にすみません。
今日は、「能楽師の声の秘密」についてです。普通の能楽堂にはマイクはありません。マイクを使わず肉声で舞台に立っています。シテ方は面をつけていることが多いですが、面をつけていても声は会場内に響きます。あのような声はどうやって出すのでしょうか? 多分、実際にお稽古されている方しか知らない、あるいはお稽古されていても教えてもらっているとは限らない話です。以前のエントリのコメント欄にて、エヌエルさんに教えていただきました。
・能楽の声の凄さ
能の謡の音域は意外に高いです。しかし、声は太いです。
能楽師の結婚式・パーティでは、必ず四海波(高砂の一節)が歌われますが、ニューオータニやオークラが揺れます(笑) さる重鎮の方は、1000人以上入るお寺の境内での奉納狂言で、申し合わせの際に「マイク不要ですなあ」と平然と仰ってました。
ホテルを揺らす声! 単に「大きい」だけじゃなくて、「太い」のですね。「プロと素人との大きな違いは声の大きさ」とのことですが、これは分かります。素人会で大勢で謡を出しても、能楽堂は揺れませんから……。
・能楽の発声法
力いっぱい謡うと腹筋はよじれそうになります。のどには負担をかけないようにします。そうしないとかれますから。
あと、「口とのどを縦に開け」と言われます。舞台前にウォーミングアップとかはしません。多くの能楽堂は、舞台のすぐ裏が楽屋なので大きな声は出せませんし、狂言は15〜30分くらいなので、問題はありません。
ここで、芋娘さんから、声楽でも姿勢や重心を低く保ち、胃袋の下から口までパイプが入っているイメージで歌うというコメントをいただきましたが、能楽でも共通しているそうです。姿勢がぶれないようにするのは基本で、多分素人の場合は、重心を低く保つのが難しいのではということです。「舌が山にならないよう、スプーンのようにくぼませる」って確かにそうでした! そんな感じにすると声が出ますね! でも、言われてもなかなか最初から出来ないですが……。
さて、能楽の謡の音階について見ていきましょう。能楽の謡本をご覧になったことのある方はご存知だと思いますが、西洋の音楽のような楽譜ではありません。絶対音階じゃないんです。あと、速さも「♪=64」みたいな記号があるわけではありません。実は、習っていてもよく分からなかったのはここでした。一応、上げ下げの記号、拍子はあるのですが、その時によって高さや速さが変わるという印象でした。この問題についてエヌエルさんがすっきりと回答して下さったので、ご紹介します。
観世流がよく整理されていてわかり易いので、ここでは観世流で説明します。観世流の謡曲にも音階はあります。高いほうの音から順に
・甲クリ(かんぐり)
・クリ
・上ウキ(じょうのうき)
・上(じょう)
・中ウキ(中のうき)
・中
・下ノ中(げのちゅう)
・下(げ)
・呂(ろ)
以上の9音です。
前に相対音階だと書きましたが、要は曲だとか場面だとかに合わせて自由自在に変調するのです。ですから、一曲の中でも、沈んだ場面と明るい場面で上音が違うということが往々にしてあります。シテは自分の判断で変調し、地謡(バックコーラス)は地頭(リーダー)の判断で変調します。シテが頭の部分を謡って、後は地謡が受けて謡うということがよくありますが、その場合でもシテの上音と地謡の上音が異なる場合もあります。
シテや地頭は、基本的には出しやすい高さで出るということなのですが、曲や役柄の解釈、シテの年齢や芸風、会の趣旨、演者の体調etcいろんな要素が絡み合って、その場面の音の高さが決められるのです。不具合があれば、申合せの時に話し合います。お囃子方が「あそこ高すぎて聞いててきついね」などとおっしゃられる場合もあり、「シテもうちょっと下げて出てくれますか?地謡は受けて出ますので」とかいう場合もあります。このあたりは演者の格だとか、そういうことも絡みますね。何せ指揮者がいませんから。
西洋の音楽のように、指揮者やコンサートマスターが調整するということもなく、決まった楽譜というのがあるわけでもなく、その場にいる人達が集まって高さや速さを「ちょうどよく」決めていくのです! 舞手によって特徴はありますが、それは分かっているので、合わせることが可能なのだそうです。本当に「空気を読むことに長けている」日本人だから出来ることですね。なので、毎回毎回、謡のお稽古でテンポや高さが変わっても、仕方のないことなのかも知れません(笑)
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2008.07.22
久々にワイドショー宗家ネタ。あの四川大地震チャリティ狂言以来、宗家ヲチャーの間で話題になっている人物がいる。そう、株式会社ルーフの木村社長である。この人は、チャリティ狂言にも、そしてこの間の元聖ちゃん初お目見え(あれを初舞台とは言えないだろう)にも出てきて、記者会見を行なっている。チャリティ狂言の際に、会場を借りてくれたらしい。あの謎の和泉宗家相談役・濱野先生はいずこへ(チャーリー浜風に)。
それはともかく、このルーフという会社は、不動産投資事業、収益不動産事業の会社らしい。不動産投資って……。まさか宗家の家が(略 いや、そのうちソウケケが広告塔とかなったりしないかな。それっていいのか悪いのか。
女性週刊誌によると、去年の暮れに木村社長とセッチーが知り合いになったらしい。今年の福田総理主催の「桜を観る会」にセッチーが紛れ込んでいるのは写真で見たが、この社長も紛れ込んでいた。福田も何考えてるんだ。
まず、チャリティ狂言なんだが、宗家ブログでは公演が終わってからようやくスポンサーの名前を出していた。大事なスポンサー様なのに。あまり宗家はこの社長と親しくないのだろうか。
そして、「なぜチャリティなのか」というので、この木村社長が阪神大震災で被災していて、大地震に対して他人事と思えず云々、みたいなことをどこかで語っていたのを見た。今調べたらソースが消えていたので、確実なことは言えないんだけど、それならチャリティ狂言の前日に起きた岩手・宮城大地震に対してもチャリティすればいいのに、する気配はない。あと、阪神で被災した狂言の家、ありますよ。社長は知らないだろうけど。
更に、当方でも問題にしたが、チャリティ金額は結局明らかにされていない。もう中国大使館から領収書が来ててもいいはずなのだが。別に着服とか疑ってるわけじゃなくて、今の世の中、どんな募金でも「○○円集まりました。どこどこに寄付しました。」と明細を明らかにするものだから。
そして、元聖ちゃんがお目見えした奉納狂言。ここで明らかになったことは、「和泉宗家が北京パラリンピックの支援事業に選ばれ、ゲストとして狂言記念公演をする」ことである。日本からオフィシャルで参加する伝統芸能団体は他にないそうだが、フツーの人達はその時期は薪能で忙しいよ。あのチャリティも、結局中国様にアピールするためのものだったようだ。そうとしか考えられない。
更に29日は六本木でイベントがあることが藤九郎サイトで告知されている。
和泉流宗家 Special LIVE in 六本木
狂言&記者発表&Live! Live!
Liveってことは、まさか歌謡ショーやるのか!? この蒸し暑い季節でもあの伝説の毛皮のコートでショーに臨むのか!? 「ファッションとアイスには季節は関係ない」と常々語っている宗家だから、ぜひ真夏でもあのコートで現れて欲しい。記者発表って何やるんだろう? この人達、なんだかんだ言ってマスコミ好きだよね。
ちなみに、このSPLASHは100席くらいしか入らない。元々ライブスペースだからしょうがないのかな。おそらく、関係者だけで埋まるのではあるまいか。というか、チケット料金書いてないんですけど。
それにしても、この木村社長はやたらと和泉宗家に入れ込んでいるけど、一体何を考えているんだろう? いや、会社や社長が文化事業にお金を落すことはいいことなんですよ。日本はそういうのがまだまだ理解されてないから、こないだ大阪センチュリー交響楽団の経営危機が問題になったわけで。でも、よりにもよって和泉宗家だし、やたらと記者会見に出てくるし。単なる道楽だったらいいんですけどね。
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2008.07.20
能楽Q&Aのお時間がやってまいりました。ハンドブックにも載ってない(載せられない?)能楽師・狂言師の真の姿をお伝えしようという試みです。いつも、いろいろな質問に丁寧に解答して下さるエヌエルさんには深く感謝いたします。
まずは、能楽師の私生活編。
・楽屋での会話
他の演劇と変わりありません。ゴルフか、釣りか、馬か……。三月になると確定申告の話とか。
ゴルフをされる方も多いようですが、ゴルフ焼け(左手だけ手袋をしていて白くなっている)は厳禁だそうです。この話は私も前に聞いたことがあったのですが、本当だったようです。なお、私が知る限り、意外とギャンブル好きとスポーツ好きは多いです……。エヌエルさんも「古典芸能の人というとなよなよしたイメージがあるけど、実際はそんなことはない」とのことです。
・体調管理
全く気を遣わない人と気を遣っている人の両極端に分かれて、中間は少ないです。気を遣う方は、カラオケにはいっさい行かない、出番前にお寿司を食べない(酢飯はのどが渇くから)、タバコは吸わないなど徹底しています。
私が知っている人は、なぜか無頓着な人ばかりでした……。歌が好きな人は多いです。例外なく、歌がうまいし。あと、タバコと酒が好きな人も多いですねえ。神経を遣う仕事だからでしょうか。
次は、狂言装束編。
・狂言装束について
「靭猿」などで素襖(すおう)、段熨斗目(だんのしめ)を脱ぐ場合は、白練(しろねり)と下袴(したばかま)をつけますが、あれは裸になったことを表しているようです。能楽では実際に裸になれませんから。胴着と違って純白なので、武家の白装束とも関係があるのかもしれませんが、よく分かりません。
大名装束は暑そうですね。ちなみに、エヌエルさんは夏に「二人大名」を演じたこともあるそうです……(想像しただけで気絶)。
ここで、前エントリに寄せられたRSさんからの質問を紹介します。
「なぜ狂言師は髷を結わないのでしょうか? 現代人の髪形は狂言装束に合わないような感じがするんですが……」
うむ、歌舞伎のように、なぜカツラにしないのでしょうか?
これについては、小冠者さんとエヌエルさんが回答を下さいました。まとめて紹介します。
明治時代の断髪令の影響で、能楽関係者は髷を落さざるを得なくなったのでは。大政奉還で今までのパトロンもいなくなり、生活に困窮して、髷を守って税金を多く払わされるよりは断髪を選んだのではないでしょうか。
能楽というのは、もともと観て楽しむ芸能ではなく、自分でやって楽しむ芸能です。定期能も、元々は大名に教えるための通し稽古を一般に見せるようになったのが始まりですし。江戸時代は大名に扶持してもらいましたが、明治になったら新政府は能楽に縁がある人がいなかったので、能楽は絶滅寸前に追い込まれました。絶滅しなかったのが不思議なくらいで、各流派の家元もこの時代何やってたのか分からないです。行方不明者も出ましたし。そんなご時世では、髪形なんてこだわっている場合ではありませんでした。
最近まで(ここ20年〜30年くらい)、狂言だけで生活ができる人は殆どいませんでした。当主のみが専業で、次男であっても兼業というのが普通でした(茂山七五三師が、銀行に勤められていたのは有名です)。いまだに、世襲の家以外の狂言方で、芸事の収入で生活出来る人はほんの一握りです。能楽を観て楽しむようになったのは、本当に最近のことなのです。
家元とか宗家制度がある芸事というのは、本来はやって楽しむもので、主な収入は教授料です。興行で収入を得る歌舞伎とは全く違います。
髪形一つにも、狂言師の苦難の歴史があります。実は、3年前にも当ブログで「宗家の意味」というエントリを書きました。能楽は「舞台に出ることが収入を得るための第1手段ではなく、素人からのお稽古料が主な収入であった」という内容です。だから、「基本的に興行で収入を得る」歌舞伎には宗家とか家元はないし、「落語を素人に教えて収入を得る」立川流では、談志師匠は「家元」と呼ばれていると。あと、和泉流も明治期にいったん宗家不在になった話も……。だから、「600年絶えず続いてきた」という某方の話は(略)
とはいえ、ザンギリ頭で狂言を演じることと、狂言の苦難の歴史がこう結びつくとは思いませんでした。今でも「兼業狂言師」はいらっしゃいます。伝統芸能というと「国の保護でのうのうとしている」と思い込んでいる人もいるかもしれませんが、そんな甘いものじゃないのです。
今日はこの辺で。その3に続きます。
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2008.07.13
読者の方にはどうでもいい話ですが、実はこのエントリがこのブログの1000エントリ目です。4分の1はこうさぎのコミヤマさんの作文ですが、とりあえずめでたい。
それはともかく、前に宗家「直面」問題に言及するというエントリを書いたところ、多くのコメントがつきました。詳しくは当該エントリのコメント欄を読んで欲しい、と言いたいところですが、もうかなりコメントが長くなってしまい、しかも、埋もれてしまうにはもったいない情報が多いので、ここでまとめることにした。ひとえに、こちらの無知な質問に丁寧に回答して下さっている、能楽関係者であるエヌエルさんのお蔭です。本当にありがとうございます。エヌエルさんがどなたであるかは全く推測出来ませんが、能楽堂に行ったら「この人かも……」と心の中で思い、密かに応援することにします。
ということで、エヌエルさんの回答を元に、「普通の」能楽の決まりや「能楽師の実情」についてまとめてみました。書物では調べられず、舞台を観てもはっきりと分からず、実際に狂言を習っていた素人弟子も分からない、「能楽の姿」及び「能楽を支える人達の姿」を知っていただけたら嬉しいです。前のエントリのコメント欄を読んで、私自身、改めて「能楽は本当にすごい」と深く感じました。長いので2回にわけて紹介します。分類が適当で申し訳ないです。
まずは、狂言師の「身だしなみ」編。
・化粧について
するわけないです(笑) 女流能楽師も多分しないのでは?
はい、そういうことです(笑) だから「直面」は「スッピン」という意味ではありません。「面をつけない」ことです。
・狂言方の頭髪について
染髪も長髪もダメです。襟足に髪がかかるくらいでもいけません。
ただし、染髪でも白髪を黒く染めるのは問題ありません。
結髪も注意されます。ただし、女流は別です。あと、前髪が目の上にかかるのも見苦しいです。
染髪や長髪などは狂言方だけでなく、シテ方・三役の方には厳しい方がいらっしゃるので、師家を通じて注意されることがあります。
でも、カツラは何も言われません。シテ方の場合、その上に更に装束の鬘をつけることに……(笑)
ヅラonヅラはOK!(笑) それはともかく、頭髪についてはずいぶん厳しいですね。お堅い学校の校則のようです。確かに茶髪に狂言装束は似合いませんからね。あと、ヒゲも勿論ダメだそうです。普段はともかく、能舞台に立つ時にはきれいに剃ります。
宗家って思いっきり茶髪だったり、前は髪伸ばしてたんだけど……。もう能楽とは関係ないのか。
では、次は「能楽の練習編」。
・申し合わせについて
申し合わせは前日のこともあれば前々日のこともあります。当日の場合もあります。
能は同じキャストで複数回の連続公演を行うことはありません。ですので、シテ方・ワキ方・囃子方が申し合わせで手を合わせることが重要です。
通しが基本で、あとでずれたところの確認をしますが、場合によっては途中で止めます。
なお、狂言方は、「安宅」のようにシテ・ワキに絡む場合は申し合わせに出ますが、大概出ません。ワキとの問答は出番前に楽屋でちょこちょこ申し合わせをします。どちらが出向くかは、ワキ・狂言方の「格」によって決まります。ワキが宗家でも狂言方が重鎮ならワキが出向きます。
ちょっとこちらで補足。宗家ブログに「舞台前日の稽古を申し合わせという」という記述があったので、「いや、前日でなくても申し合わせってあるでしょう」ということで質問させてもらいました。前日でなくてもいいそうです(笑)
能には、シテ方(主役を演じる人)、ワキ方(シテや狂言方の相手をする役。武士や僧などの「現実」の男性)、囃子方(音楽担当)などさまざまな役割の人達が出てきます。歌舞伎などは「1か月同じキャストで公演」というのがザラですが、能はそうではありません。また、シテ方、ワキ方などには、それぞれ流派がありますので、流派や家によって少しずつ違うのですね。そういうのを合わせるのが「申し合わせ」ということのようです。
それにしても、間狂言は申し合わせに出ないものというのに驚きました。「賀茂」のように三段の舞があるものでも出ないそうです。さすがプロ。
・練習時の服装
私服です。ジーンズは布が厚くて正座しにくいので履きません。あと、白足袋を履きます。
浴衣ですか? 浴衣に袴をつけるんですよね? 着替える場所あるんですかね。いや、着流しはありえないでしょう。裾が乱れるし肌着が見えてみっともないです。そんな家は聞いたことはありません。
やはり着流しはありえません。宗家ブログで「名古屋で全員浴衣で稽古」写真がありましたが、あれは狂言の動きに合わないから無理だと思ってたんですが、やっぱり無理です。日舞じゃあるまいし。せめて袴をつけるべきでしょう。
ちなみに、素人のお稽古では、綿パン推奨でした。先生もお弟子も普段着でお稽古してましたよ。その方が余計なことに気を取られなくてすむし、先生も教えやすいようなので。
・台詞や謡の練習の仕方
初めていただいた曲の場合は、書いた物を渡され、いきなり読み稽古となります。2,3日後の次の稽古までに全て書き写して覚えます。大曲・難曲の場合は何度か読み稽古をしますが、大体は次の稽古が立ち稽古です。覚えてないと怒られます。
立ち稽古は4,5回行って舞台を行います。次の役が迫っていますし、師家も他の人のお稽古があるから、あまり自分一人に時間をかけるわけにもいきません。録音はしません。
録音しないんですね。素人弟子は録音しないと覚えられなかったのですが、プロの方は違うようです。また、普通の曲だと4,5回で立ち稽古が終わってしまうようです。このくらいで覚えられないようではプロとはいえないのでしょう。ちなみに、この場合の「稽古」とは、先生立ち会いのものです。当たり前か……。
ということで、その2に続きます。
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前回のエントリでは、長くて設定がはっきりしない質問に答えて下さった方ありがとうございます、また、答えて下さらなかった方でも、読んで下さった方ありがとうございます。この話の元をまず明かします。
まず、「誰が悪い」という批判ではないです。特に、ブログ主を批判するものではありません。あと、完全に事の経緯を追えていないところもあります。この件に関係したブログが閉鎖されたからです。また、この事件の当事者達の「感情」については、部外者には完全には分かりかねますので、その部分の記述は控えます。では、なぜここで扱うかというと、「こんな形の発火もある」ことを初めて知ったからです。普通の「炎上」は、ブログ主のエントリ内容に対して荒らしや批判コメントが怒濤のようにつくという形をとりますが、「ブログ外乱闘が元ブログに波及」するという極めて珍しい例なのです。
元は、宗家こと和泉元彌のブログで起きたことです。彼のブログは「有名人ブログ」枠ではなく、自分で運営しています。つまり、コメントの取捨選択は自分で行っているわけです。そこによくコメントしていたBさんという人がいます。Bさんのコメントは割と目立つ上に、コメントでは自分のブログをリンクしていたので、宗家ブログからBさんのブログを訪れて仲良くなっていた人もいました。
そのうち、なぜかBさんは宗家のブログでコメントしている人を揶揄するようなことを書くようになりました。内容はメンバーにしか公開されない(アメブロではそういう機能がある)ですが、エントリのタイトルは誰にでも見えます。そして、タイトルを見ただけで、宗家のブログについたコメントを悪く言っている事がわかるものでした。「長文コメントうざーい」とか「自分の生活を語ってるコメントって笑える」とか。私もエントリのタイトルを見たことはあります。しかし、Bさんは宗家のブログではいっさいそういうコメントは書きませんでした。宗家ブログからBさんのブログを訪れた人がそれを見て、注意したようですが、相手にされなかったようです(この辺は、宗家ブログについたコメントによるので、事実確認はできていません)。
そんな「くすぶり」が、ある日大きな炎となります。宗家のブログに、「Bさんはブログでそういうことを書いている。そんなことを書くような人はここに来て欲しくない」というコメントがつきます。最初は、他の人達は「そういうことはここで書くべきではない」と冷静でしたが、「注意したけど相手にされなかった」とか「私もずっとそう思っていた」とか、挙句は「あの人のコメントはずっと不快に感じていた」とかそういうコメントが多くつきました。
そして、なぜか某巨大掲示板某スレにもこの騒動が飛び火します。この某スレは、普段は宗家をマターリとヲチしているもので、「毎日アイス食いすぎじゃね?www」とか「チャリティ狂言の報告マダー」とか生暖かく進行していたのですが、突然、「Bってうざい」コメントがつき始めました。当然ながら、元からいる人達は、意味が分からずポカーンです。宗家のブログは読んでますが、コメントしている人の人間関係までは興味がなかったからです。「お前らもちつけ」とか「そういうのは他所でやってくれ」とか「いい加減にしろ」という反論がつきますが、まだくすぶっています。
さすがに、コメントがついてしまったので、宗家も声明を出します。「そういう目に遭った人達の気持ちは分かります。自分も昔(おそらく能楽協会と揉めてた頃)、自分の声が伝わらない、自分を悪く言われている時に反論出来なかった。でもそのエントリは見てないから、信じられない。」というような内容です。事実関係がはっきりしないからなのか、それとも「誰も悪く言いたくないの」という気持ちからなのか、この文章は曖昧なのですが、宗家は「Bさんに悪く書かれた人」の気持ちが分かるというつもりで書いたらしいのです。その時にはBさんも総叩きに会っていたので、Bさんでも取れます。というか、私は最初Bさんかと解釈してました。コメント欄をよく読んでなかったのと、某掲示板での騒動を目にしたからです。「好き勝手やってたのを弟子筋の人にいさめられたら逆ギレして、その人に「破門」を言い渡したため、その人達が能楽協会とともに裁判に訴え出た」方ですから。
でも、全然収まりませんでした。いや、Bさんはブログを黙って閉じたのですが、Bさんの仲良しのCさんがなぜか出てきたのです。多分本人の気持ちはジャンヌ・ダルクだったことでしょう。。そのCさんは、宗家に意見するようなコメントがあると「あんた荒らしだろ? 2ちゃんねるから来たんだろ。ここに来るな」とか啖呵を切ることで有名で、「言いたいこと言ってくれる勇気のある人」ということになっていました。Cさんは「Bさんだって辛い思いをしてるんだ。お前ら、自作自演してるんだろ。たくさんの名前で書き込みがあるけど、本当は1人しかいないんだろ」といつものように啖呵を切りましたが、もう誰も喝采を送ってはくれませんでした。逆に、「あなたは思い込みが激しいと前から思っていた」という反論にあいました。Cさんも結局ブログを閉じたようです。
宗家も2度目の声明を出します。「起こったことに対して、言いたいことがある人はいるでしょうが、もうやめませんか? 自分はみなさんの気持ちは分かっているから、ここで飲み込んで次に行きましょう。本当は円満解決が良かったんですけど」という声明です。これで一応収束しました。宗家はBさんのエントリや掲示板は直接見ていないかもしれませんが、見なくても良いことだと思います。
宗家のブログ運営については、前にも少し書きましたが、「宗家の家族の悪口を書くような荒らしは消す」けど「他人を荒らし呼ばわりするコメントは消さない」のは問題があるのではないかと。しかし、今回のことについては、さぞや心が痛んだことであろうし、できる限りのことはしたと思っています。
一方で、「宗家ブログが結局主戦場になってしまった」ことについて怒りを感じています。宗家に注進するという時点で、「何とかして欲しい」という意志の表明であるかのように感じられました。前からあのブログでは「○○のコメントは不快なので、モトヤさん消して下さい」みたいなコメントが見受けられました。コメントしている人は、ブログ主のコメント選択の方針や、あげくは「他のコメント主のブログの問題についての対処」まで期待するものなのでしょうか? 私自身は、「オレの基準に口を出すな」とか「他のブログのことなんて知るか!」という考えなので、他の人の意見も聞いてみようと思い、前のエントリを立てました。こんなブログに集まる人だからかもしれませんが、「ご注進」は好みでない人が多いですね。「無用な混乱を招く」と考える人が多いようです(もちろん、元の宗家ブログに集まっている多くの人も「そういうのはここでやらないで」という反応でしたが)。
また、「善意の人達」が「私も前から○○だと思っていました」というコメントを次々につける状況というのはどういうものなのかを考えさせられました。「ここのブログのコメントでは良いこと書いていて、自分のブログでは悪口書いてる。そういうのって怖い」というコメントがありましたが、そういうのよりも私にとっては怖いです。
あるところではいい顔して、みたいなのはネットだけでなく普通にあることですし、社会的な場面ではある程度大人はそうするもんだと思っていました。でも、人の尻馬に乗って正義ヅラする人の方がどうかと。まあ、愛とか正義とか言われると眉に唾をつける人間だからそう感じるのかもしれませんが。
そして、宗家が2度目の声明で書いていたこと。「僕を応援してくれる人達みんな仲良くして欲しい」。芸能人であればそう思うことでしょう。しかし、実際はそうではない。宗家に限らず、ジャニでもバンドでもファン同士の裏の諍いはあるものです。「私の方がファンだ」とか「あんなのが○○ファンだと思われたら困る」とか。ブログでも、ある程度熱烈なファンというか信者がつくと、抗争が起きがちです。ここはそんな信者はいませんが(笑) 芸能人のファンの場合、ファン同士しかそんな諍いは知りませんが、ブログだとその周りの人にまで見えてしまう。この辺にも問題があるのかも。
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2008.07.10
最近、私が毎日見ている某ブログで大騒動が起きた。大騒動の内容についてはここでは敢えて書かないが、少なくとも私自身は今まで見たことのないものであり、単にそのブログを読んでいる私でさえ、胃が痛くなるようなものだった。別エントリで書くかもしれないけど、その前に、「ブログ運営とはどういうものなのか、ブロガーの責任範囲はどこまでか」ということを考えたい。
その某ブログの愛読者にとっては、このブログはいつも不真面目で悪口ばかり書いているようにしか見えないだろう。しかし、今回の件については、ブログ主が明らかに責任範囲を超えている(ように見える)ことについて心を痛めていて、本当に可哀想だと思う。そして、私はかなり怒っている。ブログ主ではなく、「善意」の人々に。ちなみに、何度も書いているが、私はあそこにコメントしたことはない。
しかし、起こってしまったことについて憤っていてもしょうがないので、「今後どうすればいいのか」を考えてみようと思った。これが正解というのはおそらくないだろう。私の考えが「正しい」かどうかも分からないし、人によって考え方も違うだろう。それでもブログ主とコメントする人たちとの平和的関係を維持するにはどうしたらいいかという問題について、考える手がかりになるかもしれない。
*次の3つの質問について、皆さんの考えを聴かせてください。回答はコメント欄にお願いします。
*別に元の騒動に興味がなくても構いません。「ブログ運営」の一般的な問題だと考えてください。
*ブログを持っている方、持っていない方、両方のご意見をお待ちしています。特にブログを持っていない方については、「ブログ主にこうして欲しい」という期待がある場合はそれを書いてくださるとありがたいです。
*3つの質問についての回答以外のコメントももちろん歓迎します。
問題1:Aさんのブログでは、BさんとCさんがいつもコメントを寄せています。しかし、Cさんは時々Aさんに対する意見や批判を書くのがBさんは気に入りません。だから、Aさんのブログのコメント欄でBさんはCさんを荒らし呼ばわりしました。
この時に、ブログ主であるAさんは何かすべきでしょうか?
また、AブログではDさんという人もコメントをしています。Dさんは他人を荒らし呼ばわりするBさんに問題があると考えました。あなたがDさんだったら、ブログ主のAさんにBさんについて何か対処をお願いしますか?
問題2:Aさんのブログでは、BさんとCさんがいつもコメントを寄せています。実はBさんは自分のブログを持っていて、そこでCさんがAブログに書いたコメントを悪く書いていました。
これを知ったAさんは何かすべきでしょうか?
また、AブログにコメントしているDさんはBさんがCさんの悪口を書いているのを発見し、Bさんに注意しましたが、あまり気に留めていないように見えました。Aさんはこのことを知らないようです。あなたがDさんだったらAさんにこのことを知らせますか?
問題3:Aさんのブログでは、BさんとCさんとDさんがいつもコメントを寄せています。実はBさんは自分のブログを持っていて、そこでCさんがAブログに書いたコメントを悪く書いていました。DさんがBさんに抗議しても取り合ってもらえません。その様子を見て頭に来たEさんが、みんなが見ている掲示板にABさんの悪口を書き込みました。
これを知ったAさんは何かすべきでしょうか? また、掲示板で騒動が起きていることをAさんは知りませんが、あなただったらAさんに知らせますか?
一応、私が考える回答は以下の通りです。もちろんこれが正解というものではありません。むしろ「これはひどい」と思われるかもしれない。皆さんの回答お待ちしています。
問題1:ブログ主は自分のブログのコメント欄に責任を持つべきだと考えます。たとえブログ主をかばう目的であっても、他のコメント主を誹謗するコメントは許してはいけないと個人的には思っております。ブログ主は批判されてもいいですが、コメンター同士の中傷合戦は醜いです。いきなりコメント削除はしませんが、当事者に注意しますね(幸いにして、このブログでは4年間そんなことはないですが)。
あと、他人のブログでやたらと他コメントを誹謗するコメンターを見たことは多々ありますが、それについてブログ主に何か言ったことはないです。大体はブログ主が対処するし、そもそもブログ主が対処すべき問題だし。
でも、目に余る場合は、メールとかでこっそり伝えるかもしれませんが。みんなが見るようなコメント欄は使いたくない。
問題2:正直言って、元ブログ主がそこまで責任を取らなきゃいけないのかと思います。例えば、Bさんがmixiとか変名で作ってるブログに書いてるのまで何か言う義務はあるんですかね? 無理だべ。
自分なら、見ちゃったら何か言うかもしれない(幸いにして見たことはないが)が、「みんな言うべきだ」と思わないし、ましてや「知ってて何も言わないのはおかしい、無責任だ」という気もないです。他人のブログだから。
あと、元ブログ主に知らせるというのも、多分しないです。そんなことで負担かけてどうする? 自分がそんなことされたらしんどいから、そう思うのかもしれないが。ただし、Aさんの信頼の失墜に確実につながるようなことであるなら、知らせるかもしれないが、これもコメント欄は使わないと思う。荒れるから。
問題3:……面倒なので多分何も反応しないと思います(ブログ主でもコメント主でも)。そっちで勝手にやっていて欲しいという感じ。そんな人たちに囲まれた我が身を深く深く反省するでしょうが。
最後に。
メールフォームとかブログ用のメールアドレスを載せるのは、いろんな意味で大事だと思いますた。※欄で言わない方がいいことも確かにあるよ。
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2008.07.06
このエントリを「山脇家」のカテゴリに入れるのは、宗家と違って真面目に地道に活動している狂言師の方々に失礼だとは分かっているが、いろんな人に読んで欲しいので敢えてこうする。「あの」初鹿あきひろ都議が宗家家について「一生懸命やっている人達を叩くなんて、マスコミはひどいです!」とか熱く書いていらしたが、他の狂言師の方々はもっと一生懸命やっている。20代、30代の若手狂言師は、日々、父親、親戚からの稽古を受け、芸を継承するために日々努力していらっしゃる。また、「誰かに稽古してもらう」ことはないような重鎮も、重習に挑むなど、自分の芸を磨くことに励んでいる。だから伝統芸能は凄い。そんな方々と毎日寝る前にアイスを食している誰かを一緒にしていいものだろうか。
……と柄にもなく熱くなってしまったが、全国で地道に活動している狂言師の方々のブログを紹介したいと思う。「デジタル」とか「ネット」といったものと、古典芸能の「狂言」は非常に遠い印象があるが、今や個人あるいは家のホームページを持ち、更にはブログにて自分の意見を発信している方も増えてきた。ここでは、「ブログで自分の意見を発信している方」を紹介する。1回では紹介しきれないので、何回かにわけることにする。狂言師のブログをいくつか探してみたのだが、あることに気が付いた。
なぜか関西在住の方が多い。
東京在住の方は、ホームページは持ってるけどブログを自分で書いている人はいない……(宗家以外で見つけた方は情報下さい!)。これは何かあるな。
ということで、第1回はなぜか「善竹家」を特集する。なんで善竹? と思われる方もいるだろう。実は、私も関西の善竹は東京での公演回数が少ないのであまり見たことがない……。東京在住の圭五郎さんは好きでした。亡くなった時は本当に悲しかったです。
そして、こんなこと言うと申し訳ないのだけど、善竹家は地味である。インパクトのある山本家、パワーと押しの強さが感じられる茂山家に比べると、ふんわりほのぼのしていて「これ」という特色を説明するのが難しい(本当に申し訳ないっす)。
しかし、そんな善竹家の若手は、熱心にネット上で情報発信をしている。多分、他の家よりも情報発信に熱心であるし、かつ情報も充実している。だから、ブログを読んでいて「機会があったら公演を見たい」という気持ちになってきた。もっと東京にも来て下さいよ!
・Good-Bamboo blog
good bamboo……善竹(笑) 善竹隆司さんのブログ。残念ながら舞台では拝見したことがないのですが、素敵です! 超好み!(←誰も聞いてないよ) おっとりした古典芸能のお家の御曹司という感じの方です。茶道のお稽古もされているそうですが、よく似合っていらっしゃいます。文章もそこはかとなくユーモアが漂っていてとてもいいのですが、もっと素敵なのが写真です。カメラに凝っているらしく、掲載されている風景写真が素晴らしいです。
弟の隆平さんと兄弟会を主催されているようです。先月末にセルリアンタワー能楽堂でも公演があったんですね……。近いから行けば良かったです。今後はマメにチェックすることにします。ホームページの方は、こちら。善竹家・大蔵家の狂言師のプロフも載ってます。
・善竹忠亮さんのブログ
大学院生と狂言師の二足のわらじを履きながら、忙しい日々を送っていらっしゃる善竹忠亮さんのブログです。線が細い方ですが、何度かぶっ倒れながらも、医者の薬と気力で舞台を乗り切ったという記述があります。ドクターストップをかけられたからといって舞台を休んで、その夜のテレビ番組に出ていた、ある人物とは大違いですね。でも、お体には気をつけて。
この人の文章には頭の良さを感じます。難しいことでも、理解しやすく興味が持てるように文章が書かれているのです。ホームページはぜひご覧になって下さい。演目紹介や、扇(おうぎ)の解説がわかりやすく書いてあります。某宗家のポエムがちゃんと理解出来ないような読解力のない私でも読めます! 狂言初心者の方もそうでない方もぜひ。
実は他にも善竹家の方のブログはあるのですが、次の機会に紹介します。「こんな人もブログを書いてる!」という情報がありましたら、ぜひコメント欄に。
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2008.07.05
さて、あの迷曲「銀座の源さん・モトヤDEサンバ」が発売されてから3か月近く経った。私も忘れかけていたが、宗家ブログでも全く言及がない。オリコンを見ても、ランキング的にはさっぱりである。もう売る気はないのだろうか、やっぱりあれは色物企画だったのかと思っていたところ、このエントリに対して、山内あやりさんのファンの「あやりリスナー」さんが大変貴重なコメントを下さった。パティオ・ミュージックカフェに「源さん」のプロデューサーである源丈文氏が出演された時、生放送中のスタジオを見学されていたようだ。レインボータウンFMのスタジオは、外から見えるようになっているのだ。
まず驚いたのは、「パティオ・ミュージックカフェ」は6月で終了したこと。「パティオ・ミュージックカフェ」のブログは4月から全く更新されていないが、そのせいもあったのかも。山内あやりさんは他にもラジオ日本の番組があるが、パティオはどうするんだろうか。
その他にもいろいろと新しい情報があって驚いたのだが、整理してみる。
・パティオと和泉宗家との関係
あやりリスナーさんによれば、「パティオは宗家と古くからの友人のようで、特にセッチーの話はよくしている」そうである。源さんが出た時以外もそうらしい。そして、パティオは番組でセッチーとの写真をみせてたこともあったらしい(!!) なんだか宗家よりもセッチーと仲良くしたいようにも見える。うーむ。あの一家で一番の権力者だからだろうか。野心家なのかな……。
モトヤとパティオがどこで知り合ったのかは定かではないが、パティオのプロフィールを見ると、「日中国交30周年記念」、「日韓中友好「三都航路」に福岡経済研究会メンバーとして参加」、「中華人民共和国50周年記念フェスティバル公演」というのがある。和泉宗家も中国絡みの仕事が多いので、これらのイベントで知り合った可能性が高い。
ちなみに、山内あやりさんの弟さんが4月のディナーショーに招待されている。パティオに仕事を頼んでいるらしいが、親密なのだろう。あと、このエントリ読んで初めて知ったんだけど、去年のクリスマスにお台場の某ホテルでモトヤとパティオがディナーショーを行ったらしい。こんな話、どこかに出てました? 調べても分からなかった……。
・パティオと源さんとの関係
源さんは元々”銀座の源さん”は自分用に作ったのだけど全く売れなかったから、パティオがサンバにアレンジして、和泉宗家に歌ってもらったらしい。パティオと源さんは元々知り合いだったようだ。源さんは元々演歌歌手だから、元の曲は演歌だったと考えられるが、サンバにすれば売れるってもんですかね? でも、カラオケに入るらしいから、全国的に売りだしていくつもりらしい。
「銀座の源さん」を生で聞いた羽衣さんは、「源さん、源さん」の連呼以外は全く記憶にないと仰っていたが……。羽衣さんはその他のマダムとのデュエットとか歌声喫茶とか狂言の部分は細かく覚えているので、曲に問題がある可能性が高い。でも、源さん的には「この歌が世に出ることができたら私はもう満足で、長い時間をかけた甲斐があった。パティオさんのお蔭で……」ということになっているらしい。残念ながら売れてないっすよー。あやりリスナーさんは「正直、源さんはちょっと頼りない感じがした」と仰っていたが、そうかも……。源さんは最初「銀座でイベントをする」と言っていたような記憶があるのだが、いつどこで行うのやら。あと、「具志堅に頼んだ」というのは一体何だったのか。歌手は誰でも良いのか。
・パティオとその他の人達との関係
まず、小峯侑二氏。全く名前が出てこなかったそうだ。小峯侑二氏のブログをみると、「モトヤと知り合いになって、とってもいい人だから協力した」と書いてあったが、その他の人達については全く何も書いていない。小峯氏は元彌が連れてきたのだろうが、このユニットが本当にうまく行ってるのか分からない。
そして、山内あやりさんについて。4月27日にこのブログに「山内あやりにディナーショーの司会を頼もうとしていたが、断られたらしい」というコメントがあった。ディナーショーの日は木曜で、単に「ミュージックカフェ」の生放送の日だからじゃないかと思うのだが、どうも本当に頼んだっぽい。あやりリスナーさんのコメントによれば、「秋にもショーを行うから、今度こそ司会をやってね、とパティオが頼んでいた」そうである。秋にもディナーショーを計画しているらしいことと、「今度こそ」という言葉から、前は断られたということが伺える。またあの理事長が仕切りたがるだろうし、あやりさんのギャラでごねられても不快だろうから断った方がいいような気はしますが。
山内あやりさんとパティオとの関係だが、まあ、弟さん含めてうまくいってるのだろう。パティオが頼ってるように見えるけど。ただ、ルチャボイスのタレント一覧を見ると、パティオは「業務提携」になっている。前はそうじゃなかったはずだが。あと、トップからCDの情報もなくなってない?
あと、4月27日のコメントによれば、「パティオと侑二は何でもいいから話題になって曲を売ろうとしていたが、セッチーがマスコミとトラブって宣伝してもらえなかった」とのことである。ディナーショーの時も囲み取材はあったが、テレビでもスポーツ紙でも大きな扱いはなかった。元聖君の初舞台の方がよっぽど話題になった。羽野ちゃんとあの不動産シャチョーのお蔭か。あのシャチョーと力を合わせて、CDも売って欲しいところだ。
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2008.07.02
<この狂言について>
この狂言は、和泉宗家によって現在演じ続けられている秘曲中の秘曲である。和泉宗家以外には演じられるものはいないとされている(口さがない者たちは、「誰も演じたくない」と言っているが)。この狂言の特色は、「能舞台では決して演じられない」ことである。マスコミ、ブログ、テレビ等を通じて、あらゆる人に「狂言」を見せるということを目的としている。
もともと狂言とは、「たわごと、デタラメな言葉や冗談」を表す言葉である。現在でも、「狂言誘拐」「狂言強盗」といった言葉が使用されている。そういう言葉が、室町時代までに発展した滑稽な芸能を指す言葉となった。社会風刺、うっかりものの失敗など、現在の「コント」みたいなものが狂言の元である。そんな狂言は、時代が経つにつれ、ちょっと難しげな古典芸能となってしまった。言ってることよく分かんないし、動きも堅苦しいし、みたいなイメージを多くのひとが持ってしまっている。
そんなことではいかん! 狂言の元々の精神を取り戻さなくては! ということで、「狂言的精神」を現代人にも分かりやすく伝えるために作られたのが、この新作狂言「宗家家」である。狂言「宗家家」には、古典芸能の狂言の中にあるさまざまな要素が凝縮されている。更に、多くの台詞も現代の日本語である。時々、現代日本語から逸脱した単語(この狂言の題である「宗家家」もそうだが)も見受けられるが、狂言「土筆」などの言葉遊びを題材とした狂言の影響だろう。
また、忙しい現代人に合わせて、能楽堂に足を運ばなくてもこの狂言を楽しむことが出来る。マスコミ、テレビ、インターネットなどのメディアを十二分に用いている。
この「宗家家」を題材として、「ロード・オブ・ザ・ソウケ」(某掲示板より)、「イズミ・ウォーズ」(南郷力丸氏より)といった映画制作が試みられた。いずれも大作であり、未完のままである。なぜなら、この新作狂言「宗家家」も未完だからである。いつ終わりが来るのか誰にも予測出来ないのだ。1年後に終わるかもしれないし、あと30年くらい続くかもしれない。「グリン・サーガ」を超えると思われる。
いつ終わるのかも分からないのだが、いつ始まったのかも分かっていない。この狂言が一躍有名になったのは、2002年の「宗家家独立」の辺りであるが、その前から狂言は始められていたという可能性もある。開始と終了が分からない以外にも、多くの謎が隠されているので、謎解きの楽しみも味わうことが出来るのが、この狂言の醍醐味である。
<「宗家家」とは>
登場人物の一人である、セッチーがやたらと繰り返している言葉。宗家の家族ということらしいが、「宗家」自体が「宗主たる家。本家。家元」という意味だからおかしい。が、狂言には「知ったかぶりした人が恥をかく」という内容のものがいくつかあるので、それを表現しているのだろう。だから「宗家ファミリー」というのも、宗家家用語ということで。ソウケと呼ばれる男を中心にした家族によって繰り広げられる騒動や日常を扱っている。
<あらすじ>
ノーガク世紀600年。ノーガクシ、キョーゲンシの数は増え続け、ノー、キョーゲンの2つの世界に別れて、互いに交流をしながら平和に暮らしていた。しかし、キョーゲン界を構成するイズミ連邦の代表であるソウケとなっていた、イズミ公国公王モトヒデが急死すると、その嫡子モトヤが即座にソウケを自称する。代表は会議で決めるべきだと、イズミ連邦を構成するノムラ家、マタサブロー家、キョードーシャは主張するが、モトヤとその家族(ソウケケ)は無視し、イズミ連邦に対する独裁を宣言する。
ソウケケ以外のイズミ連邦は、隣のオークラ連邦、ノー界の重鎮達に協力を求め、イズミ公国を包囲する。そんな中、イズミ公国に響き渡るのは、セッチーの声だった。
「ジークイズミ! ジークイズミ!」
なんか違う話が展開されてしまった。
大体似たような感じだからいいか(よくないよ)。ガンダムは思いついたからやってみた。今は後悔している。続きはやれたらやってみる。
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2008.06.28
このブログの本当の使命は、和泉元彌の素晴らしさを世に知らしめることである(多分)。中の人は元々は伝統芸能好きである。小難しそうに世間に思われている伝統芸能について、たくさんの人に興味を持ってもらいたいと願っている。そのきっかけが和泉宗家でも構わなくって、これから「本当の狂言」を見たいと思ってくれる人が出てきてほしいし、和泉宗家から「狂言的な世界」を感じて欲しいとも願っている。
和泉元彌のブログが開設されて2か月経つ。その間、小炎上というかボヤは何度かあったが、全体的には世間の好感度は上がったように見受けられる。コメントを見ても「マスコミ報道から悪いひとかと思っていたけど、そうではなかった」というのが目立つし、ここにも「本人自体は悪い奴じゃないのかも」というコメントがつけられている。
和泉元彌というか和泉宗家は、確かに不祥事が多かった。その中でもっとも大きな不祥事は、やっぱり「能楽協会退会処分」であろう。2001〜2002年、ソウケケは毎日ワイドショーを騒がせていた。方々での公演ドタキャン、遅刻、ダブルブッキングで、能楽に対する信頼を失墜させたということ、その前から他の職分が求めている手続きなしで宗家を自称していたこと、意見をした他の職分(古い弟子である井上師)を勝手に破門した(結局無効になったが)ことなどで、能楽協会から退会処分が言い渡された。この処分を不服とし、ダブルブッキングやドタキャンの騒動は全てでっち上げと主張した宗家は裁判を行なったが、裁判所でもドタキャンやダブルブッキングは全部事実であると認定され、更には右翼に頼んで能楽協会を脅迫しようとしたことまで明かされてしまった。結局、退会処分は最高裁で確定してしまったのだ。宗家は、去年の日記(今はもう消されてしまったけど)でも「裁判所は事実関係をろくに調べていない。能楽協会の言うことをそのまま信用している」と主張していた。私は日本は法治国家だと思ってたんだがな。でも、最近もこんなこと言ってた人いたな。南京関連で。
能楽協会を退会すると、各能楽堂が主催する公演には呼ばれない。あと、公文協が歌舞伎とか能狂言の巡業を企画するが、そういうのにも呼ばれない。能の会の間狂言も普通は呼ばれない(退会処分を受ける前の時点でも呼ばれなくなっていたが)。出来るのは、自主公演だけである。でも、能狂言に興味のない人にはこういう話はピンとこないかもしれないので、もうちょっと下世話なことをいうと、というか、当時の和泉宗家も言ってたんだけど、「人間国宝になれない」。国が重要無形文化財に指定してくれない。まあ、協会にいたから絶対に人間国宝になれるってわけでもないけど、所属してないととなれない。
一番の不祥事はこれなんだが、この10年くらいの間にいろいろなことが報道された。仕事がらみでは、スケジュールやお金のトラブルが多いことが問題視された。更に、プロレスにも出た。
そして私生活というか本人自体の問題としては、マザコンのイメージが強い。あの母や姉に頭が上がらないイメージ。去年の別居騒動では、妻や子供は大事にしてないのではないかという憶測も生んだ。あと、「別火」などのすぐに分かる嘘をつくとか。「退会処分騒動」時のやたらやっていた「びょうびょうびょう」(犬の鳴き真似)や石垣騒動における「イテテテテ」などの映像からは、間抜けな人という印象を抱く人もいたかもしれない。
そんな宗家のブログを読んで思ったのは、仕事以外では理事長(母親)が出てこないことである。そういう風に書いているのかもしれないけど、マザコンイメージを払拭するには十分である。代わりに、妻や子の話が多い。あまりプライベートを晒すのは心配であるが、そういう話の方が反響が大きい。「34歳のとっても家庭的な男性」という印象が強い。後は、意外と仕事してるとか。2002年程ではないが、定期的にテレビに出たり、舞台も行っている。ドタキャンはとりあえずない(その代わり、舞台の告知が直前すぎて、客寄せの役に立ってないような気がするが)。
しかし、能楽協会に復帰しようとしてるとかそういうことはない。大体、自分のお稽古してるんだろうか? また、「直面(ひためん)」の解説など「能楽師として」まずい部分がある。あと、金の問題だけど、チャリティの顛末を見る限りは、相変わらず金の管理が甘い人達だという感じはするが、それもチャリティの「善意」で覆い尽くされている。
しかし、あのブログを見ていると、能楽師としてどうかという部分よりも、「家庭的なパパ」というところが読者には印象深いようなのだ。あのブログで驚かされることは、指摘や批判コメントがつくのは、「直面」の問題よりも、「電車の車窓から顔を出している写真を掲載」とか「ガソリン入れながら携帯を使っている写真を掲載」したことであった。「社会人、父親としてあれはよくありません」だって。私にとっては「インディーズ狂言師」の方が問題なんだが、世間は違うらしい。
世間の和泉元彌のイメージは「マザコンでお母様に頭が上がらない」で、ブログの中の和泉元彌は「決してマザコンではなく、妻や子を思う、家事や育児に協力的なパパ」なのである。能楽界でどういう扱いなのかというのは、おそらくどうでもいいのである。能楽は良く知らないし、多分見に行かないし。そういう人達が元彌を支えているのだ。2002年の公演で元彌が早退した際に、淳子姉ちゃんが舞台で「元彌を見たい方は、あとはテレビでご覧下さい」と挨拶したということが報道されていた。宗家ファミリー自ら、「宗家はテレビで見るものである。公演で見なくてもいい」ことを高らかに宣言したのだ。6年前の時点で公演よりもテレビを優先することにしたのだから、公演に来てもらえなくてもしょうがないのである。宗家をテレビで観賞するというのは、宗家の正しい見方なのだから。
最近の宗家をみていると、もう協会復帰は諦めたように見える。おそらく、去年、和泉流の長老である野村又三郎師が亡くなった時点で、命運が尽きた。もう誰も後見人になってくれないからだ。
宗家は、協会を脱会する時点で、人生規模で狂言を表現することを選択されたのだろう。普通の狂言師は能舞台の上でしか狂言をしないが、宗家はテレビ、ブログ、マスコミを通して狂言をするのだ。「能楽堂ってちょっと敷居が高い」という人達にも、「狂言の精神」を伝えるために、宗家は今日も狂言を演じている。毎日アイスを食べるのも、寝てたら嫁にはたかれるのも、季節感に合わないファッションをするのも、全て「狂言」である。
宗家は「ある意味」人間国宝も超えている、という主張をしているのは、おそらくこのブログだけである。このブログに集まる人達も、その宗家の「狂言」を楽しまれている人達である。単なるアンチなんて決して呼ばないで欲しい。
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2008.06.27
低温やけど系ブログの続き(か?)。
私が嫌いな言葉の一つに、「あなたのためを思って」という言葉がある。「あなたのためを思って言ってるんだ」とか「あなたのためを思ってやったんだ」といった風に使われるが、この言葉の裏にある偽善とか押しつけがましさには吐き気がする。
単に、あんたが好きでやったり言ったりしただけだろーが。誰も頼んでないだろーが。
それを「あなたのために」といった美しい言葉で飾った上で他人のせいにするのだ。本当に醜いと思う。
そして、こういう人達に、自分の醜さや押しつけがましさを理解してもらうのは永遠に不可能だと私は思っている。いくら話しあっても分かりあえないことだと思う。自分の考える「善」が相手に害をなす可能性なんて全く考えないから。
こんな風に考えるのは、私の母なる人が「あなたのために憎まれ役を買って出た」みたいなことを勝手にやっては、いろんなところにやけどを振りまく人だからかもしれない。現に、現在の家庭を壊されかけたこともあるし。今までも何度か「なぜこの行為はまずいのか」を説得しようと試みたことがあるのだが、全て最後は「でも、そういう風に悪く取る方がおかしいんじゃないかしら?」だった。絶対に理解しない。単にこちらが消耗するだけなので、できるだけ関わらない。
ネット上でも、そんな「他人のために憎まれ役になってあげる、とってもいい自分」みたいな人が時々見受けられる。そうやってる自分だけが嫌われるんならいいんですがね、実際は周りも多いに迷惑する。でも、自分が嫌われる可能性なんて1%も考えていないな。「善」や「好意」だから。言っとくけど、お前うざいとか絶対思われてるぞ。
むしろ、そんなうざったい「愛」なんてない態度の方が、いろんなことを気付かせてくれることがある。「お前の一撃必殺の急所をついてやるぜ」という態度の方が、よっぽど自分のことを理解してくれてることもある。当たり前だけど、こちらが好意で行ったことを相手がそう受け取ってくれないこともあるし、逆もある。更に、相手が悪意で行ったことがこちらを利することもある。そんなもんである。「相手に愛や好意があるかどうか」で発言の妥当性や重要性を計るのは、もうよしにしねえかい。
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2008.06.23
先月、ネット上で話題になっていた「水からの伝言」騒動を巡って、「中立名乗ってる人ってどーよ」というエントリを書いた。中立はともかく、この騒動について、私が得た重要な教訓は次のことである。
論理的な批判をされるよりも、変な擁護をされる方が、ある意味ダメージが大きい。
この騒動で舞台になっていたブログをいくつか覗いてみたが、批判コメントに対して人格的な攻撃コメントをする、あるいは完全にスルーする(誰とは言わないけどpokoponの兄さんは大概スルーされていた)ようなブログ主、コメンターが結構見受けられた。で、そういうブログ主とかコメンターをみると、「ああ、そういう態度なのね。そういう態度の人が、そういう主張をしてるのね」という風に見えるのだ。
私はブログを4年も書いてきたし、たくさんの他人のブログも見て来た。そこで分かったことは、ブログの内容を判断する時には、エントリだけではなく、ついているコメントやトラックバックとかも重要な判断材料になるということだ。当たり前だけど。自然と似た人達が集まってくるものだから、ついているコメントを見て「ああ、ここはこういうブログなんだ」と分かることもある。
だから、ブログを運営するというのは、単にエントリを定期的に上げるだけではない。コメントを管理するのもブログを運営する上で大変重要である。
私自身が、コメントする人に望むのは次のことである。「私に対する罵倒はいいが、他のコメンターの罵倒や攻撃はしない。」ありがたいことにそういうコメントは今までにないが、他の客の迷惑になるし、大体コメントつけている人の100倍くらいはアクセスしている人がいるからみっともない。
という、「既に通ってきた道」をイタイほど思い知らされるようなことが最近起きている。我らが和泉元彌のブログである。もうリンクはしない。最初は、「いい人なんですね!」「素敵ですね!」というぬるま湯空間が展開されていたが、最近はちょっと違ってきている。
アクセス数が増えたせいで、明らかな荒らしが出てきた。しかし、ある程度以上アクセス数があるブログではどうしようもないことである。別に宗家に何か問題があるから荒らしコメントがつくわけではなく、素人のブログでもある程度以上の人気になるとネガコメがつくものなのだ。
それはまだいい。最近問題になっているのは、「宗家に対して何か間違いを指摘した人、あるいはこうしたらどうかというご意見に対して、勝手に荒らし認定して攻撃する」ようなコメントがあることだ。しかも、そういうコメントは削除されない。
最近問題になったのは、「チャリティ狂言の寄付額を公表したらいかがですか?」というコメントに対して、「どこから来たのか? 2ちゃんねるか? 日々カタログか?(ホントだよ!)」とか「犯罪予備群がいる」というコメントがつけられていた。
チャリティ狂言の収支を出した方がいいのでは、というのは私もそう思う。最近、どんな募金でも、いくら集めてどのように使ったかを公表する流れにある。「子供の心臓の手術のために集められた募金の使途が不明で問題になった」ということもあった。
こういう時に大騒ぎをする人って誰だと思う? 金出してない野次馬だけじゃない。実際に募金した「善良」な人達もだ。実際に難病の子供はいるんだし、その子供のために何かお金を寄付して、そんな自分って素敵! でいいじゃないか、てわけじゃないんですよ。更に和泉宗家はお金のトラブルが多いのは残念ながら有名である。だから、ちゃんとした方がという気持ちはよく分かる。
しかし、そういうコメントに対して、犯罪予備軍だの荒らしだの書いているコメントがつき、それが放置されている。家族の悪口コメントよりも何とかすべきじゃないかな。ああいうコメントの方がブログ主にダメージを与えると思うのだが。心あるひとがどんどん去っていくことになるし、あそこにアクセスしている人達(ランキング上位に来ているから、相当たくさんいるだろう)もそれを見ているわけだし。
と、こんなことを書いているこの「日々カタログ。」も、既に「アンチ宗家」ブログとして認定されているのかもしれない。冗談じゃない。嫌いなもので90近くも、しかも宗家の朝礼エントリの5倍以上の字数を使ってエントリ書けるもんか。しかも4年近くも書いてるんだ。いい加減なことばっかり書いてたら、ここまで持ちませんって。
ということで、あのブログも「ぬるま湯空間」から「低温やけど系」にじわじわ移行しつつあるように見える。低温やけどはまずいぞ。気が付かないうちに致命傷になるんだぞ。後から冷やしてもダメなんだぞ。
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2008.06.15
本日、銀座能楽堂で和泉宗家による「四川大地震チャリティ狂言」がつつがなく行われたようだ。行ってないけど。チャリティということもあって、正式に決まったのが直前で、どれだけ人が集まったのかは分からないが。
今回話題になったのは、「入場料」のことである。ブログでは「チケット代はいくらなのか?」という問い合わせがいくつかあったのだが、それに対する宗家の回答は次のような太っ腹なものだった。
料 金:皆様のお心次第に。
*チャリティ公演のため
入場チケット料金の設定はございません。
当日受付にチャリティボックスを設置いたします。
ご協力のうえご入場ください。
中国大使館を通じて寄付させていただきます。
チケット代はお好きなように、てことだ。しかし、いつもの公演の設定料金だと、Sが5000円、Aが4000円、Bが2500円である。銀座能楽堂の席数は最大120。いつもどれだけ入ってるのか分からないのだが、招待ではなくチケットを買った客が5割入ると見積もって(これでも多く見積もっているが)、20万前後の収入くらいか。会場代は都内の能楽堂の中では安いはず(狭くて古いから)だ。セルリアンが土曜の玄人会で151200円。玄人でいいんだよね?これよりも銀座は安いだろう。
で、「チャリティ」となると、寄付するような金額を集めないといけないはずだ。1人平均3000円で80人集まったとして、240000円。これでもかなり厳しい数字だと思う。80人なんておそらく来ないからだ。ここから会場代引くと一体いくら残るのか? しかし、「目標額いくら」みたいなことはいっさい書かれていない。どんなチャリティだって目標額はあるだろう。
更に、「チャリティボックスを設置」とあるのだが、これは一体誰が管理するのか? 管理するとすれば理事長しかいないのだが。理事長かあ……(遠い目)。
また、チャリティだからといって、狂言は「雷」1つで、後は小舞ってどうなのだろうか。おさらい会じゃないんだから。しかも、大地震チャリティ狂言で「雷」ですか。よりにもよって、自然災害物ですか。宗家は面つけて写真に写ってますよ。「素顔では演じ難い役には面(おもて)を用います。」とかブログで言ってますよ。それは「ひためんで演じない」というのではないですか。出てくる時には、足をドタドタさせるんだろうか。そんな宗家には「薩摩守」がよく似合うから、次はそれを演じればいいと思う。
(狂言「薩摩守」:現在でも、無賃乗車のことを「薩摩守」と言うが、「薩摩守平忠度(さつまのかみ・たいらのただのり)」から来ている。無一文の僧に対して、茶屋が、ここの川の渡し守は秀句(洒落)好きだ、そんな渡し守に「薩摩守」と言えばきっと喜ぶだろう、そのこころはと言われたら「忠度」と言えば船賃はタダになるよと教えてやる。それを聞いて船に乗って「薩摩守」と言ってみたはいいけど、という話。知ったかぶりで痛い目に合う人の話。)
あと、最近の宗家ブログをみていると、新興宗教じみてきている。誰かが少しでも間違いを指摘すると、他のコメンターに人格攻撃をされる。私はヲチャーなので「いじらずさわらず」の方針でやってますが。そのくせ、宗家をマンセーするようなコメント主が宗家の名前の漢字を間違えている。人の名前を間違える方が失礼な気がするんだが、「にんげんだもの」てことか。それとも壮大な釣りなのか、もはや分からない。でも、みんなやることが宗家に似てきている。事実的な間違いは認めず、それを指摘されると、「言い方が悪い」だの「あなたの人格はどうかと思う」だの「にんげんりょく」的なコメントが湧いて出る。更に、そろいも揃って論理的な文章ではない。
そして、あれだけ熱烈な人が多いのに、「頑張って下さい!」というコメントはあれど、「みました」というコメントはないような気がする……。東京に信者がいないのだろうか。「ブログを通して、ファンがオフ会」みたいなことってないのだろうか。
あと、岩手・宮城大地震について宗家がいろいろ書いているが、明日あたりには日本赤十字が救援金を募り始めるだろうから、寄付したらどうすかとか思いますた。
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2008.06.13
我らが宗家,和泉元彌が「直面」問題について語った! 「直面」問題とは,堺市で行われた歌謡ショーにおいての,「狂言は,化粧をしないスッピン状態の素顔の”じかめん”で演じます」という発言のことである。本「日々カタログ。」よりも先に,あのショーを観賞したマダム2号のブログに書かれていたので話題になった。
能楽における「直面」とは,「ちょくめん」とも「じかめん」とも読まず,「ひためん」と読む。能楽でしか使わない用語だ。一応子供の時は親が指導していたんだから,そんな間違いはなかろう,マダム2号の聞き間違い,記憶違いではないか,という見解もあったが,本ブログに寄稿して下さった羽衣さんも「じかめん」と聞えたと証言して下さった。今や自称とはいえ「狂言師」がそれでいいのか?
また,能楽における「ひためん」とは,「化粧をしない」ではなく,「能面をつけない」の意味である。能のシテ(すごく大ざっぱに言うと,能における「主役」)は,面をつけて演じることが多いが,狂言では基本的に面をつけることはない。もちろん例外はあるけど。能面ホームページの「直面」の解説にも書いてある。それにしても,この「能面ホームページ」って凄いな。しかし,宗家は全く面のことには触れていなかったようだ。
ということで,本ブログをこっそり読んでいるらしい,宗家に「直面」問題について熱く語って下さいとこのエントリでお願いしたところ,なんと,エントリを書いて下さった。このエントリである。このエントリのコメント欄を読んで欲しい。「直面ってなんて読むんですか?」という質問に対して,宗家がこう答えて下さっている。
ヒタメンと読みます。
ヒタメン! みなさん,ヒタメンですよ! 「あら,宗家,”日々カタログ。”とか某掲示板とか読んで勉強したのね」とか思っちゃいけないのですよ! そんな邪な心で宗家を見てはいけません。笑。
しかしながら,肝心の意味の方は,
「直面」と、いって
演者は一切メークは
しません。
ということである。これに対して,「面をつけないことじゃないんですか?」というコメントが別エントリについているのだが,見事スルーされている。
しつこいようだけど,メークしないとか髪をしっかり固めるとか,それって「ひためん」に関係ないから。能で「直面物」というものがある。「安宅」(「勧進帳」の元ネタ)などは,シテは面をつけないから「直面物」と呼ばれる。別に化粧してないからではない。大体,能で化粧なんかしない。素顔を面のように使うことが「直面」。
じゃあ,歌舞伎はどうなのか? 歌舞伎では面をつけずに化粧をする。なら「直面」なのかというと,そうでもないような気がする。歌舞伎でも,「土蜘蛛」や「船弁慶」など,能からきている演目がいくつかある。能では,怨霊とか化け物は必ず面をつける。しかし歌舞伎では面はつけない。その代わりに,化粧で面を作る。あと,狂言から来ている演目として「釣女」(元は「釣針」)がある。狂言では,不美人な女性の場合「乙(おと)」の面をつけるが,歌舞伎だと化粧で不美人になる。こういうのは「直面」ではない感じがする。もっと詳しい人の解説求む。
しかし,宗家の狂言は,もはや「能狂言」の狂言ではないから,こんなことはどうでもいいのかもしれない。間狂言を演じるとか,能の会で狂言を演じるということも,二度とないだろうから別にいいのだ。
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2008.06.06
前のエントリで,羽衣さんより「狂言ハンドブック第3版を買ってみたら,”現代狂言師名鑑”に宗家の名前がありません」というコメントがあった。この名鑑には,2007年11月現在の「能楽会会員」または「釣狐を披いた人」が掲載されている。宗家は「釣狐」を16歳で披いたはずなのに掲載されていない! 由々しきことだ! と思い,私も書店にてハンドブックを買ってみた。
初版のハンドブックは既に持っているが,そこには「和泉元弥」(当時)の名前は掲載されていた。しかし,第3版には姉ズは載っているが,宗家の名前はない。宗家は能楽協会から退会処分を受けたからだと思われる。ちなみに,三宅右近師のご子息2人は掲載されている。
更に,羽衣さんも取り上げていたが,「狂言諸家の現況」においては,こんなことまで書かれている。
和泉元弥家 東京在住。元弥はマスコミをにぎわす不祥事を起こし能楽協会から「退会命令」の処分を受けてからも,姉の和泉淳子・十世三宅藤九郎(祥子)らと能楽界とは無関係に公演を続けている。
能楽界とは無関係に。インディーズ狂言師であるとハンドブックにも書かれてしまった。ちなみに,これを書いているのは武蔵野大学名誉教授の小林責氏。狂言研究の第一人者である。「現代狂言の60年」の項にもこんなことが書いてある。
和泉流宗家では,九五年七月に一九世和泉元秀が急逝すると,直ちに嗣子元弥は二十世宗家を自称するが,三役(ワキ方・囃子方・狂言方)の宗家継承には流儀職分の同意が必要であり,それがなされていないと同流職分が反発,宗家相続は保留中に,元弥が公演の遅刻・早退などの不祥事により能楽協会から「退会命令」を通達されて,現在和泉流家元は不在である。しかし,流儀運営になんら支障は生じていない。
「自称宗家」と書かれてしまった。更に,「なんら支障は生じていない」と本当のことを書いてしまっている。そう,和泉流の他の狂言師は誰も困っていない。今もなお,和泉流の「まともな」狂言は普通に舞台で行われているし,和泉流の狂言師である野村万作は,昨年,人間国宝になった。一応,系図には宗家も載っているし,狂言関係書一覧には,宗家の著書である「一人きりと一人だけ」も掲載されているけど。でも,このハンドブックでは,不祥事は「事実」となっている。あの騒動は全て「でっち上げ」と主張している宗家は,文句を言った方がいいんじゃないですかね。本当にあれがでっち上げであるのなら。
他にもソウケケに対して批判的な表現がいくつも見受けられる。小林責先生は相当お怒りのようである。例えば,「狂言共同社」についての記述の一部。
旧宗家山脇和泉家の面・装束・台本をもち,その芸系を主張する。
本来の山脇家の芸風を継承しているのは,ソウケケではなく「狂言共同社」であるということだ。確かにそうだ。元秀師は先代藤九郎の息子だから,山脇の芸風ではない。
あと,三宅右近家についてもこんなことが書いてある。
一九八〇年代後半から和泉家との関係を絶ち,息子の右矩・近成および高沢祐介ほかの弟子を養成,息子たちは「兄弟会」を起こし,活動は活発。トット基金が支援する日本ろう者劇団の手話狂言の指導及び公演は特筆される。
とても好意的に書かれている。手話狂言は,近所でも公演がありましたね。もともと手話狂言を右近師に勧めたのは黒柳徹子であり,今でも親交は続いているらしい。
それはともかく,狂言ハンドブックは,マスコミによる宗家に対する不当な報道を元に適当に書かれているのであろうか? 狂言の現在に興味のある方,「和泉宗家」の歴史に興味がある方はぜひ読んでもらいたい。
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2008.06.04
和泉元彌の公式サイト"Blue Heaven"が,6月1日からダウンしている。去年もそんなことがあったような……と思ったら,ちょうど1年前だった。またもやドメインの期限を更新出来なかったのか。IPサーチで見てみると,一応,有効期限は2009年5月31日,状態は"Active"で,最終更新は2008年6月1日になっている。更新作業はしているらしいが,また更新料払えてないのだろうか。
私が最初に疑ったのは,PCの問題である。またパソコンの調子が悪いのではないか。4月から藤九郎姉さんのページも全く更新されていないのも心配なのだが,またもやパソコンが故障していると考えればそんなに不思議ではない。しかし,宗家のブログを読むとPCからブログを更新していると書いてある。
更に,ブログでは「アクセス出来ないのですが……」というコメントがいくつも見受けられるのだが,これに対する宗家のリアクションはない。コメントは全部読んでいるはずだ(本人もそう書いている)から,気が付いていないということはないだろう。しかし,それに対して何の回答もない。6月15日にチャリティー狂言を銀座能楽堂で行うという告知を"Blue Heaven"で行っている(つもり)なのに,まずいんじゃないだろうか。
でも,ここでこんなこと書くの何ですが,もうブログ一本でいいんじゃないでしょうか。お金の問題じゃなく,ブログだったらちゃんと更新出来るし,見る人も分かりやすいと思うんですよね。狂言の紹介文だって,自己紹介だって,公演やカルチャーセンターの案内だって,ブログで全部できるじゃないですか。しかも,あの形式のホームページよりも(良くも悪くも)検索にかかりやすいので,検索経由で来てくれるお客さんが増えるはずですよ(もう既に,かなりのアクセス数だと思いますが)。もはやホームページにこだわる必要はないんじゃないかな。というか,チャリティー狂言も日が迫っているから,ブログでちゃんと告知した方がいいのでは?
さて,最近は宗家のブログもずいぶんコメントがつくようになったが,どうもネガコメもつくようになったようだ。宗家だからというより,人気ブログの宿命である。羽野晶紀が属する「有名人ブログ」では,アメブロの別部隊が掲載するコメントの選別作業を行なうらしいが,奥ゆかしい宗家はそうじゃないので。確かに言葉足らずなところはある。韓国スターと共演した時の感想でも「あー,韓国の強さだなぁ。と,思ってしまった。(中略) 徴兵制度があることも。厚さだな。」とか,ちょっとひっかかるところはたくさんある。そういうつもりではないのだろうが,不特定多数が読んでいるのだから,最初から気をつけた方がいいと思う。後から「あれはこういうつもりでした」と別エントリで書いても,それは決して読まれないと思っていた方が良い。
しかし,私がブログを読む頃には,そういうネガコメはさくっと削除されていて,「元彌さん,不快なコメントは削除して下さい」みたいなものが残っている。もとのネガコメの内容が分からないのであまり強いことは言えないのだが,ブログ主に「誰それのコメントは不快なので消して下さい」というコメントを残す人も嫌な感じがする。
ブログは基本的にブログ主のものである。コメントしてくれる人はありがたいが,そのコメントをどうするかはブログ主が判断するものであろう。コメントの「不快」の基準を決めるのもブログ主である。コメンターが不快でないと思って書きこんでも,ブログ主が不快だと感じたら削除されてもしょうがないと私は思っている。でも,不快の基準があまりにも並外れているとアレだが。
ちなみに,このブログでは,英文スパム以外は基本的に消さない。「文章がつまらない」でも「このバーカ」でも「お前なんか不幸になればいい」でも消さない。「うっせハゲ」とかレスを返すだけである。明らかなネガコメをもらったせいで,ブログをやめたくなったことはない。
むしろ「不快だから消して下さい」型のコメントの方が私は凹む。なんであなたにブログ運営の方針について指図されないといけないのよ。きっと善意でやっているのだろうが,そういう「善意」の方が厄介に感じる。宗家のブログを読んでいると,そういう生暖かい善意に溢れていて,体中がかゆくなってくる。実際,最近,ずっと体がかゆくてよく眠れない。宗家あたりか。それはともかく,ネガコメが本当に面倒になったら,コメントは承認制にするか,アメンバー限定にすればいいんじゃないかと宗家に提案しておく。
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2008.05.24
久しぶりの宗家ネタである。「ソウケケ歌謡ショー」のレポも無事終わり何となく気が抜けてしまったのと,休みがあけたら仕事がものすごく忙しくなったのと,またもや熱を出したのと,ハードディスク代わりに使っていたiPodが瀕死状態になったのとで,間が開いてしまった。宗家あたりかもしれない。
そして,先週,銀座で「狂言ライブ」があったようだが,動員はどうだったのだろうか。やはり,歌謡ショーを行なった方がいいのではないか。狂言だけであの価格はちょっと高い。
もう1月前の話だが,和泉元彌のブログが開設された。当「日々カタログ。」では去年の7月に宗家もブログやってみたらどうでしょ? 出版も出来るかもしれないですよと提案していたが,この提案が取入れられたからではないだろう。単に羽野晶紀のオフィシャルブログがアメブロで開設され,それが人気になったからだと考えられる。
それはともかく,宗家のブログを読んでいると,「もしかして,このブログ読んでる?」という記述が目に付く。4月24日のディナーショー直後の写真は,宗家の子供たち+慶子ちゃんと写っていた。全て「宗家ファミリー」から外されてしまった人達だ。「この人達もファミリーなんですから!」というアピールだろうか。あと,子供たちの足袋と自分の足袋を並べた写真もあった。シークレットではないということか?
更に,昨日の日記には本当に驚かされた。
謡も台詞も
全て「間」なんですよ。
大事なのは。
拍子をとるんです。
手、とかでも。
宗家が「間」について語っていらっしゃる! 当ブログでも,宗家の「間」については何度か取り上げている。例えば,歌謡ショーのエントリとかで。実は気にしておられたのか。もしここを本当にお読みなら,今度は「直面」についても熱く語って欲しい。「山伏歩きの極意」とか。更に,「裸足で身長計に乗る」といったサービスショットも期待している。
それはともかく,昨日のこのブログのアクセスが激増していて,何が起こったのかと調べてみたら,和泉元彌,妻・羽野晶紀に強い調子で命令 後で心配になんてことが起きていたようだ。正直言って,「アメブロ乙」とか「羽野晶紀もアクセス稼ぎで大変だねえ」といった感想しか出てこないのだが,このニュースでは羽野晶紀の当該エントリは紹介されているが,宗家のエントリは紹介されていない。そのため,「和泉元彌 ブログ」で検索した人が多かったようなのだ。そして,辿り着いたのが,ここであると。何たることか。
そして,宗家のブログにはコメントもたくさんつくようになった。「何か言い訳がましいけど,誰に向かって言っているのかよく分からない」というコメントもあったが,それは宗家の芸風である。狂言では,何かちょっとした嘘をついたり失敗した人が,言い訳を繰り返す場面が出てくる。「人生規模で狂言を演ずる」宗家は,舞台だけでなくブログでもそれを実践しているのである。殆どのエントリタイトルが「元彌○○」だったり,「アドリブが効かなくって段取りしないとダメなのはA型だから」と血液型のせいにしてみたり,段取りして上手いこと言ったかと思っていたら思わぬツッコミにあったりと,まさしく宗家のエントリは狂言そのものである。
宗家がブログを開設された現在,本ブログで宗家ネタを扱うことの意義を改めて考えていた。もうここはいいのではないかと。しかし,「日常生活を狂言にするという前代未聞の狂言師」の凄さを世の中の人達にもっと知ってもらいたい。普通の狂言師は,舞台の上でしか狂言は演じない。人間国宝だって,「狂言の手法を他の舞台にも応用する」ことはするかもしれないが,普段の生活を狂言化しようとは決して思わないだろうし,ましてやそれをマスメディアを使って全国の皆さんにお伝えするようなことは考えないだろう。しかし,宗家はそれを日常的にやっているわけだ。ある意味,人間国宝も超えている。
そのような宗家の素晴らしさと懐の深さを伝えたい。宗家の舞台は皆さんに見て欲しいし,「狂言って難しそう」と思っている人達のために歌謡ショーは全国でやってほしい。また,ワイドショーでもバラエティでも,出演している宗家のお言葉にもっと注目して欲しい。このブログが,「宗家を楽しむ」ための手引きとなったら幸いである。
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2008.05.14
pokoponのお兄さんが,最近ネットでちょっと話題の「水からの伝言」騒動でいろいろな方と対話している。もはや,争点は「水からの伝言」そのものじゃないんだけど。「水からの伝言」という話を知らない方に少し説明しておくと,水に「ありがとう」などの「よい言葉」をかけると美しい結晶ができるんだけど,「ばかやろう」などの「悪い言葉」をかけると汚い結晶ができるというものだ。それだけならちょっとした笑い話なんだけど,「だから人にもいい言葉をかけましょうね」という道徳の教材に使われたことで話題になった。
こんな話をまともに批判してもしょうがないと思うんだけど,この話は科学的に妥当な事実ではないし,科学的に妥当な理論も存在しないし,まして,「美しい結晶ができる→だから人にも」という論理展開もイミフメである。しかし,このような話を真に受ける人をここで長々と批判する気はない。ネット上でも書籍でも批判は出尽くされているし,私の飯のタネの1つだからである。
更に,最初の騒動(詳しいことは玄倉川さんのエントリにまとめられている)の時点では,この話は「科学をどう思うか」についての論争が「共感文化圏と議論文化圏との衝突」になってしまった例だと考えていた。今もそう思う。で,当ブログでは共感文化圏と議論と転載とというエントリを既に書いている。元はYahoo!ブログの「転載機能」についての考察だが,この騒動にも当てはまるのではないか。読むのがかったるい人は,下に一部引用しておいた。
共感文化の人は,こういう議論の仕方は「自分の否定」に見えるのかもしれない。なので,「自分の気持ち」を分かってもらうべく,「相手が自分を否定した(必ずしもそういうわけではないんだけど)ことへの非難を表明すべく」,言葉を尽くして「議論」する。
しかし,この騒動はまだなぜかくすぶっている。共感文化が相変わらず関係しているのは間違いないのだが,どうも前よりも面倒になっている気がする。
この騒動の過程でpokoponのお兄さんがこんなエントリを書いた。論争があると必ず「中立」を気取る人がいるけど,例えば,進化論と創造論の「中立」ってないだろう,2つの話は全く位相が違うのだから,その位相の違いを無視して「中立」って言ってるのって恥ずかしいっすね,という内容だ。
で,このエントリを読んで思ったのだが,前の騒動と違って,「私は中立ですが……」とか「私は○○の味方ではないのですが,少し折り合えないものでしょうか」みたいな人が目立つのだ。
なぜ「中立」なのだろう。中立とは,どちらの味方でもなく敵でもないということだ。この論争に限らず,何か論争があると「Aはここが問題があるし,B はここが問題。だからどっちもどっちだよね」と中立を気取る人が必ず現れる。もしかすると,「中立=頭いいオレ」ってことなのか。確かに論争をしていると,どちらにも何かしら問題点はある。「オレはその問題点に気が付いたぜ。そんな問題があるから両方に味方しないオレってカッコイイ!」ってことなのか。
この推測はあまり合っていて欲しくないのだが,一応言っとく。A説に賛成である,あるいはB説に賛成であるからといって,自分の論に欠点があることに気が付いていないわけではない。科学的論争においては,必ずA説とB説の相対化が求められる。A説もB説も説明出来ること,A説が説明出来てB説が説明出来ないこと,逆にB説が説明出来てA説が説明出来ないこと,A説もA説も今のところ説明出来ないことというのを把握する必要がある。その上で,「今までA説で説明出来なかったことが説明出来るように,A説を改良する(A'説)」といった作業をする。まあ,確かにネットでは自説の欠点に目を向けない人もいなくはないんだけど,知的誠実さには欠けるだろう。
で,もしA説でもB説でも問題があってどちらも自分は取れない場合は,どうするか。AとBを止揚させたC説を作るとか,全く新しいD説を作るなどする。そこまで出来なくとも,対立する説を止揚するための方向性を示すなどする。中立なんて絶対に言わない。C説
もD説も,A説やB説に対して,もはや中立ではないだろう。本当はそこまでしないと頭が良いとは言わない。
あと,やたらと「折り合え」とかいう人がいる。折り合えと言ってる割には,片方だけに「お前が頭下げれば解決するんだ」と言っている風に見えるんだが,そんなことはどうでもいい。でも,例えば「天動説」と「地動説」のようなものに対しては,何を折り合えばいいのだろう? あと「折り合え」と言っているのであれば,何をどのように折り合うのか提案すればいいと思うが,それはしない。
「折り合い好き」というのは,「いい人だと思われたい病」としか思えない。「ほら,これはあんたが全面的に悪いんやから頭下げるんやで! でも,あんたもなあ,ちょっと言い方っちゅうものがあるやろ,気いつけや」みたいな世話焼きオバサンになりたいのだろうか。それなら最後まで世話焼けばいいのに。両方に「うっせ,クソババア!」と言われるの覚悟で。でも,それはしない。
私は「中立」だの「折り合いましょうよ」とか綺麗事を言う人が嫌いだ。自分の頭の悪さをごまかし,いい人だと思われたくって,でも自分では何もしたくはない狡さを感じるからだ。何も意見がないなら,何も言わなきゃいいのに。あと,「共感文化=体験主義,議論文化=経験主義」という仮説も思いついたが,書くかどうかは分からない。「宗家もいいけど,議論もね!」とかコメントやはてブに書いて下さったら書くかもしれないけど,時間かかりそうなんで。
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2008.05.09
堺市で行われた「宗家歌謡ショー」のレポも今回で最終回である。ほっとしたような,寂しいような気分である。これらのエントリについては,ひとえに,宗家のショーに潜入する勇気を持ち,驚異の記憶力と観察力と文才でショーの様子を伝えてくれた羽衣さんのお蔭である。本当にありがとうございました。
前回のエントリでショーの終わりまで報告したが,最後は「物販編」である。コンサートでも演劇でも,必ず何か物販はあるものである。羽衣さんも「何かお宝があるかも」という期待に胸が高まっていたようだ。
私の胸は高鳴った。あの宗家転落の軌跡(ある種の奇跡?)サイトでおなじみの宗家ご真筆のサインを拝むことができると期待したからである。いざいざ出口で急ぐ。
そこでは、あの館長が客に挨拶していたり、談笑していた。次回は館長の司会・進行で宗家の公演を演出していただきたい。ぜひ宣伝文句を私に書かせて欲しい。
あの伝説のサイン。元々は,和泉宗家相談役ページに掲載されていたものである。この相談役は宗家の大ファンなのだが,こんなサインを載せちゃっていいのだろうか。
そして,前のエントリで「某スレ住人」さんからコメントがあったが,この相談役は堺市出身だった。自分の母校の中学校の50周年記念にソウケケに来てもらったと書いていた。この相談役は本職は日本女子大の先生だから関東に住んでいるはずだが,関西にある母校の行事に口を出せるものなのだろうか。そのくらい偉いってこと? で,単なる推測なんですが,「宗家と10年来のつき合い」という館長は,もしかするとこの相談役つながりで宗家と知り合ったのかも。文化ホール館長となれば,そういうつき合いもあるでしょうし。だからしょっちゅうお仕事を頼んでいるのかもしれない(またこのホールで狂言の公演があるようです)。
ただし,この館長は宗家と仲が良いだろうが,相談役のように「宗家は本当に素晴らしい! 狂言も完璧です!」という風ではなさそうだ。ぜひまたこのような歌謡ショーを企画してもらいたい。その時には羽衣さんに宣伝文を依頼して欲しい。だって,このレポを見て,「自分もショーを見たい」と思った人がいるんですから。
会議室みたいな机の上にCDが、約100枚位のっていた。だが、そこにいるのが職員の人たちで、宗家たちの姿は一切なかった。残念である。
なぜいないのだろうか。やはり宗家の「彌」という字が最大の壁だったのではないか。非常に画数が多い字である。普通このようなサインは行書・草書を使ってさらさらと書いていくのだが、宗家は全く違う。転落サイトでおなじみの宗家は一筆入魂という感じで書いている。狂言はサラサラ流れるような感じなのだが、サインには力がこもっている。なぜなのか。実際にこの目で確かめたかったのだが、その機会はなかった。単にこの字を書くのが面倒だったのか。現に私もこの字を入力することは面倒だ。なんとなく宗家とは気が合うかもしれない。
CDは一応売っているのだが、売る気があるのか・・・ないのか・・・よくわからない。
今時お笑い芸人はもちろん、クラシックの人たちだって公演後、サイン&握手会(時には撮影付)ぐらいやるものなのに。全くない。さすが宗家家の余裕を感じさせる。
それに宗家は大阪の特徴を知らなかったのではないか。大阪は「振り込め詐欺」は少なく「還付金詐欺」が多いというのだ。まあ、一般社会常識とは無縁だから仕方ないことだろかもしれない。つまり大阪ではおまけがつかないとモノが売れないのだ。
別にCDではなく本でも煎餅でもいいのだがそんなものは全くない。あくまでも公演一本で食べていく宗家家の意気込みを感じさせる。
本当にサイン会くらいやっても良さそうである。クラシックの人達がよくやるのは「CD買ってくれた人だけサインします」って形ですね。何しろ売れないから……。宗家もサインと写真会くらいやっても良さそうである。それでCDを買ってくれる人もいるだろうに。「そんなことしたら会場がパニックになる恐れがある」ので遠慮したのかも知れない。奥ゆかしいぜ,宗家。
ただ,CD発売から目を皿のようにしてオリコンを見ているのだが,どこにも載ってない。一体何枚売れてるのか。ここで100枚売れたらオリコンチャートに載ったのではないか。
観客は帰り際、口々に「いや〜、楽しかった」「こんなに笑ったのは何年ぶりやろ」果ては「漫才より面白かった」と語り、公演は大絶賛のうちに終わった。こうして後世に語り継がれる公演は幕を閉じた。
超高評価。笑いにうるさい大阪の人達をこれだけ楽しませるとは! 吉本をはるかに超えている。宗家の天然が大阪の人の心を打った。そして,羽衣さんは次のようにこの公演を振り返る。
この公演で私が得たものはなんであろうか。今、私の手元には辞書が2冊ある。(自分の無知を痛感。穴があったら入りたかった。結構、痛い出費だった。でも伝統芸関係の書物を買わせなかった宗家の人徳には感謝している。)
この公演で宗家が得たものは、決して宗家のご令嬢の自転車ではない。アルマーニのけったいなパンツである。
宗家は果たして堺市立東文化会館に再び来ることができるのか。
このレポのために辞書まで! ブログを始めた宗家も見習って欲しい。子供には絵本を買ってやり,読み聞かせて欲しい。本の読み聞かせによって親子の脳が活性化するそうだから。本当に羽衣さん,ありがとうございました。
そして,この公演レポで私が得たものは何だろうか。やはり「宗家のショーの可能性」だろうか。宗家には,既存の「狂言の公演」という枠組みに囚われて欲しくない。宗家はもはやそういうステージではない。狂言と歌とよく分からない見せ物とファンサービスをミックスした新たなショーを開拓して欲しいし,宗家にはその力があると思われる。
今後もこのようなショーを全国的に行って欲しいのだが,どうすればいいんだろうか。やっぱり料金は3000円が限度かな。5000円だとちょっと高いかも。勿論主催は会場側である。宗家に主導権は握らせない。宗家のさまざまなリアクションこそが生命線だからだ。
東京だと「飛び入りでデュエットしてくれるお客」というのもいなさそうなので,ソウケケ歌謡ショー一本でもいいだろう。その時には「昭和枯れすすき」「瀬戸際の花嫁」「ろくでなし」「よせばいいのに」などを熱唱して欲しい。会場は「文京シビックホール」なんかどうだろうか。宗家はなぜかここで狂言教室を開いている。誰か生徒さんがホールにかけあってくれないか。
ともあれ,宗家には全国の会場にあの
伝説の毛皮コート
姿で上がって欲しいものである。その日を楽しみにしている。
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2008.05.05
宗家の閉幕の挨拶はまだ続く。
宗家はえらく堺がお気に召したご様子だ。また堺に来たい旨を強調して何度も述べる。宗家の熱い熱い思いが私に伝わってきた。子供じゃないんだし来たければ来ればいいじゃないか。なぜ「また来ます」ではなく「また来たい」なのか。ふとパンフレットを見ると「主催:堺市立堺東文化会館(北野田フェスティバル)」との記載がある。これなら前金なしでもOKだ。セッチーが総理主催の会を中座した理由もわかる。そして、館長が強気なこともだ。そして更に出来れば年2回ぐらい来たい、と観客にアピール。決して楽屋内で言わないところが宗家だ。しかも毎日来たいといわないところが宗家の奥ゆかしいところだ。私も年2回ぐらいがいいと思う。いくら大阪がお笑い好きだといっても、ちょくちょく来られては困る。ごちそうはたまに食べるからいいのである。
大阪で教室を持っているはずなのだから,堺には簡単に来られるとは思うのだが。宗家の「また来たい」「年2回ぐらい来たい」は,せんだみつおの「仕事くれ!」のようなものか。どうでもいいが,私の喩えというのはことごとく古い。
今回の企画は,主催が文化会館であり,宗家側は会場費は払わなくてもいい仕事だ。でもって,商工会議所のご招待については館長がさばいたのだろう。宗家側には全く主導権はない。だからこそ,このような企画が成立したのだと思われる。
そして,よしもと新喜劇のように毎日やってはいけない。普段来ないからこそ,会場の人達が熱狂するのだ。
いつもは歌謡ショーなどはないと語り、今回が特別であったと強調する。しかし、私には狂言より歌謡ショーの方が気に入っているように聞こえた。「第2部がメインになると困るな〜」と語るが、むしろ第2部がメインになることを望んでいるかのように聞こえる。あくまで聞こえる、だ。
普通の狂言の公演では歌謡ショーはない。しかし,そのようなことは堺の人達も分かっていることだろう。「第2部がメインになると困る」と宗家はおっしゃるが,24日のディナーショーでも歌を披露されていたじゃないですか。デュエット企画があったかどうかは知らないけど,人前で歌うの好きなんじゃないだろうか。ツンデレな宗家の思いを感じ取った羽衣さんは,次のように述懐する。
そして、この公演のことが全国で話題になり、今後このような公演を全国で行いたいと望んでいる。本当にそれでいいんだろうか。そんな宗家の意を受け、私はコバヤシさんにタレこみ、もとい全国の人にこの公演を知って欲しい、見て欲しいと思った。その結果「日々カタログ」で存分に語らせて頂いています。存分に。そして、宗家の転落の軌跡(ある種の奇跡?)サイトでも取り上げられている。この転落の軌跡サイトを久しぶりに見たら、その充実ぶりに驚いた。というか、充実させてしまったという深い感慨を私に抱かせた。
なんでも流行モノは、西から広まるといって、みんなの口コミに期待しているようだ。自分のブログで語らないところが宗家の奥ゆかしいところです。宗家の好意に従って、もちろんペラペラ語ります。ペラペラと。だが、観客の口コミしか期待できないのも寂しいものである。
しかし、本当に流行モノは西からなのか。私は西から流行したものをあまり知らない。大阪から発祥したもので世界に広がったものといえば、まず浮かぶものはインスタントラーメンだ。だが、宗家にそんな大衆性は全くない。能楽協会すら、満足に所属できないからだ。
次に思い浮かぶのは、やはりアレだ。大阪から全国に広がったものといえば、「同伴喫茶」「ノーパン喫茶」だ。なんとなく後ろ暗く大っぴらに語れないところが、よく似ている。そして、廃れていったところ(没落していくところ)などよく似ている。一部にしか受けないところなどがそうだ。本当に怖すぎるくらいだ。
宗家の隠された思いを伝えるために,羽衣さんはこのようなレポを書いて下さった。私も,宗家の思いは全国の皆さんに伝わったことだと思う。「和泉元彌まとめサイト」でも取り上げられ,某掲示板でもちょっと話題になった。「宗家面白すぎる」とか「マダムとデュエットってwww」とか「こんな公演があったら見たい。3000円なら」といった反響があった。宗家の熱い思いを感じ取って切れのいい文章を書いて下さった羽衣さんのお蔭である。
そして,羽衣さんは宗家のマーケティング戦略も推測する。アットコスメとか価格.comとか見たらお分かりだろうが,商品購買において,口コミが大きな力を持っていると言われている。だから宗家は自分のブログにはいっさい公演のことを書かず,羽衣さんに託したのだ。残念ながら,宗家の文章力では,この公演の素晴らしさはここまで伝わらなかったと思う。羽衣さんの文章力と記憶力と観察力によってこのレポは成功した。
それにしても西から流行したもの……。「よしもと的お笑い」とか? 京都在住の茂山家は「お豆腐狂言」という「毎日食べても飽きません。料亭でも普段のおかずでも何でもなります。そんな豆腐のような狂言を目指します」と言っているが,これはインスタントラーメン的なのかな。
宗家、公演で色々世話になった人に礼を述べる。館長・職員・照明・音響・・・・
われらが宗家、ここで順調に終わらなかった。バンドに礼を述べるとき、何度も何度も手元の資料を見ているのだ。視力が悪いわけは絶対無い。覚えられないのか?ま・まさかそんな歳ではあるまい。「え・え・・・・まさか、宗家、まさか・・・よ・・・・」と思った瞬間、誰からもささやかれることなく「フリー・バート」と語り、礼を述べた。よかった。あれだけ世話になったバンドだ。名前を読めないなんてことはない。杞憂であった。宗家は外国語が得意でいらっしゃるのにだ。その証拠に宗家のブログではアルマーニをわざわざアルファベットで記している。まだまだ国税と仲良くしたいんだろう。国税には是非とも頑張っていただきたい。宗家家の今後を楽しみにしている。宗家の演出は心憎いばかりだ。 お楽しみがいっぱいだ。
フリー・バート。自由なバート。まさか"Free Bird"が読めない訳は……。青山学院大学にて8年も勉学された宗家が,中学生レベルの英語が読めないわけがない。と思いたい。たった2つの単語が覚えられないということもないと思いたい。だって自分の持ち歌である「源さん」と「モトヤDEサンバ」はちゃんと覚えた……んですよね? 最後の最後までお客をハラハラさせる宗家,素敵である。
アルマーニというのは,宗家が横浜で購入されたお洋服のこと。「なぜそんなデザイン……」というもの。そんな金があったら,子供に絵本でも買ってほしい。あと,国税はどうなったのだろう? 「関西では,絶対無理と言われている」らしいが,確かにソウケケに1億以上の追徴課税を払う能力はないだろう。裁判で勝てる見込みもない。マルサは相当手ごわいぞ。どうする,どうなる!?
ここで、宗家ファミリーと慶子ちゃん退場する。
慶子ちゃんは、何度も何度も後ろを振り返り、その度ごとに手を振っていた。本当に名残惜しそうな雰囲気だった。そんな慶子ちゃんに観客たちは盛んに手を振っていた。私もその一人だ。私の方を見て手を振ってくれた。最終的には母親に促され舞台を去っていった。観客と楽しい雰囲気をいつまでも共有したかったに違いない。名残惜しそうな雰囲気であった。もちろん、そんな慶子ちゃんを文化ホールの観客は好きになった。宗家とは全く違う意味であることは語らなくてもわかるであろう。
ワークショップの子供たちは慶子ちゃんが紹介されると拍手していたし・・・慶子ちゃんにしても・・・私はこの子供たちが宗家になにを教わるのか全くわからない。むしろ何も教わらないほうがいいのではないかと思う。慶子ちゃんにはまともな師についてほしいと思うが、これは無理な願いだろうか。
こんな感慨を抱いて、ふと舞台を見たら、もうそこに宗家の姿はなかった。
ご老人たちは,けなげな孫を見るような気持ちで慶子ちゃんを見ていたのではあるまいか。普段会えない孫が去っていくかのような感じだ。慶子ちゃんは,大人の気持ちを読み取るのに聡いようにみえる。前にも書いたけど,今後反動が出なければいいなと思う。ちょっと心配。
慶子ちゃんは,宗家なんかよりずっとお客さんを大事にしている。お客さんと一緒に楽しんでいる。このままこのインディーズ狂言に埋もれていいのかという心配も湧いてくる。
宗家は舞台を去った。これで公演は終了である。羽衣さん,本当にありがとうございました!
……が,羽衣さんのご好意で,最後に「物販編」を書いて下さった。確か,砂野さんがコメント欄で「物販はあったのだろうか」と指摘されていたので,それにお応えして下さった。結論から言えば,あったんだけど,「もっとやる気見せろ」というものだったようだ。ということで,次回が公演レポ最終回である。
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堺市で行われたソウケケ歌謡ショーも大詰めである。文化ホール館長の宗家いじりに始まり,「桜を見る会を中座してこちらに駆けつけたザマス」というセッチーの挨拶が続く。もう4月で暖かくなっているのに毛皮コートを着る宗家,「宗家ファミリーとは,節子ママと節子ママのお腹から出てきた3人である。」という爆弾発言,NHK「歌謡コンサート」を安っぽくした空間で生バンドをバックに2人のマダムとデュエットする宗家。こってりしたコース料理を食べた後のような気分になる。そして,この公演の中で様々な謎が生まれる。文化ホール館長と宗家はどのような関係なのか。宗家の狂言教室は大阪のどこでいつ行なわれているのか。宗家ファミリーには慶子ちゃんと宗家の妻子は入らないのか。なぜ「浪漫飛行」を歌うのか。宗家のご子息の初舞台はいつなのか。それについて姉の淳子ちゃんに話を振られた時に,なぜ「あわわわわ」というリアクションを取ったのか。宗家の身長は一体何センチなのか。羽衣さんも書いておられたが,次回の公演の楽しみをかき立てるような好演出である。この公演を見に行った堺の方々が,宗家についてもっと興味を持って下さったら幸いである。
さて,最後に宗家は閉幕の挨拶をする。が,ここでいきなり問題発言をする。問題というか,「それってどうよ」的発言だが。こってりしたメインの後にデザート山盛りって感じだ。
宗家、「リハなしで歌った」と何度も何度も連呼する。
リハなし! それでいいのか?! ダチョウ倶楽部の「聞いてないよ〜」ですら,打ち合わせ通りだというのに。しかも何度も連呼するとはどういうことだろう。「リハなしでもこれだけうまく出来た」って自慢なのか,「リハがあればもっとうまく出来たんですけど」って言い訳なのか,「ここのホールはリハもさせてくれない」というアピールなのか。全然分からない。
羽衣さんも,この言葉の意味が理解出来なかったようだ。そして,こんな宗家の態度に少し立腹されたようだ。そりゃそうだろう。「人様からお金を貰っておいてその態度はいかがなものか,なめとんのか!」という気持ちにもなるだろう。宗家には,故・三波春夫の「お客様は神様です」という言葉の意味を深く考えて欲しい。
私は非常に驚いた。そして最初聞いたとき、何を言ってるねんと思った。意味が良く分からなかったからだ。今でもわからない。リハをやったから良いというわけでもない。しかし、コンサートへ行って「リハなし」と公言した演者を見たことがない。みんなリハにリハを重ねて公演に臨んだとアピールするからである。よく冗談でリハ中にケンカしたとか言っている人もいるし・・・趣旨がよくわからない。現に羽野ブログでも、リハを行い舞台を楽しみにしているとアピールしている。公演の前日電話したとき「前日入りします」と女性が語っていたので、てっきり前日入りして入念にリハを重ねていると思っていた。私がバカだったのだろうか。甘かったのだ。一体どこへ行っていたのだろうか。日本橋(大阪・難波 関西オタクの聖地)だろうか。
X JAPANだってあれだけリハしてるのに。舞台だって,宗家の場合,「別に歌謡ショーはお楽しみであって,本業じゃないし」ということなのかもしれない。でも,人前で歌ってお金もらっているわけだから。
宗家は日記にこんなことを書いていたはずだ。もう過去の日記は消されてしまっているが,当方のブログでばっちり取り上げておいた。
・3月23日 私どもは舞台でご恩返しをさせていただけるよう、また、舞台での評価をいただけるよう、その日その時の最高の舞台を勤めるため変わらず努力精進を重ねております。(和泉元彌の声を聞いてみよう(その1・マスコミ批判編))
・3月31日 自分たちは、狂言の公演を只の1度もおろそかにしたことも思ったこともありません。(和泉元彌の声を聞いてみよう(その2・沖縄編))
これらの言葉と矛盾はないのだろうか? 「狂言の公演はおろそかにしたことはないが,今回の公演は狂言じゃないからいいのだ」ということか。前日は一体何をしていたのか。難波でファミリー揃ってNGKでも見ていたのか。難波から北野田まで南海で一本だ。
しかも何度も何度も連呼する(少なくとも3回言った。それ以上はむかつくので数えなかった)。私は1つ思いついた。宗家は「自分はリハなしで歌ったけど上手に歌えた」と思い込んでいるのではなかろうか、ということだ。マダム1号・2号はいきなり歌うことになってたのにすごく恐縮していた。謙虚だった。少し見習って欲しい。マダムたちより上手かったわけでもない。はっきりいって和泉元彌の歌は下手だった。自分で上手く歌えたと思ったら、それは錯覚である。浪漫飛行で音程を少なくとも2回はずした(私で分かる範囲、プロが聞くと・・・)。でもすかさず、Free Birdの人たちがフォローしていた。NHKのど自慢で、あまり下手に聞こえないのと同じである。バンドが上手いのである。
この何度も何度も連呼するという行為、自分で祝いの舞を舞わない(もしくは、舞えない)とか堺をなめているとしか思えない。私は和泉元彌に問いたい。「何でリハなしで歌ったと語ったのか。何で何度も何度もそれを連呼したのか。一体この舞台をどう思っているのか。大阪をなめているのか。」この日々カタログを読んでいるなら、ぜひ答えていただきたい。
と熱く熱く語りすぎてしまった。
あくまでこの趣旨は「お笑い宗家」であるので話題をもどす。
3回以上連呼! 一体どうしたというのか。他人の持ち歌(特に有名な歌)を歌う時はカラオケボックスで練習した方がいいのではないか。池袋にもたくさんあるだろうし。そして,この舞台を一体どのように考えていたのか,聞きたいところである。自分の書いた言葉に嘘はないのかと。
あと,前のエントリでコメント欄に書いたことだけど,羽衣さんは,芸に厳しい方だと思う。そして芸を判断する際に,知名度を参考にしない。おそらく,今回舞台に立った人達の中では,生バンドがもっとも芸達者で,次がマダムお二人というところだろうか。館長は名プロデューサーということで。
このエントリは,宗家の閉幕の挨拶に対する「何を考えてるんだ!」というちょっとした怒り編であったが,次はお笑い編に続く。
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2008.05.04
さて,会場が一体となって盛り上がった熱狂(狂乱)の「歌声喫茶」編に突入である。まずは羽衣さんから残念なお知らせ。
私が藤九郎の衣装を「深紅」のワンピースとしたから、妖艶な姿を思い浮かべた人が多いと思いますが、全くの誤解です。腹から上がベルベットみたいで、腹から下が群集のバレリーナみたいなものです。例えて言うなら、七五三です。
故・青江三奈みたいなものを想像していたのに……。さすがに平均年齢60超の空間ではそれは無理か。
それはともかく,ここからは宗家ファミリーと慶子ちゃんが観客と合唱する。
もうすでに一部の人はご存知だと思うが、曲はなんと「青い山脈」である。なぜ「青い山脈」なのかは、謎である。相変わらず謎が多い公演である。しいて言えば60歳以上のばあさんが、セピア色の青春を思い出す曲だったのであろうか。そして、やはり慶子ちゃんは宗家ファミリーの一員ではないと強く実感した。子供がいることを配慮したらこの曲を選択しないであろう。さらに残念なことは、わざわざ印税を払って歌っていることである。著作権が切れた童謡などを選択すべきであろう。
戦争が終り,貧しいながらも希望に満ちた平和な日々を願っていたあの頃を思い出してということなのだろうか。でも,慶子ちゃんはさすがにこの曲は分からないだろう。宗家と姉ズだって,教科書でこの曲を覚えた年代だろう。童謡だと短すぎるし,会場のじいさんばあさんがノレないからダメなのだろうか。それにしても本当にNHK歌謡コンサートのようである。「最後はこの曲でお別れしましょう! 会場の皆様もぜひ一緒に歌って下さい」と小田切アナが喋っていても不思議ではない。
進行役の女性が全員起立をうながす。
国家斉唱でもないのに。歌声喫茶とは全員立って歌っていたのか?全員素直に指示に従う。
いよいよ全員で合唱開始である。歌詞はパンフレットの裏に書いてあるのでバッチリである。
宗家ファミリーと慶子ちゃんが高らかに、そして観客もなんとなく和やかに歌う。
最初の頃は小刻みに足でリズムをとっていた慶子ちゃんは、全身でリズムをとりノリノリだ。
慶子ちゃんはいい子だなあ。オトナが喜ぶツボを心得ているというか。大人社会であまり無理しすぎて後で反動がこないか心配だけど。総立ちの客と宗家ファミリー,慶子ちゃんが一緒に歌う。いい風景である。
ここで,宗家による大サービスが行われる。
曲が進むと、本当のハプニングがおきた。宗家おん自ら舞台を降りられて客席に乱入したのだ。宗家はマイクを年配の紳士に差出し、一緒に歌うよう促した。もちろん関西人でこのような申し出を断る人はなく、紳士はもちろん観客も一緒に歌った。
さらに宗家は歩みを進める。宗家はみんなと握手しながら進む。私の近くのご婦人も宗家と握手してもらった。ご婦人は「モトヤと握手した」「モトヤと握手した」と小躍りしていた。頬を高潮させ喜びを爆発させていた。その姿は女子高生がアイドルと握手してもらって興奮している様に似ていた。さらに歩みを進め観客とハイタッチをしている。宗家と観客は一体となり、会場は狂喜乱舞し、興奮のるつぼと化す。全盛期のジュリーも真っ青であろう。
宗家がジュリーを超えた瞬間である。
「モトヤと握手した」とご婦人を狂喜させるとは,恐るべし宗家。きっと,このご婦人は,公演から帰った後に家族,近所の人達に自慢したことであろう。「今日は手を洗わない!」と誓ったに違いない。観客とハイタッチもする宗家。観客の皆さんにとっては,今まで舞台の上にいた,伝統芸能(笑)の宗家が一気に身近になったことであろう。
しかし,あまりにも観客に近づきすぎると,隠していたこと,あまり見えて欲しくなかったことまで見えてしまうことがある。
私の近くに宗家が見えた。あの「伝説の毛皮のコート」がよく見える。コートはペラペラで薄く、コバヤシさんが期待するように真夏でもいけそうな雰囲気である。ぜひ真夏でも着て欲しい。しかもコートがシワシワなので余計にヨレヨレに見える。そして「毛皮」はボサボサで毛が固まっている感じがする。う〜ん、ダメじゃないか宗家。ちゃんとブラッシングしないと安っぽいものが余計に安っぽく見えるよ。宗家はNHK大河のプロデューサーにコネがあるらしいので、ぜひ口をきいてもらい、見事「NHKおしゃれ工房」に出演を果たして欲しい。そこで「オトコの主夫はじめ」というコーナーをつくってもらって、アイロンのかけ方、衣装の保管方法等を学んで欲しい。
宗家が近くに見える。公演の時の髪の毛は茶髪(茶色がムラムラ)だ。その後10日あまりで髪型を変えている。公演代が入ったのが大きかったのか?なので 、公演に行って宗家に貢献したという実感がアリアリだ。公演後まで余韻を残すとは心憎い演出である。
コートがペラペラでシワシワ。そういえば,マダム2号さんのブログに写真が載っていたが,腕の部分がヨレヨレである。クリーニングに出すと高いだろうが,ちゃんとシワは伸ばした方が良いだろう。「あちこちで着てます」感が漂うから。あと,この毛皮はフェイクなのか本物なのか? 今更のように不思議になってきた。フェイクでもいいが,ちゃんと手入れしないといけないぞ。「おしゃれ工房」で3か月くらい手習いを受けるのはいいかもしれない。掃除,洗濯,アイロン,そして子供や妻が喜ぶ料理。うまくいけば,薬丸のように「ベストファーザー」になって夫婦してCMに引っ張りだこになるだろう。
そして,髪形。セッチー,藤九郎と映画の試写会に現れた時はボサボサ風になっていたが,この公演の時はまだそうではなかったようだ。やっと美容院に行けたのか。でも,あの髪形で本当にいいのか。更に,近づきすぎて,こんなことにも気が付いてしまう。
さらに宗家が私の横を通った。ここでまた新たな真実が明らかになった。それは「宗家の身長が絶対169cmない」ということである。ただ残念なことはシークレット足袋(靴)の存在を確認できなかったことだ。なので正確には「宗家の身長が最大169cmない」。残念である。これは私からの宿題として皆さんに解明していただきたい。
私はこのとき宗家に対して、なぜか「いや〜、ソウケ」と叫んでいた。普通は「きゃ〜、ソウケ」「ステキ〜、ソウケ」なのであるのに・・・全然、イヤじゃないのに・・・でも、そんなことどうでもいいや。
イヤよイヤよも好きのうちということで(笑) 違うかも知れないが。それはともかく,宗家の身長である。絶対に最大169センチない。
一応念のために書いておくが,宗家の身長が低いことが問題になっているわけではない。狂言師は大体背が低いものである。例えば,人間国宝の茂山千作も野村万作も小柄である。でも,誰もそんなこと気にしていない。
しかし宗家は違う。誰も気にしていない身長を勝手に気にして,身長のサバ読みをしたり,ベッカムへアにしたり,シークレット足袋を履いたりしてしまう。だから面白いのだが。かつて171センチという自己申告がサバ読みだったことが判明した宗家だが,169センチもサバ読みかもしれないという疑惑が浮上した。一体宗家の本当の身長は何センチなのか? 本当ならシークレットなんかに頼らなくても自分が大きく見えるような芸を身に付けて欲しいのだが。
さて,この後は宗家の挨拶というか「言い訳」編が続く。
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ソウケケ歌謡ショーも「2人のマダムとのデュエット」まで進んだ。実はこれで終わりではない。この後にまだ,熱狂(狂乱?)の「歌声喫茶」編,最後の最後まで宗家は宗家だった「宗家の挨拶(言い訳)」編,サイン会くらいやってもええやん「物販」編と続くのである。しかも,まだまだ見所があるのだ。宗家恐るべし。
さて,「歌声喫茶」編に入る前に,羽衣さんは「ソウケケの狂言の評価」を送って下さった。「ソウケケ歌謡ショー」の真相(その1)でも狂言のレポを書いて下さったが,その時よりも詳しい感想を送って下さった。「狂言は見た事がないので,もしかすると的外れかも知れません。素人の感想だと思って下さい」と羽衣さんは謙遜しているが,結構重要なポイントを指摘して下さっているので,紹介する。
まず,ソウケケの芸は全体的に「単調」に見えるということを指摘して下さった。まあ,狂言はセットもなければ特殊音響もない。歌舞伎みたいにトンボ切ったりするわけでもない。なので,下手な演者だと間延びした感じに見える。狂言って難しいんですよ。
最初の「祝言小舞 鶴亀の舞」。
宗家の地謡をまず聴いて思ったのが、線が細いということでした。宗家の声質はやや高いというのか、女性っぽいというのか、分からないけど、でもこれは宗家のせいではなく、仕方ないかもしれませんね。本当に女性ぽく聞こえた。
実は「鶴亀の舞」についてGoogleで検索すると,和泉元彌師みずからの指導による狂言小謡「鶴亀の舞」(Youtube)という動画が見つかった。和泉元彌,三宅藤九郎による金城学院大学現代文科学部での講義風景がYoutubeにアップされている。これを見る限り,宗家の声はかなり高い。女子学生に教えるために声を高くしているかもしれないが,共演者が女性ばかりだからかもしれない。たった1週間の講義で素人に謡を謡わせるためかもしれないが,教え方が独特だと思った。狂言の謡の「リズム」は教えないのね。「音程が高いところは上げきる」という問題じゃなくて,「リズム(拍子)に乗せる」のが大事だと思っていたのだが。ちなみに私が教わった先生は拍子とりながら教えてくれたが,この教え方は1週間ではダメだから使えないのかも知れない。
私はこういう地謡というのは、ある種の抑揚というのか、強弱というのか、リズムがあると思っていましたが、全く感じられなかった。私は慶子ちゃんの動きがギクギクしたと書きました。なぜこれが目立ったかと考えました。宗家が全然彼女をフォローというか導いていなかったことが原因ではないかと思います。宗家は自分に夢中で慶子ちゃんに関心があるように見えませんでした。慶子ちゃんは自分で拍を取りながら進んでいたと思います。慶子ちゃんは子供だから宗家が合わせるものですが、合わせてるという感じが全くありませんでした。だから二人の間で協調が感じられず、ぎこちなさが余計に目立ってしまったのかも知れません。子供は気の毒ですが・・・
能楽堂ではないところで小舞を舞うのは,いつもと感覚が変わって難しいと思う。舞台の広さが違ったりするし。オトナならともかく,子供にとっては特に難しいだろう。慶子ちゃんの動きがぎこちなかったのは,いつもと違ったところだったからかもしれない。ちゃんとリハしたんですよね,きっと。あと,地謡は舞っている人に合わせるべきですね。まあ,ぎこちない方が「子供が一生懸命やってる!」感があっていいのかもしれないですが。
次の「痺」は「もう記憶にない」そうです(笑) あーいた,あいたあいた。そして最後の「昆布売」
これに関しては、以前コバヤシさんが書いていた「間」のことがよく分かりました。本当に間合いがありませんでした。台詞が終わるか終わらないかのうちに、すぐ台詞を言っていました。1拍か2拍あけたほうが、効果的なのになあと感じました。昆布売は何度か同じ繰り返しが出てきましたが、どれも同じ調子でした。普通は後へいけばいくほど大げさになっていくと思うのですが、同じ調子でした。でもそんなものかも知れないと思ってみていました。それに台詞の調子も全部同じ感じで強調とか全く感じませんでした。
「間抜け」は相変わらずか。「昆布売」は刀を手にした昆布売が逆に大名を脅して昆布を売らせようという話だが,その時にいろんな謡をさせる。最初は嫌々だったはずの大名がどんどんとノリノリになっていくのが面白いところのはずだ。私も終わりに向けてどんどんとテンションが上がっていく方がいいと思うのだが……。それよりも気になったのは次のこと。
特に気になったのが、祥子が足を下ろすときドスドスといっていたことです。これはけっこう耳につきました。なんでこんなにドスドスするねんという、感じです。宗家は「米米」の時のほうが足が上がっていたような気がします。
足を下ろす時ドスドスいう? 足を下ろす時に音を立てていい時と悪い時がある。「昆布売」だったら,刀を振り上げて脅す時とか,舞で拍子を取る時に鳴らす。それだけなら別に問題はない。念のために羽衣さんに確認を取ってみたところ,帰っていく時もドスドスしていたとのことである。
帰っていく時? 何故?
昆布売ってすり足で歩くんじゃなかったっけ? すり足で退場すれば,音はしないはずである。しかし羽衣さんの文章を見る限り,「帰っていく時に,足を上げている。更に音をさせている」ということになる。昆布売って山伏みたいな歩き方するっけ? 時々宗家の記事を書いていると,自分の知識や記憶に自信がなくなるのだが,誰か覚えている方教えて下さい。あと,たとえ山伏歩きだとしても(違うと思うんだけど),足を下ろす時にいちいち音をさせない。和泉元彌まとめサイトにも書いてあるけど,野村も三宅もそんなことをしない。お父さんもそんなことしてなかったと思うよ,多分。
この感想を読んで,一回宗家の芸を生で確認しなくてはならないという気にはなった。山伏の足の運びではどうしているのか? 中抜きはまだやってるのか? やっぱり間抜けなのか?
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2008.05.03
後半は,「銀座の恋の物語」編。さて,前のエントリのコメント欄でも話題になったが,羽衣さんと同じ会場にいて宗家のショーをご覧になった方のブログが話題になった。そのエントリはここにあるが,ここで紹介している羽衣さんのレポと合わせて読むと,視点が違っていて面白い。当該ブログ主の方は,かなり「親宗家家」というか宗家に対して「全肯定」的である。一方,羽衣さんも明らかに「宗家好き」ではあるが,スタンスは違う。だって,ショーについてのレポートをこのブログに送って下さるという方ですよ。これは単にブログを持っている・持ってないという問題ではないと思う。
さて,このエントリを読んでみると,なんとこの方は2人目にデュエットされた方のようだ。このエントリと羽衣さんのレポを読む限り,仕込みは本当になかったと思われる。関西という土地柄を信じて,こういう企画が行われたのだろう。
進行役の女性が再び登場し、共演者を募る。
が,このときは前回とは違い,共演者候補がすぐに現れなかった。気まずい雰囲気が流れ始め,「私が・・・」と思った瞬間,宗家を哀れみ義侠心にあふれたご婦人が「はい」と手を挙げた。舞台に上がるご婦人に宗家は優しく手をさしだす。その手はかつて羽野のパシリとして買ってきたみかんが握られていた(羽野が「たかじん胸いっぱい」という番組で語る)手だ。宗家の差し出した手にやさしく手をのせご婦人は舞台にあがった。
この時も宗家はご婦人のプライバシーを完全保護。心憎い配慮である。宗家の配慮に配慮を重ねた姿を見て,不覚にも落涙しそうになった。よって,このご婦人を便宜上,「マダム2号」とする。
羽野晶紀はたかじんの番組でそんなことを語っていたのか。宗家はみかんを買いにいかされたのか。亭主関白ぶっていたが,トホホであるなあ。もはや「羽野家の居候」なので仕方がないのか。羽衣さんには,次の機会(あるのか?)にぜひ宗家とデュエットしてほしい。曲は「浪花恋しぐれ」あたりどうだろうか。特に深い意味はないが。
マダム2号は首に巻いていたマフラーを取り,やおら両腕にかけ直した。気分はすっかり,銀座のマダムである。
歌が始まり,宗家とマダムが見つめあうという,熱い世界が展開された。その様子は,銀座のマダムとパシリのホストである。
やがて歌も終わり,宗家がマダムに語りかける。「すごいですね〜」と。するとマダム2号は「何がでしょうか?」と切り返す。あくまで主導権はマダム2号にある。宗家は「歌もそうですが,歌の途中の小芝居が!」と言う。「あほちゃうか?宗家」と思った。誰が見てもマダム2号は銀座のマダムを演じて下さっているのに,渾身の演技なのに・・・宗家は呉服のお見立会でなにをしていたのであろうか。女心が全くわからないのに売れたのか,呉服屋に一度聞いてみたい。
なんとマダム2号は宗家と記念写真を撮りたいと申し出た。宗家が快諾し,淳子がシャッターを押す。宗家とマダム2号のツーショット写真が撮られた。このような場合,観客にも見えるようにして撮影し,みんなに心のシャッターを押させるのだが,あくまでも自分たちの撮りやすさを優先。残念。
宗家は「演技者」であるはずなのに,他人の演技も分からないのだろうか。そしてこの文章を読む限り,羽衣さんはマダム2号の方が演技が上手だと感じたようである。宗家は,人前で歌う時にはどっぷりと曲の世界につかる努力をしてほしい。気持ちだけでも裕次郎になってほしい。マダム2号はそれを実践していたのに,ホスト役のあなたがそれを出来ないのは何事か。本当に呉服のお見立て会で何をしていたというのか。中条きよし(お見立て会のプロ)に弟子入りした方がいいのではないか。
さて,この後は「モトヤDEサンバ」が再び歌われたらしい。なぜ2回も歌うのか,やっぱり歌いたくてしょうがないのか,それは分からないが,なぜか羽衣さんはここだけ記憶が飛んでしまっているらしい。今までこれほど細かく登場人物の言動を覚えているのにも関わらず,なぜかここだけ。想像を超えるソウケケショーの凄さに圧倒されてしまったのだろうか。
「モトヤDEサンバ」を宗家ファミリーと慶子ちゃんで再び合唱したらしい。
なぜ「らしい」という表現を使っているのかというと,この「モトヤDEサンバ」を全く思い出せないからです。記憶が飛んでいる。
あれほど詳細に館長の「男前が災い」「歌声喫茶」発言,宗家の「宗家ファミリーとは,節子ママと節子ママのお腹から生まれた3人の子供」発言,あげく藤九郎の自虐ネタまで覚えているのに不思議である。さらに宗家の毛皮の質感まで鮮明に覚えているのに不思議である。デュエットとこの後の歌声喫茶があまりにも笑劇的すぎたのであろうか。それともそれらより笑劇的すぎてもはや私の許容量をオーバーしたのであろうか。それとも,あんなことを考えていたのが原因ではないかと思った。あんなこととは宗家の狂言公演の演目と同じものを前日とか前週に三宅右近氏に演じてもらうのだ。三宅氏にはぜひ本物の狂言を堺の客に見せ付けて欲しいと思った。このままでは堺の住人は狂言に対して誤解したままではなかろうか。ぜひスポンサーは「かっぱ寿司」にお願いしたい。こんなことを考えたことがいけなかったのか。謎がナゾを呼ぶ不思議な公演である。
しかし,なぜ「モトヤDEサンバ」なんだろう。もはや記憶がないので何故これを歌うことになったのか全然分からないが,もっとましな選択はなかったのであろうか。例えば藤九郎に「瀬戸際の花嫁」を。淳子・慶子ちゃん母娘に「アイアイ」(南の島で猿がたくさん出てくる明るい歌)を。そしてセッチー一同ファミリーで渋く「昭和枯れすすき」などを歌って欲しかった。
「痺」での「和泉家の狂言は普通の狂言ちゃうやん」発言が頭に残っていたのかもしれません。この狂言は普通の狂言ではない。そして,このショーは普通の狂言師のショーではない。この文化ホールの館長には,ぜひ「まともな狂言の公演」も企画してほしいところです。右近さんが無理なら,茂山さんでもいいから。堺の皆さんも,さすがにあれは和泉元彌様の色物ショーとして認識されているとは思いますが,念のために。
それにしてもソウケケに似合う曲は何だろうか。私が最初に思いついたのは,敏いとうとハッピー&ブルーの「よせばいいのに」。「馬鹿ネ馬鹿ネ よせばいいのに ダメなダメな 本当にダメな いつまでたっても ダメなわたしネ♪」と宗家に熱唱してほしい。あとは「ラブユー貧乏」か。実年齢が知れるってものである。
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2008.04.26
羽衣さんによる,歌謡ショーのレポの続き。宗家ファミリー+慶子ちゃんの歌,宗家独唱に続き,ここからは「宗家とデュエット」編である。何と客席の方が宗家とデュエット出来るのである。夢の企画ともいえよう。
ところで,宗家のブログを読むと,24日に行われたディナーショーについて取材を受けた感想として,「ばっかじゃないのって映像が・・・」とか「明日のテレビ見たくないなぁ」とか書いてあるんだけど,誰かワイドショーで映像見ました? 新聞のラテ欄にも全く書かれてないし,誰も見てないんじゃないかと。もはや宗家は「訴えてやる!」とか「押すなよ,押すなよ,絶対に押すなよ」といった,上島竜平レベルに達しているのだろうか。この堺市での歌謡ショーの様子を読む限り,宗家には上島竜平の後継者になれる可能性があると私は強く思っている。
ということで,宗家とデュエット編に入る。ここから宗家の天然が炸裂し,会場が宗家に夢中になり始めているのが羽衣さんの文章から伺える。まずは最初のマダムとの「居酒屋」編。
進行役の女性が宗家とのデュエット希望者を会場内から募る。
実子すら共演を拒むほどなので、もう共演者はいない。そこで会場内の関西人の芸達者ぶりに助けていただこうという趣向である。
この提案に一人のご婦人が間髪いれず、手を挙げた。この方は一般の観客である。仕込みは一切ない。
このご婦人に宗家は「いかにも歌謡ショーという方が登場しましたね」と言った。私は宗家を見て「いかにも色物の人登場しましたね」と思った。そして舞台に上がるご婦人の手を優しくとりエスコート。その姿は安ホストのようである。
いかにも関西のノリである。東京だったらこういう場面でなかなか手が上がらないものであるが,関西では「待ってました!」という人もいるのだろう。館長が第2部開始の時点で「デュエット出来ます」と言った時から,心の準備をしている人もいるのだろう。
通常このような舞台に上がったお客様に対しては「名前」「どこから来たの?」「職業は?」と差し障りのない範囲で聞き,さりげなくお客さんをリラックスさせる。そして例えば遠方から来た客には労をねぎらい,その土地をほめたりする。職業に対しても敬意を込める。そうして,さりげなく親近感や好感を観客に与え,次の公演につなげるようなトークを展開する。
が,宗家はそんなことを全くしない。関西人は特段リラックスさせる必要がないと思っているのか。あるいは宗家の実子ですら共演を拒む事態に至っているので,このご婦人の人生の汚点になるのではという気遣いでプライバシーを守ってあげようとしたのではなかろうか。真相は全く分からない。
しかし,このようなお気遣いは関西人には無用である。このような稀代の色物芸人「和泉流二十世宗家 和泉元彌さま」との共演は,近所の井戸端会議や華やかな宴席はもちろん親類・縁者にたいしてまで吹聴し,子々孫々まで語り継いでいく。ただ,名無しでは不便なので,この「居酒屋」を歌ったご婦人を仮に「マダム1号」とする。
舞台に上がったお客さんをねぎらうとか簡単にインタビューをするといったNHKアナ的気遣いが出来るようであれば,とっくに欽ちゃんのようになれていたはずであるが,そういうことが全く出来ないところが,宗家の魅力なのかもしれない。婦人の手をとりエスコートまでは出来るが,営業トークなどいっさい出来ない,良く言えばお育ちがいいところが,マダム達に受けるのかもしれない。これが淳子ちゃんであれば,「昼どき日本列島」の経験を生かして,素人との軽妙なトークも出来るのだろうが,敢えて宗家にやらせるところがニクイところである。
マダム1号も,翌日からあちこちで「私,あの和泉元彌とデュエットしたのよ!」と武勇伝を披露なさっていたことであろう。そして,24時間以内に,町内の人,親戚,縁者は全てその事実を知ったのではないか。「私も次の機会に」という人も出てくるかもしれないので,来年もまたこの企画をやればいいと思う。
マダム1号は宗家と共演できる喜びにあふれていました。そんなマダムに宗家は「大阪に来たって感じがする」といっていました。私もそんな宗家の「毛皮」を見て,「色物ショーにきた感じがする」と再び強く実感する。
いよいよ歌が始まろうとしたとき,マダム1号が譜面を見づらそうにしている。だが,マダム1号に対して譜面台の高さを上げる,または譜面を手に持って見やすくしてあげるという行為は一切なし。宗家は「いやー。今は若いからいいですけど,年をとったら見づらいでしょう」と語った。さすが青学を8年かかってご卒業した宗家である。きっと勉学と無縁なことが功を奏したたのであろう。なにが世の中幸いするかわからない。
どこにいても,あたかも自宅にいるように振る舞う宗家! 大阪マダムと毛皮コート姿で熱くデュエットする宗家! 会場は,安っぽい「歌謡コンサート」調の文化ホール。想像するだけでお腹いっぱいである。生で見た羽衣さんはさぞお腹いっぱい胸いっぱいになったことであろう。
マダム1号が宗家に熱い熱い視線を送ると宗家は後ずさりすることもなく,視線をからめる。熱い熱い世界が繰り広げられている。そんな雰囲気に触れ,館内はある種異様な雰囲気になる。それは場末のスナックのようであった。
歌が終わると,宗家ご自身ががマダム1号に「(♪絵もない 花もない というところを)♪カネもない と歌っていましたね」と語りかける。マダム1号は「こんなことになるならメガネを持参するんだった」としきりに後悔し,恐縮していました。そして,「ちゃんと歌ってていたのになあ」と不思議がっていた。会場も一様に不思議がる。
しかし,会場は知っている。マダム1号が「♪カネもない」以外のところは正しく歌っている事をみんな知っているのだ。さらに「♪背もない カネもない」と歌わないところにマダム1号の優しさを感じるのは私だけだろうか。もっともマダム1号はシークレット足袋の存在を純粋に知らないかもしれないが・・・・
「カネもない」。なんというアドリブか。マダム1号,恐ろしい人! 関西では普段から素人でも「面白いこと言ったろ!」というノリなのだろうか。まあ,真っ先にデュエット志願する人
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