« N響アワー「大河ドラマ特集」は中途半端だった。 | Main | 読響名曲シリーズ(10月26日) »

2009.11.19

モリシゲとマイケル

 11月10日,森繁久弥が亡くなった。同じ時間帯に市橋が逮捕されたが,私の周り(だけ)では森繁の方がニュースだった。おそらく,故・ナンシー関のせいである。ナンシーは,森繁を見届けられなかったことはおそらく心残りであったろう。ナンシーチルドレンは森繁の死のニュースを聞いて,ナンシーを思い出したのではあるまいか。

 森繁のニュースを聞いて,私がナンシーとともに連想したのが,なぜかマイケル・ジャクソンであった。今年は各界の「一時代を築いた」大物が多く亡くなったという印象が強い。歌舞伎関係だと,中村又五郎,藤間紫,金田龍之介(歌舞伎俳優じゃないけど),ミュージシャンだと忌野清志郎,加藤和彦,プロレスだとやっぱり三沢光晴,文芸関係だと栗本薫,平岡正明,太田竜(苦笑),三遊亭円楽も大原麗子も山城新伍も南田洋子も亡くなった。政治界では,中川昭一と永田寿康は衝撃的だった。彼らは社会に殺されてしまったなあ。他にもたくさんいるが,Wikipediaの"2009年の訃報"を見てほしい。そんな中でも一番の有名人はやっぱりマイケルなのだ。
 マイケルと森繁の共通性は,単に「今年亡くなった」だけではないと思われる。「ある時期から存在自体がネタ化されていった」,その結果,「年齢とか死とか,普通の人が持っている物が彼らにもあるという感じが薄くなった」ところである。
 森繁については,ナンシーが「森繁カウントダウン」と森繁の姿をヲチしていた。何かの授賞式の際には他のスターの衣裳なんかよりも森繁のおぼつかなさ(その割にエスコートする女性の手はしっかりと握っている)を注視してしまうとか,芸能人が亡くなった時に葬式に森繁が来てないかとか,相変わらず「私の方が先に……」と言ってないかとか,いつ消えるかわからない蝋燭の炎をじっと見守るように森繁を見ていた。でも,意外と丈夫で,ドラマだとしっかりしている森繁。カウントダウンと言われてから一体何年経ったか。私は「森繁ってもう死なないのでは」という気に少しなっていた。そんなわけはなかった。

 マイケルも,ある時期から,曲自体よりも私生活とかとかがネタになっていった。でも,あそこまで行くとすごいもんだと思う。私の夫はマイケルの曲は良く知らないんだが(洋楽に興味がないので),マイケルネタはやたらと知ってる。「整形してない」と言い張ってたとか(笑)
 「犬にかぶらせろ!」の速水さんがマイケルについてこんなことを書いていた。

人種や故郷や言葉を超える商品を生むために、マイケル・ジャクソンは,黒人でも白人でも大人でも子どもでも男でも女でもないという唯一の人,唯一の存在にならざるを得なかったんだと思う。
いや,人だったのかどうかすらあやしくもある。

 かつて私は全盛期の沢田研二について,「ある年代の少年が漂わせる,男でもなく女でもない,大人でもなく子供でもない妖しさを持っていた」と書いた。全盛期のジュリーは,「何者でもない存在」に近かった。でもそれは,「人間扱いされない」ことでもあった。ジュリーは人間扱いされるために,年齢相応に太ってしまったのかもしれない。マイケルは「何者でもない」ことを貫いた結果,人間扱いされなくなってしまった。「50歳」とか「死去」とか言われても何だか落ち着かないのだ。年齢とか生とか死とか超えてしまっていたから。


 人としての超越はなぜかネタ化をもたらし,寿命とか生死といったものを希薄にする。彼らの死からそんなことを考えさせられた。ちょっと大げさ。

|

« N響アワー「大河ドラマ特集」は中途半端だった。 | Main | 読響名曲シリーズ(10月26日) »

Comments

体面を考えると車椅子で自力移動できないなら
ひとに押させるよりも電動にしたほうがよいと思う。
85才のタモリはコンパクトになったセグウェイに
立ってぎゅんぎゅん動くのではないか。
(若き日に、晩年のチャップリンに面会して幻滅した
欣ちゃんがタレントとしてすっかり死んでから
生き返ったことにからめてなんか書こうとしたけど
なんも出てこなかった)

Posted by: 砂野 | 2009.11.21 at 11:59 AM

昔から言われてますが,欽ちゃんは結構冷たいひとだと思いますよ。お笑いには残酷さや冷たさといった要素はあるんだけど,欽ちゃんは表向きはそれは排除しているから,偽善的に感じられるんでしょうか。

老人タモリには,高速で動いてもらいたいですね。いいとももまだでてるの。実質的司会は別の人物なんだけど,何となくタモリがずっと出てるのが理想です。

Posted by: コバヤシ | 2009.11.21 at 03:29 PM

私は欣ちゃんが冷たいかについては
ニュートラル説です。素の人間性は
わからない。これは藤山寛美や
手塚治虫にも共通してるけど、商売的に
成功する技術に徹してるからそれ以外が
伝わらない。人間を理系で解いてる感じ。
科学的→冷徹という関連はあります。
シェークスピアもそんな感じしますね。

Posted by: 砂野 | 2009.11.22 at 11:59 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/16479/46804832

Listed below are links to weblogs that reference モリシゲとマイケル:

« N響アワー「大河ドラマ特集」は中途半端だった。 | Main | 読響名曲シリーズ(10月26日) »