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2008.07.24

「能楽」Q&A(3)

 毎度おなじみ能楽Q&Aです(←タモリ倶楽部のノリで)。と書いてみたはいいのですが、タモリ倶楽部は全国放送じゃなかったような気がします。分からない方は、本当にすみません。

 今日は、「能楽師の声の秘密」についてです。普通の能楽堂にはマイクはありません。マイクを使わず肉声で舞台に立っています。シテ方は面をつけていることが多いですが、面をつけていても声は会場内に響きます。あのような声はどうやって出すのでしょうか? 多分、実際にお稽古されている方しか知らない、あるいはお稽古されていても教えてもらっているとは限らない話です。以前のエントリのコメント欄にて、エヌエルさんに教えていただきました。

・能楽の声の凄さ
 能の謡の音域は意外に高いです。しかし、声は太いです。
 能楽師の結婚式・パーティでは、必ず四海波(高砂の一節)が歌われますが、ニューオータニやオークラが揺れます(笑) さる重鎮の方は、1000人以上入るお寺の境内での奉納狂言で、申し合わせの際に「マイク不要ですなあ」と平然と仰ってました。

 ホテルを揺らす声! 単に「大きい」だけじゃなくて、「太い」のですね。「プロと素人との大きな違いは声の大きさ」とのことですが、これは分かります。素人会で大勢で謡を出しても、能楽堂は揺れませんから……。

・能楽の発声法
 力いっぱい謡うと腹筋はよじれそうになります。のどには負担をかけないようにします。そうしないとかれますから。
 あと、「口とのどを縦に開け」と言われます。舞台前にウォーミングアップとかはしません。多くの能楽堂は、舞台のすぐ裏が楽屋なので大きな声は出せませんし、狂言は15〜30分くらいなので、問題はありません。

 ここで、芋娘さんから、声楽でも姿勢や重心を低く保ち、胃袋の下から口までパイプが入っているイメージで歌うというコメントをいただきましたが、能楽でも共通しているそうです。姿勢がぶれないようにするのは基本で、多分素人の場合は、重心を低く保つのが難しいのではということです。「舌が山にならないよう、スプーンのようにくぼませる」って確かにそうでした! そんな感じにすると声が出ますね! でも、言われてもなかなか最初から出来ないですが……。
 
  

 さて、能楽の謡の音階について見ていきましょう。能楽の謡本をご覧になったことのある方はご存知だと思いますが、西洋の音楽のような楽譜ではありません。絶対音階じゃないんです。あと、速さも「♪=64」みたいな記号があるわけではありません。実は、習っていてもよく分からなかったのはここでした。一応、上げ下げの記号、拍子はあるのですが、その時によって高さや速さが変わるという印象でした。この問題についてエヌエルさんがすっきりと回答して下さったので、ご紹介します。

観世流がよく整理されていてわかり易いので、ここでは観世流で説明します。観世流の謡曲にも音階はあります。高いほうの音から順に
・甲クリ(かんぐり)
・クリ
・上ウキ(じょうのうき)
・上(じょう)
・中ウキ(中のうき)
・中
・下ノ中(げのちゅう)
・下(げ)
・呂(ろ)
以上の9音です。
 前に相対音階だと書きましたが、要は曲だとか場面だとかに合わせて自由自在に変調するのです。ですから、一曲の中でも、沈んだ場面と明るい場面で上音が違うということが往々にしてあります。シテは自分の判断で変調し、地謡(バックコーラス)は地頭(リーダー)の判断で変調します。シテが頭の部分を謡って、後は地謡が受けて謡うということがよくありますが、その場合でもシテの上音と地謡の上音が異なる場合もあります。
 シテや地頭は、基本的には出しやすい高さで出るということなのですが、曲や役柄の解釈、シテの年齢や芸風、会の趣旨、演者の体調etcいろんな要素が絡み合って、その場面の音の高さが決められるのです。不具合があれば、申合せの時に話し合います。お囃子方が「あそこ高すぎて聞いててきついね」などとおっしゃられる場合もあり、「シテもうちょっと下げて出てくれますか?地謡は受けて出ますので」とかいう場合もあります。このあたりは演者の格だとか、そういうことも絡みますね。何せ指揮者がいませんから。

 西洋の音楽のように、指揮者やコンサートマスターが調整するということもなく、決まった楽譜というのがあるわけでもなく、その場にいる人達が集まって高さや速さを「ちょうどよく」決めていくのです! 舞手によって特徴はありますが、それは分かっているので、合わせることが可能なのだそうです。本当に「空気を読むことに長けている」日本人だから出来ることですね。なので、毎回毎回、謡のお稽古でテンポや高さが変わっても、仕方のないことなのかも知れません(笑)

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Comments

 ということで、質問思い出したので、お尋ねします。エヌエルさん、お手すきの時にご回答いただけたら幸いです。

 狂言の公演で、2つの家の方が共演されることがありますが、こういうのはどなたが決めるのでしょうか? 主催者、当主の方同士、あるいは当事者同士で決めているのでしょうか? あと、異なる家の共演で苦労されることはありますか? 細かい演出や台詞なども違ってくるのではないかと思うのですが……。漠然とした質問ですみません。

Posted by: コバヤシ | 2008.07.24 at 11:40 PM

 狂言の発声といえば。
 素人で狂言を習っている高齢の方と祇園あたりを歩いていた所、道路の反対側にいた「額の広い」狂言師の人を見つけると挨拶というか立ち話を始めました。
 車が通る道路を挟んで、70過ぎの2人が立ち話をするというのも、不思議な光景でした。

Posted by: 何号力丸 | 2008.07.25 at 12:13 AM

>南郷のお兄さん
 あの家、額の広い方はたくさんい(略 
 しかし、祇園あたりの道路を挟んで年寄りが会話出来るというのも凄いもんですな。狂言発声のたまものでしょうか。あの辺、結構うるさいですよね。

Posted by: コバヤシ | 2008.07.25 at 12:34 AM

コバヤシ様

これはいろいろなケースがありますね。

どこかの団体が狂言の会を新たに企画すると仮定します。
まず、主催者、及び主催者から依頼を受けたプロモーターがどこへ話を持ち込むかによって対応が変わります。

ケース1:どこかの家をホームページ等で探し出して、そこへ直接出演依頼する場合。
この場合は当然その家単独で公演ができるよう段取りを組むでしょうが、生憎人が足りない場合や、会の規模が大きく、当主クラスが二人以上必要だと判断された場合、他家の懇意の方に応援をお願いする形になると思います。「○月○日空いてますか?実は○○で狂言会の話があって、そちらに附子の太郎冠者と次郎冠者をお願いしたいのですが」といったようなことですね。

ケース2:能楽協会へ話が持ち込まれた場合
能楽協会には東京・名古屋・京都・大阪・神戸・福岡と各支部がありますので、開催地によって最寄の支部に在籍する狂言方の家が受け持つことになります。あとの流れはケース1と同様です。

ケース3:どこかの家に出演依頼するものの、ある特定の別の家の方がリクエストされる場合
これもないとはいえません。テレビに出ておられて知名度の高い方は観客動員にも大きな影響を与えます。この場合、受けた狂言方が特定の方の師家に「主催者からぜひ○○さんに出て欲しいと言われているのですが如何でしょうか」と打診をすることになると思います。

ケース4:主催者から依頼を受けたプロモーターが、○○家と□□家との競演を企画する場合
この場合はプロモーター自身が精通しています。格上の家(懇意の家の場合もあるでしょう)の当主に話を持ち込むのでしょう。曲はプロモーターから話を受けた当主が決めると思います(無論プロモーターと相談する場合もあるでしょう)


次にどこかの団体が薪能を新たに企画すると仮定します。

ケース5:どこかのシテ方に依頼する場合
狂言の曲以外の番組はシテ方が決めます。で、そのシテ方と懇意の狂言方に話が持ち込まれます。「○月○日空いてますか?実は○○で薪能の話があって、狂言二番お願いしたいのですが」というところです。で、その狂言方は家単独で公演ができるよう段取りを組むでしょうが、生憎人が足りない場合や、会の規模が大きく、当主クラスが二人以上必要だと判断された場合、他家の懇意の狂言方に応援をお願いする形になると思います。

ケース6:どこかのシテ方に依頼するが、特定の狂言方に指名があった場合
先述の通り、テレビに出ておられて知名度の高い方は観客動員にも大きな影響を与えますからこの場合は、受けたシテ方がその指名された狂言方の師家へ連絡をして「主催者からぜひ○○さんに出て欲しいと言われています。狂言は一番なのですがお家で受けていただけますか」と打診をすることになると思います。
で、その名指しされた方だけがOKで、あとは人が出せない場合は、指名された狂言方の師家が懇意にしている狂言方に連絡をして「実は□□師から○月○日に薪能の話があって、○○は先方の要請があったので出すのだが他は無理なんだが受けてもらえますか?能は羽衣で狂言は附子、太郎冠者は○○にさせるので次郎冠者と主をお願いしたい」というようなことでしょうか。

ケース7:能楽協会へ話が持ち込まれた場合
先述の通りで開催地によって最寄の支部が受け持つことになります。まずシテ方が狂言の曲を除く番組を決め、同じ支部の狂言方に話が持ち込まれます。あとの流れはケース5と同じです。

ケース8:主催者から依頼を受けたプロモーターが、どこの家に頼むか決める場合
ケース4と同様、能に精通したプロモーターなら可能でしょう。話が持ち込まれたシテ方の当主が狂言以外の曲を決め、話が持ち込まれた狂言方が狂言の曲を決めると思います。

このほかにも様々なケースがあると思いますが、ざっと思いつくのは以上です。


家によって言葉も型も違いますので、できるだけどちらかが出稽古に出向いて型と言葉を確認します。できない場合は当日楽屋で確認(申合せ)です。
苦労といえば苦労ですが、一度通しで確認すれば何とかなります。型、言葉の食い違いは私クラスならほぼ間違いなくお相手ではなく、私が先方に合わせることになります。
ただ、少なくとも私の場合、全く初めて共演する方というのは5年に一度あるかないか位の頻度なので、重圧になるほどではありません。(重鎮のお歴々とご一緒させていただく機会なんてありませんし)

Posted by: エヌエル | 2008.07.25 at 10:13 PM

>エヌエルさん
 漠然とした質問ですみません……。答えにくかったでしょうが、丁寧に答えて下さりありがとうございます。

 なんか、いろいろな大人の事情で決まっていくのですね……。大人数のものを出したいけど人が足りないから、流派が同じ他家に頼むというのは想像していたのですが、「有名だからこの人に」というのもあるんですね。しかし、興行主としてはチケットを売りたいから仕方ないのでしょう。
 東京だと、「茂山・野村万作家共演」というのが前にありました。その時は萬斎さん演出の新作狂言でした。チケットは争奪戦でしたが、2回行きました(笑) 私も見事に釣られてますね。


 どちらが合わせるかは、やはり格というかキャリアによるのでしょうか? 今までのお話から推察するに、若手の方が合わせるというのが基本なのですね。
 他家といっても、いつも共演される方はある程度決まっているので、ある程度予測がつくという感じなのでしょうか。

Posted by: コバヤシ | 2008.07.25 at 10:56 PM

 これはちょっとしたつぶやきです。
 他のブログで、この能楽Q&Aが面白いと紹介されてました。まず、いろいろな質問にいつも丁寧に答えて下さるエヌエルさん、本当にありがとうございます。あと、管理人を上回る知識や情熱でコメントして下さるコメント主の皆さんもありがとうございます。あ、紹介してくれたnniさんもいつもありがとうございます! あと、いつも読んで下さっている方々、メールを送って下さる方にも多謝。

 時々、これでいいのかとか、私のブログは本当に影響力があるのかとか、いろいろ悩む時もあるのですが、全て狂言への恩返しのつもりで続けます。柄にもないことを書いてすみません。

Posted by: コバヤシ | 2008.07.25 at 11:05 PM

コバヤシ様

落語会で三席、ご出演の噺家さんが落語協会の方お二人、芸協の方お一人などということはありませんか?
もしあるなら、その出演者がどう決まっていくかというのと、狂言方がどう決まっていくかとはプロセスが似ているんじゃないでしょうか。

私は下っ端なので「合わせてください」などと言える立場にはありませんから、私が合わせるのはは当然のことだと思っています。でもたまにベテランの方が「え?お家はそこは正先まで出るの?じゃあ私合わせましょう」と仰られたりする場合もありますから一概には言えません。稽古・申合せのうちに自然に決まっていくといったほうが実態に近いかもしれません。

家によって同じ曲の太郎冠者でも性格描写が異なる場合もあります。演じていて「お、このお家の場合、太郎冠者はこういうキャラ設定なんだな」などと感じることがあり、他家との共演は新しい発見ができるというか刺激を受けるというか、マンネリを打破できるという大きなメリットがあります。
その時の演者の楽しさ、ノリのよさが見所にうまく伝われば…と願いがら演じています。

Posted by: エヌエル | 2008.07.25 at 11:26 PM

エヌエル様
白練が赤(朱か?)だった件についてアンサーありがとうございました。
解説がないので解りませんが小書きで、大名は酔っていたのだと勝手に解釈する事にしました。
ところで、狂言の型で泣く、笑う、怒る、等ありますよね。当然、仕草にともないそれにふさわしい声がでるわけですが、台詞の場合でもこういう発声の型はすべてに決まっているのでしょうか?
太郎冠者が内心迷惑に思う用件を言い付けられた時の濁音の「はい」は決まっていると解りますが…

Posted by: 満月 | 2008.07.26 at 06:49 PM

満月様

泣く時、笑う時、「畏まって御座る」というときなど、もちろん基本の型はありますが、我々も役者なのでその時自分が演じている人物に感情移入します。ですから、言い方や声色、動き方など、それこそ無限に変化させます。

例えば「棒縛」の太郎冠者と次郎冠者は酒を盗み飲みしている時に何回も「心得た」といいます。このとき、しらふからだんだん酔っているところを演技で見せるわけですから、最初はしっかりと、最後のほうはぐだぐだに「心得た」といいます。グラデーションをかけるように、だんだんぐだぐだにしていくわけです。

附子の泣く場面は嘘泣きです。この場合とってつけたように大きく泣きます。靭猿で猿引や大名が泣くところは感極まって泣くわけですから、こういうときは泣くまでが大切で、その前のセリフからだんだん声を上ずらせておいて、そして一瞬間を取って、それから、その間を取った時にいっぱいに吸い込んだ息を一気に噴出させるような、そんな泣き方になるでしょうか。

太郎冠者が主人から用を命じられた時の「畏まって御座る」という返事も、いやな用ならば、不承不承言ってる感じを表現しなければなりません。具体的には主の言葉から少し間をおいて、できるだけ言葉の抑揚を抑えて言葉を発します。礼も浅い目です。
反対に楽しい用ならば、主の言葉の後に間髪を入れずに、声高らかに深々と礼をして「畏まって御座る」という、そんなところでしょうか。

型はあくまで動きの基本形を定めたものです。基本をどう応用させ、フィットさせるかが役者の仕事です。応用すなわち演技であり、感情表現であるわけです。
役者の仕事とは、観客に深い共感を与えられるような感情表現をすることだと私は思っており、これは現代演劇でも、オペラでも、能楽でも、落語でもすべて同じだと思います。

Posted by: エヌエル | 2008.07.26 at 11:07 PM

 土日にSL乗りに行ってたので(笑)レスが遅れました。すみません……。

>エヌエルさん
 いつもありがとうございます。落語会……ああそうか。主催者側がこの人とこの人でということもあれば、協会で決めることもあり、あと、主催者がトリだけ指定してその他の人はトリの人が頼むということもありますね。確かに似てますね。

 「同じ曲でも登場人物の性格描写が異なる」というのは分かります。学生の時に、茂山さんの一門の方が教えている学生さん達に台本を見せてもらったことがあるのですが、いろいろ違うんですね。「ここはこんなにあっさりやってるのに、ここはしつこい」とか。一方、向こうの人達はこちらの台本を見て、「ちょっと性格悪くないですか?」みたいな感想をもらされていたり(笑) 他家との相互作用によって、「こういう工夫もありなのか」という発見もあるのでしょうね。


>満月さん、エヌエルさん
 すごくいい質問ですね(笑) 私も何か規則があるのか、プロの秘訣を知りたかったです。でも、やっぱり規則なんかなかったんですね(泣)
 先生の指導で印象に残っているのが、「普通の太郎冠者と大名物の太郎冠者は違う」と常々仰っていたことです。呼び出しのところでも違いますが、それ以外でも大名物の場合はピシッとした感じが大事だ、というようなことを強調されてました。普通の太郎冠者だと、持っている知恵を酒の盗み飲みとかどこかでご馳走になるとかそういうことに使っちゃうんですけど。
 あと、エヌエルさんも仰るように、泣くでも笑うでも、繰り返す演技は難しいです。いくら面白い動きでも、何度も同じことをやってるとだれてきます。テンポとか工夫しろとかよく言われました。

Posted by: コバヤシ | 2008.07.27 at 08:07 PM

コバヤシ様

狂言は古典芸能だから、すべてがんじがらめに型ではめられていると考えられている方が多いのですが、演じる側は案外自由にやっていますね。
お笑いの芸人さんがよくやる「二度見」(一度相手を見て一旦視線を外して、もう一度じっと見る)って大分前からやっています。大名もいつも威風堂々と歩いていればそれでいいというわけでもなく、とぼとぼ歩かなければならない場面もありますから、やはり足の運びひとつとっても型にはめられないですね。
前に進む時は必ず左足から、後ろへ下がる時は右足からなどの決まりごとはもちろんありますが、これは稽古していれば慣れてしまって無意識のうちにできるようになりますしね。(余談ですが、袴を着けるときも必ず左足を先に入れます。能楽のルールです。左大臣のほうが右大臣より偉いなどという、東洋の左優先の考え方から来ているようです。ですから、能楽師って着物からズボンに履き替える時も、左足から履くのが癖になってます)

この間現代演劇の役者さんとお話しする機会がありました。その方も狂言なんて形通りにやってるだけだと思っておられたようですが、話が進むうちに「狂言って演技の自由度が大きいんですね。ウチ演出家が厳しいから登場人物の性格の解釈を自分で変えるなんてできないですよ」なんてことになりました。現代演劇でも立ち位置決められたり会話の途中で舞台のほうを向くなど、決まりごとは多いですから、狂言が取り立てて制約が多いとは感じていません。もっともそう感じるようになったのはつい最近のことで、若い頃は演技の自由度が少ないと感じていました。たぶん型を追うことに精一杯だったからでしょう。

仰るとおり狂言の登場人物はほとんどが名もなき人物です。で、これが大きな特徴なのですが、登場人物の年齢設定がほとんどといっていいほどされていません。
ですから、お年を召された方が主を演じ、年若い方が太郎冠者をされる場合と、逆に年若い方が主を演じてお年を召された方が太郎冠者をされるのとでは、同じ曲でもかなり違った見え方になると思います。

決められた型をトレースして終わりというなら楽なのでしょうが、そうでないところに難しさと楽しさがあり、人生かけて取り組む甲斐があると感じています。

Posted by: エヌエル | 2008.07.28 at 12:09 AM

続きです。

コバヤシ様をご指導されていた先生と同じことを、私も昔師家に言われました。
要は、小名狂言は太郎冠者の頓知とか機転とか、そういったキャラクターが笑いのキーになるのに対し、大名狂言は大名という地位の高い人間がじつはスットコドッコイだというところに笑いのキーがあります。前半に地位の高さ、偉さがうまく表現できればできるほど後半に落差ができて話が面白くなります。枝雀さんのお言葉を少しお借りするなら「緊張と緩和の落差を大きくする」ということでしょうか。ですから大名狂言の太郎冠者は、大名とのコントラストを殊更高めるような演技が要求されます。
それが、先生のおっしゃられていたことだと思います。

かく言う私もこんなことに気づいたのは稽古年数がかなり経てからです。師家からこと細かに教えてもらったわけではないですから、やはり話で聞くのではなく身体で感じないと演技で見せられないということなのでしょう。

Posted by: エヌエル | 2008.07.28 at 12:32 AM

コバヤシさん、エヌエルさん

 別エントリに書きました歌舞伎の中村屋の兄弟は、兄は父方の血を、弟は母方の血を濃く受け継いでいるようですね。
 歌舞伎役者は、荒事と言ったら成田屋! みたいにお家で決まる部分もありますが、その容姿によってハマリ役がありますよね。(海老ちゃんが福助さんや七之助君みたいでなくてよかったw)
 でも狂言の場合は、ノッポな茂山家の若い方も、あまり大きくない某スター狂言師さんもいらっしゃいますが、容姿ゆえの向き不向きというのは無い様に思います。出版物に例えると歌舞伎がマンガ、能狂言が小説と言ったところでしょうか?
 観客は直接目で見ているものと、実際は舞台上には無いものを想像力で見る、二つが合わさった楽しみがあるのでしょうね。しかも重鎮といわれる方々の舞台ですと、意識せずに自然に見えてきてしまうのでしょうね。ああ、どんどん、生の舞台を観たくなってきました。
 
 私、現在は東京から遠く離れた地方都市に住んでいますので、狂言を観られる機会はめったに無く、とても残念です。でも実は、生まれ育ったのはコバヤシさんのお家よりちょっと東、大川の向こうっかわなんです。だから中村屋さんのお父さんの普段の口調が大好きなんです。
 おっと、話がそれちまった。ごめんなさいよっ・・・なんちゃって。ふふふ。

Posted by: 芋娘 | 2008.07.28 at 02:11 AM

>エヌエルさん
 「二度見」は「萩大名」でもやりますよね。確かに、台詞の張り方とか足の運びとか、型として決まっていることはあるのだけど、それ以外は意外と自由なんですよね。
 でも、「これはちょっと合わない」というのも何となくあるんですよね。全体のバランスの中で、その間とかそのテンポは合わないというような……。狂言師の先生は直感的に判断できるのですが、素人には難しいところでした。

 そして、能や狂言には基本的には演出家や監督もいないというのも、他の演劇とは違うところかもしれません。演出がつくのは新作狂言くらいでしょうか。歌舞伎でも必ず演出家(役者自身のこともありますが)はつきます。基本的に能狂言は自分たちで演出も考えるというのが特色なんでしょうか。オペラなんか、演出家の方が出演者よりも有名だったりしますし。
 確かに登場人物に年齢設定もほとんどないですよね。大名が若くて太郎冠者の方が年上なのもありますし、その逆もあって、おもしろさが変わってきますね。
 あと、芋娘さんへのレスと重複しますが、歌舞伎みたいな「ニン」は基本的にないというのも特徴ではないかと思います。そういう演劇って他にあまりないですね。狂言は落語に近いのかもしれないです(誰々でこういう噺を聞きたいというのはありますが)。

 
 大名狂言の太郎冠者は、基本的には主人に忠実で常識的な人物ですね。あと、先生の大名狂言の指導で印象に残っているのが、大名の名乗りと太郎冠者の呼び出しまでの台詞運びが非常に重要で、ここが決まらないとダメだとよく仰ってました。先輩方が「萩大名」を出された時の台詞稽古で、太郎冠者の呼び出しまでのところまでで30分以上かかったことがあります。ここで立派さを出さないと、後半の「無粋で物覚えがよろしくない」面白さが出てこないからでしょう。
 あと、「萩大名」と「文相撲」も、同じ大名狂言でも大名のキャラが違うとか。「文相撲」の方が最初から「召し使う者はただ一人」と少しマヌケですから、威張った方が面白いし。


>芋娘さん
 地方でも、時々公民館で狂言がありますから、それをチェックされるといいと思いますよ。私も実家にいた頃、万作師一門が近所で公演されたので母を連れて見に行きました。人気狂言師さんは残念ながら出てませんでしたが、それでも満員御礼でしたね。
 
 あと、前から書こうと思っていたんですが、歌舞伎と狂言では見方が違うような気がします。歌舞伎の方が「役者を見る」という方に重きを置いてるというか。狂言も役者を見ていないわけじゃないんですけど、「ニン」なんて言葉は能楽にはないんですよ。「あの人は太郎冠者がニンじゃない」とか絶対にないです(笑) 
 歌舞伎の配役は、役者の力量だけでなくニンも考慮されています。例えば、おそらく、現在の七之助君に「勧進帳」の弁慶は回ってこないでしょう。彼なら義経かな。
 
 狂言は「小説」というのはそうかもしれません。舞台装置はほとんどなくって、役者の動きと台詞で存在しないものを頭の中で補うような感じですね。


 大川の向こうっかわってバリバリの下町じゃないですか。中村屋の法界坊が出てきそうな。

Posted by: コバヤシ | 2008.07.28 at 02:35 PM

コバヤシさん
 うちの近所というと、大昔には『鬼平』こと長谷川平蔵が住んでいたり(播磨屋さんも大好き)、ちょっと歩いたところに『忠臣蔵』の吉良さんちがありました。

 歌舞伎は役名(個人名)がきっちりとありますが、狂言の場合、一部を除いて太郎冠者、次郎冠者、大名・・・など、大雑把な役が多いですね。コバヤシさんのお話と関連しますが、細かなキャラクター設定がない分、演じ手も観客も自由な想像が出来るような気がします。もっとも、その“自由”というのが曲者で、演じる側にとっては難しいのかもしれませんね。
 

Posted by: 芋娘 | 2008.07.28 at 09:16 PM

 そういや浄瑠璃じゃ、語る人によって音域の広さが全く違いますし、音の高低の代わりに、強弱や緩急で表現ということがあり、本来は高低なのかとさえ思ってしまうわけです。
 相対音階はともかく、高さが強さや息のツメ方にもなるという「相対性」みたいなのは能楽にもあるんでしょうか。

Posted by: 何号力丸 | 2008.07.28 at 09:25 PM

>芋娘さん
 そうなんです、狂言の登場人物名は記号的なんです。だから、大名も太郎冠者も、どこの誰にでも当てはまる人物なんです。「威張ってるけどアホな上司」とか「ここぞとばかりにいけずなことをする男」とか。
 お能は有名人の物語ですし、歌舞伎もチョイ役でも必ず名前があります。講談と落語みたいな感じなのかしら。講談は有名人、有名なエピソードを扱いますが、落語は熊さんとかご隠居とか出てくるけど、その名前に意味があるわけじゃなく、「キャラ」というか「記号」なんですね。
 

>南郷さん
 浄瑠璃の謡本って見た事がないのですが、能楽でも強弱や緩急で表現することはありますね。確かに語る人によって音域違いますよね。

Posted by: コバヤシ | 2008.07.28 at 10:20 PM

 あ、南郷さん、タイガースの旗がはためいているのは、ご当主の家なんですね。あの一家、みんなで阪神ファンなのか……。

Posted by: コバヤシ | 2008.07.28 at 11:33 PM

前には書かなかったのですが、実は、謡にはツヨ吟とヨワ吟の2種類があります。9音あるというのはヨワ吟のほうで、ツヨ吟は
・クリ
・上
・下
のほとんど3音しかありません。中音もあるのですが、上音と同じです。
このツヨ吟は音階というより、息遣いで音の調子を変えるという、西洋音楽ではちょっと表現できない謡い方をします。で、能一曲の中でも力強さだとか、重さだとか爽快さだとか、そういう表現をする場面ではツヨ吟で謡われ、優雅さだとか、寂しさだとか、悲しさなどを表現する場面ではヨワ吟で謡われます。
何号力丸様が仰られる「高さが強さや息のツメ方になる相対性」は、ツヨ吟の謡い方が当てはまるか、または近いものがあると思います。

能狂言(=能楽)に舞台装置がほとんどない理由なのですが、間というか、テンポを重視するが故のことではないかと思っています。
セットがないのですから「上下の街道へ参った」と言えば舞台上は街道になり、「はや戻った」といえばそこは屋敷になります。能でも一人二役演じるシテが着替える時以外はほとんど間を空けません。

舞台装置があると場面転換のたびに暗転させ、セットを組まねばなりません。その間、どうしても間が空いてしまいます。

舞台演出の貧弱さを観客が想像力を働かせることによって補填してもらう代わりに無用な間を与えない。能楽とはそういう演劇なのだと思います。
現代演劇が空間重視で能楽は時間重視の演劇だと対比させることができるのではないでしょうか。

Posted by: エヌエル | 2008.07.29 at 12:09 AM

エヌエルさん
 なるほど「間」ですね。舞台転換で長い時間をかけないこともそうですが、台詞の「間」も重要ですね。
 台詞と台詞の「間」が短いと仰け反るような・・・そして長過ぎると(まだかい?と)前へつんのめってしまうような感じになりそうですね。(一度もまともに観た事がない私の想像なのですが)
 また単調な「間」になると退屈で、ダイナミックにイメージすることが出来なくなりそうですね。

 以前から、某家の方々の「間」には問題があるとの意見がありました。それは(子供達や素人さんの舞台以外)観客として観る側の想像力を使うことが無かったために、今まで気付かずに来てしまったのでしょうか?

Posted by: 芋娘 | 2008.07.29 at 04:13 AM

>エヌエルさん
 ありがとうございます。ツヨ吟は音階というか……あれは「息」なんですね。仰る通り、あれも西洋の音楽にはありえないです。お稽古も最初はヨワ吟の謡から始めますね。

 能舞台には幕がありませんから、歌舞伎やオペラのように「何幕」というのはないですね。歌舞伎だとしょっちゅう場面を転換します。舞台が回ったり(ドリフ!)とか、5分くらい幕をしめることもあります(その間客は席で待ってる)。
 能だと前シテが舞台裏に引っ込んで、間狂言のところで場面が変わるような印象を受けるくらいでしょうか。そこで舞台装置を少し変えることもありますね。

 狂言は、テンポ重視というのはそうかもしれません。客が目を離していいところは基本的にないような気がします。観る側に集中力を要求するところがありますね(時間が短いからそれでもいいのですが)。逆に、その集中力で歌舞伎を観るとぐったりきますが(笑)


>芋娘さん
 間が場面によって変化するというのが大事です。お笑いでも、すぐツッこんだ方がいい時と、ちょっと間を持ってからツッこんだ方が効果がある時があるじゃないですか。それと同じです(同じなのか??)
 某家の人達は、間がない上に、全部タイミングが同じというのが単調に見える原因かも知れないです。
 あと、芋娘さんが仰るように、自分の家以外(はっきり言うと、自分の父親、あとはせいぜいおじいさん)のをあまり見てないし、見ようとしなかったんじゃないかと。そうでなかったら、指導を拒むなんて絶対にないです。

Posted by: コバヤシ | 2008.07.29 at 10:08 AM

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