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2008.05.14

相対化していることは別に中立でも,ましてや頭が良いわけでもない。

 pokoponのお兄さんが,最近ネットでちょっと話題の「水からの伝言」騒動でいろいろな方と対話している。もはや,争点は「水からの伝言」そのものじゃないんだけど。「水からの伝言」という話を知らない方に少し説明しておくと,水に「ありがとう」などの「よい言葉」をかけると美しい結晶ができるんだけど,「ばかやろう」などの「悪い言葉」をかけると汚い結晶ができるというものだ。それだけならちょっとした笑い話なんだけど,「だから人にもいい言葉をかけましょうね」という道徳の教材に使われたことで話題になった。
 こんな話をまともに批判してもしょうがないと思うんだけど,この話は科学的に妥当な事実ではないし,科学的に妥当な理論も存在しないし,まして,「美しい結晶ができる→だから人にも」という論理展開もイミフメである。しかし,このような話を真に受ける人をここで長々と批判する気はない。ネット上でも書籍でも批判は出尽くされているし,私の飯のタネの1つだからである。
 更に,最初の騒動(詳しいことは玄倉川さんのエントリにまとめられている)の時点では,この話は「科学をどう思うか」についての論争が「共感文化圏と議論文化圏との衝突」になってしまった例だと考えていた。今もそう思う。で,当ブログでは共感文化圏と議論と転載とというエントリを既に書いている。元はYahoo!ブログの「転載機能」についての考察だが,この騒動にも当てはまるのではないか。読むのがかったるい人は,下に一部引用しておいた。

 共感文化の人は,こういう議論の仕方は「自分の否定」に見えるのかもしれない。なので,「自分の気持ち」を分かってもらうべく,「相手が自分を否定した(必ずしもそういうわけではないんだけど)ことへの非難を表明すべく」,言葉を尽くして「議論」する。

 しかし,この騒動はまだなぜかくすぶっている。共感文化が相変わらず関係しているのは間違いないのだが,どうも前よりも面倒になっている気がする。
 この騒動の過程でpokoponのお兄さんがこんなエントリを書いた。論争があると必ず「中立」を気取る人がいるけど,例えば,進化論と創造論の「中立」ってないだろう,2つの話は全く位相が違うのだから,その位相の違いを無視して「中立」って言ってるのって恥ずかしいっすね,という内容だ。
 で,このエントリを読んで思ったのだが,前の騒動と違って,「私は中立ですが……」とか「私は○○の味方ではないのですが,少し折り合えないものでしょうか」みたいな人が目立つのだ。


 なぜ「中立」なのだろう。中立とは,どちらの味方でもなく敵でもないということだ。この論争に限らず,何か論争があると「Aはここが問題があるし,B はここが問題。だからどっちもどっちだよね」と中立を気取る人が必ず現れる。もしかすると,「中立=頭いいオレ」ってことなのか。確かに論争をしていると,どちらにも何かしら問題点はある。「オレはその問題点に気が付いたぜ。そんな問題があるから両方に味方しないオレってカッコイイ!」ってことなのか。
 この推測はあまり合っていて欲しくないのだが,一応言っとく。A説に賛成である,あるいはB説に賛成であるからといって,自分の論に欠点があることに気が付いていないわけではない。科学的論争においては,必ずA説とB説の相対化が求められる。A説もB説も説明出来ること,A説が説明出来てB説が説明出来ないこと,逆にB説が説明出来てA説が説明出来ないこと,A説もA説も今のところ説明出来ないことというのを把握する必要がある。その上で,「今までA説で説明出来なかったことが説明出来るように,A説を改良する(A'説)」といった作業をする。まあ,確かにネットでは自説の欠点に目を向けない人もいなくはないんだけど,知的誠実さには欠けるだろう。
 で,もしA説でもB説でも問題があってどちらも自分は取れない場合は,どうするか。AとBを止揚させたC説を作るとか,全く新しいD説を作るなどする。そこまで出来なくとも,対立する説を止揚するための方向性を示すなどする。中立なんて絶対に言わない。C説
もD説も,A説やB説に対して,もはや中立ではないだろう。本当はそこまでしないと頭が良いとは言わない。


 あと,やたらと「折り合え」とかいう人がいる。折り合えと言ってる割には,片方だけに「お前が頭下げれば解決するんだ」と言っている風に見えるんだが,そんなことはどうでもいい。でも,例えば「天動説」と「地動説」のようなものに対しては,何を折り合えばいいのだろう? あと「折り合え」と言っているのであれば,何をどのように折り合うのか提案すればいいと思うが,それはしない。
 「折り合い好き」というのは,「いい人だと思われたい病」としか思えない。「ほら,これはあんたが全面的に悪いんやから頭下げるんやで! でも,あんたもなあ,ちょっと言い方っちゅうものがあるやろ,気いつけや」みたいな世話焼きオバサンになりたいのだろうか。それなら最後まで世話焼けばいいのに。両方に「うっせ,クソババア!」と言われるの覚悟で。でも,それはしない。


 私は「中立」だの「折り合いましょうよ」とか綺麗事を言う人が嫌いだ。自分の頭の悪さをごまかし,いい人だと思われたくって,でも自分では何もしたくはない狡さを感じるからだ。何も意見がないなら,何も言わなきゃいいのに。あと,「共感文化=体験主義,議論文化=経験主義」という仮説も思いついたが,書くかどうかは分からない。「宗家もいいけど,議論もね!」とかコメントやはてブに書いて下さったら書くかもしれないけど,時間かかりそうなんで。

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きのうは定義したの(BlogPet)

きのうは定義したの?

*このエントリは、ブログペットの「コミヤマ」が書きました。

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2008.05.10

ビクター落語会(4月19日)

 この日のビクター落語会は,柳家さん喬,柳亭左龍の親子会。左龍がマクラで話していたが,親子会は初めてなんだそうだ。「今回が最初で最後かもしれませんよ〜」と言っていたが(笑) このビクター落語会は,落語協会所属で,かつ古典落語の実力者を揃えるようにしているらしいのだが,左龍はいいと思いますね(さん喬は既にレギュラー化している)。二つ目時代(「小太郎」だった頃)にも1回見たが,その時も上手いと思った。真打になってからはますます噺も体格も風格が出てきて何よりである。

 最初は前座。小ぞうの「金明竹」。先月は市朗で聞いたが,小ぞうの方がしっかりしているかも。
 左龍の「ふだんの袴」。これ,前に鈴本で市馬で聞いた。左龍のいいところは,どこか芝居っぽさがあるところだ。もしかすると歌舞伎が好きなのかな。登場人物を描く時に,写真やビデオのように表現するんじゃなくって,少しデフォルメする。というのはどの落語家もやっているが,そのデフォルメの仕方が歌舞伎っぽい感じがする。あと,市馬の時は「調子に乗ったバカ」に焦点を当てていたが,左龍だと「調子に乗ったバカを見て困惑する人達」に焦点を当てることで,お調子者のバカさを表現していたようにみえた。
 師匠のさん喬は,おせつ徳三郎の「花見小僧」。休憩を挟んで「刀屋」。さん喬は,映画というかリアルな演劇というか。天然ボケ気味の主人がいい。あと,ちょっとしたところでホロリとさせるのも上手い。後半の「刀屋」は,少し最初が重かったか。頭に血が上った若者に対して,刀屋が「昔ながらの忠義」を説くというのは今の時代にどれだけ通じるのか。
 で,ここまでで会場はかなりお腹いっぱいになってしまった。さん喬にじっくりたっぷり語られてしまったから(笑)
 トリに出てきた左龍は「もういいって感じですね」と自分でも言っていた。「前があまりたっぷりやるとやりにくい」とも。しかし,こんな雰囲気で始まっても,左龍にはじわじわと客を集中させる力があった。噺は「淀五郎」。
 マクラは,さん喬ネタ。師匠は踊りが好きで,昔国立劇場の舞台に立って「藤娘」を踊ったことがあるとか(笑) この一門は喬太郎もそうだけど,師匠ネタ好きだよね。
 「淀五郎」だが,最初に登場人物と当時の歌舞伎がどういう興行をしていたかを簡単に説明してから始めた。師匠との親子会でこの噺を持ってきたところに,左龍の並々ならぬ決意が感じられる。自分を取り立ててくれた人から,心無い(ようにみえる)仕打ちを受ける。一体何がダメなのか。懇意にしていた他の人物からの言葉で,自分に欠けていたものや自分の慢心に気付く。最初はちょっと疲れた感じだった会場も,みるみるうちに噺の世界に引き込まれていく。左龍,恐るべし。今後もビクター落語会で定期的に呼んで欲しい。

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読売日響定期(4月18日)

 スクロヴァチェフスキといえばブルックナーである。ヴァントも朝比奈も亡くなった今となっては,ブルックナー指揮者といえばミスターSということになっている。読響では6番を聴いたことがあるが,凄かった。指揮者やりたい放題。そしてミスターSが常任指揮者となってからも,ブルックナーの演奏は続いている。多分最後に音源をまとめて発売するのかも。それはともかく,名曲の5番はなぜか今まで演奏されてこなかった。
 やっと,ミスターS指揮のブル5が聴ける。ブル5のプログラムはなぜかこの日しかないせいもあって,チケットは早くに売りきれてしまった。
 会場に行ってパンフをもらったら,チラシが挟まっていた。「常任指揮者としての任期を2010年3月まで延長する」とのこと。1年延長か。年齢も年齢だから5年とかは無理だろうが,とりあえずめでたい。


 さて,この日のブル5だが,ありがちな「金管大咆哮」というものとは全く違った。それぞれの旋律を美しく響かせていく。去年のティーレマン&ミュンヘンフィルは「宇宙の爆発」的なブル5だったが,ミスターSは「春の息吹」のような感じ。小さな生命が次々に生まれていくというイメージ。
 第4楽章の前に,1回音合わせをしたが,あれのお蔭か,第1楽章との連続性が明確になったような気がする(そのためだけに音合わせしたとも思えないけど)。そしてフィナーレだが,今まではっきりと見えなかったものが急に隅々まで色鮮やかに見えたときのような驚きがあった。また,この日は指揮者が腕を下ろし少し経ってから拍手が始まった。本当に素晴らしい演奏会だった。


 あまりにも素晴らしかったせいか,この日はオケが舞台から降りた後も指揮者に対する拍手が続き,その拍手にミスターSも応えてくれた。懐かしの一般参賀を思い出す(故・朝比奈隆の晩年のコンサートは,いつもこんな感じで指揮者が出てきた。「一般参賀」と呼ばれていた)。舞台に残っていた団員もファンと同じように拍手している。
 その時,奥から一眼レフカメラを持って現れた人物がいた。よーく見たら。
 コンマスの藤原先生だった。
 ステージでは神妙な顔つきをしている先生が,にこにこしながら,ファンに応えるミスターSを撮っていた。最後の最後にもいいもの見た。

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2008.05.09

読売日響名曲シリーズ(4月12日)

 久しぶりにコンサートのエントリ。ずっと宗家ネタばっかりだったので,ちょっと緊張する。宗家のコンサートのことを書いているうちに一月経ってしまった。
 4月の読響はミスターSが指揮する。名曲シリーズの前半は「悲愴」,後半は「春の祭典」。今年で85になる指揮者のプログラムとは思えない。朝比奈隆が生きていた頃は,「会場で一番の高齢者が指揮者」というのがちょっとした宣伝文句だったが,ミスターSもそうなりつつある。……というかミスターSよりも高齢者はサントリーにいたのだろうか。

 「悲愴」だが,今まで聴いたどの「悲愴」とも違って聴こえた。今まで聴いた中で一番良かったのは,広上&新日本のものだったが,それとは違う。広上さんは焦燥感や嘆きを表現していたが,ミスターSは,もっと乾いていた。「虚しさ」が感じられる「悲愴」だった。あ,演奏が虚しいという意味じゃないですよ。
 第1楽章は,遠くから聴こえる波の音のように始まった。徐々に激しさが増していく。しかし,美しい旋律も何もかもが「虚しい」。華やかな日々も楽しい生活も,どことなく「虚しい」。最後も波の音のように音楽が消えていった。ミスターSにとっての「悲愴」とは人生の虚しさなのか。この演奏が好きかというと答えに困るが,考えさせられた。ファゴットの井上さんが良かった。
 後半は「ハルサイ」。大音量の派手なハルサイが好きな人には耐えられないだろうが,「こんなところからこんな音が」的な面白さがあった。ちょっとアンサンブルが乱れるところもあったが,楽しかった。どこか刹那的な感じがしたが。

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「ソウケケ歌謡ショー」の真相(最終回)

 堺市で行われた「宗家歌謡ショー」のレポも今回で最終回である。ほっとしたような,寂しいような気分である。これらのエントリについては,ひとえに,宗家のショーに潜入する勇気を持ち,驚異の記憶力と観察力と文才でショーの様子を伝えてくれた羽衣さんのお蔭である。本当にありがとうございました。
 前回のエントリでショーの終わりまで報告したが,最後は「物販編」である。コンサートでも演劇でも,必ず何か物販はあるものである。羽衣さんも「何かお宝があるかも」という期待に胸が高まっていたようだ。

私の胸は高鳴った。あの宗家転落の軌跡(ある種の奇跡?)サイトでおなじみの宗家ご真筆のサインを拝むことができると期待したからである。いざいざ出口で急ぐ。
 そこでは、あの館長が客に挨拶していたり、談笑していた。次回は館長の司会・進行で宗家の公演を演出していただきたい。ぜひ宣伝文句を私に書かせて欲しい。

 あの伝説のサイン。元々は,和泉宗家相談役ページに掲載されていたものである。この相談役は宗家の大ファンなのだが,こんなサインを載せちゃっていいのだろうか。
 そして,前のエントリで「某スレ住人」さんからコメントがあったが,この相談役は堺市出身だった。自分の母校の中学校の50周年記念にソウケケに来てもらったと書いていた。この相談役は本職は日本女子大の先生だから関東に住んでいるはずだが,関西にある母校の行事に口を出せるものなのだろうか。そのくらい偉いってこと? で,単なる推測なんですが,「宗家と10年来のつき合い」という館長は,もしかするとこの相談役つながりで宗家と知り合ったのかも。文化ホール館長となれば,そういうつき合いもあるでしょうし。だからしょっちゅうお仕事を頼んでいるのかもしれない(またこのホールで狂言の公演があるようです)。
 ただし,この館長は宗家と仲が良いだろうが,相談役のように「宗家は本当に素晴らしい! 狂言も完璧です!」という風ではなさそうだ。ぜひまたこのような歌謡ショーを企画してもらいたい。その時には羽衣さんに宣伝文を依頼して欲しい。だって,このレポを見て,「自分もショーを見たい」と思った人がいるんですから。

 会議室みたいな机の上にCDが、約100枚位のっていた。だが、そこにいるのが職員の人たちで、宗家たちの姿は一切なかった。残念である。
 なぜいないのだろうか。やはり宗家の「彌」という字が最大の壁だったのではないか。非常に画数が多い字である。普通このようなサインは行書・草書を使ってさらさらと書いていくのだが、宗家は全く違う。転落サイトでおなじみの宗家は一筆入魂という感じで書いている。狂言はサラサラ流れるような感じなのだが、サインには力がこもっている。なぜなのか。実際にこの目で確かめたかったのだが、その機会はなかった。単にこの字を書くのが面倒だったのか。現に私もこの字を入力することは面倒だ。なんとなく宗家とは気が合うかもしれない。
 CDは一応売っているのだが、売る気があるのか・・・ないのか・・・よくわからない。
 今時お笑い芸人はもちろん、クラシックの人たちだって公演後、サイン&握手会(時には撮影付)ぐらいやるものなのに。全くない。さすが宗家家の余裕を感じさせる。
 それに宗家は大阪の特徴を知らなかったのではないか。大阪は「振り込め詐欺」は少なく「還付金詐欺」が多いというのだ。まあ、一般社会常識とは無縁だから仕方ないことだろかもしれない。つまり大阪ではおまけがつかないとモノが売れないのだ。
 別にCDではなく本でも煎餅でもいいのだがそんなものは全くない。あくまでも公演一本で食べていく宗家家の意気込みを感じさせる。

 本当にサイン会くらいやっても良さそうである。クラシックの人達がよくやるのは「CD買ってくれた人だけサインします」って形ですね。何しろ売れないから……。宗家もサインと写真会くらいやっても良さそうである。それでCDを買ってくれる人もいるだろうに。「そんなことしたら会場がパニックになる恐れがある」ので遠慮したのかも知れない。奥ゆかしいぜ,宗家。
 ただ,CD発売から目を皿のようにしてオリコンを見ているのだが,どこにも載ってない。一体何枚売れてるのか。ここで100枚売れたらオリコンチャートに載ったのではないか。

 観客は帰り際、口々に「いや〜、楽しかった」「こんなに笑ったのは何年ぶりやろ」果ては「漫才より面白かった」と語り、公演は大絶賛のうちに終わった。こうして後世に語り継がれる公演は幕を閉じた。

 超高評価。笑いにうるさい大阪の人達をこれだけ楽しませるとは! 吉本をはるかに超えている。宗家の天然が大阪の人の心を打った。そして,羽衣さんは次のようにこの公演を振り返る。

 この公演で私が得たものはなんであろうか。今、私の手元には辞書が2冊ある。(自分の無知を痛感。穴があったら入りたかった。結構、痛い出費だった。でも伝統芸関係の書物を買わせなかった宗家の人徳には感謝している。)
 この公演で宗家が得たものは、決して宗家のご令嬢の自転車ではない。アルマーニのけったいなパンツである。

宗家は果たして堺市立東文化会館に再び来ることができるのか。

 このレポのために辞書まで! ブログを始めた宗家も見習って欲しい。子供には絵本を買ってやり,読み聞かせて欲しい。本の読み聞かせによって親子の脳が活性化するそうだから。本当に羽衣さん,ありがとうございました。
 
 
 そして,この公演レポで私が得たものは何だろうか。やはり「宗家のショーの可能性」だろうか。宗家には,既存の「狂言の公演」という枠組みに囚われて欲しくない。宗家はもはやそういうステージではない。狂言と歌とよく分からない見せ物とファンサービスをミックスした新たなショーを開拓して欲しいし,宗家にはその力があると思われる。
 今後もこのようなショーを全国的に行って欲しいのだが,どうすればいいんだろうか。やっぱり料金は3000円が限度かな。5000円だとちょっと高いかも。勿論主催は会場側である。宗家に主導権は握らせない。宗家のさまざまなリアクションこそが生命線だからだ。
 東京だと「飛び入りでデュエットしてくれるお客」というのもいなさそうなので,ソウケケ歌謡ショー一本でもいいだろう。その時には「昭和枯れすすき」「瀬戸際の花嫁」「ろくでなし」「よせばいいのに」などを熱唱して欲しい。会場は「文京シビックホール」なんかどうだろうか。宗家はなぜかここで狂言教室を開いている。誰か生徒さんがホールにかけあってくれないか。
 ともあれ,宗家には全国の会場にあの

伝説の毛皮コート

姿で上がって欲しいものである。その日を楽しみにしている。

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2008.05.07

「ソウケケ歌謡ショー」の真相(その11)(BlogPet)

コバヤシの「「ソウケケ歌謡ショー」の真相(その11)」のまねしてかいてみるね

宗家家の英語が気に入っていくかは絶対無い。
セッチーが気に入って下さったバンドに。
しかし、むしろ第2回で、ここまで伝わらなかった人だ♪
その充実さは西から広まるとの素晴らしさは困る。
残念ながら,次回が熱狂する。
存分になり、西から流行したかった瞬間、ここまでお客さんに語らなくてくれたものか。
は好きな雰囲気だった宗家にし・私も推測する。

*このエントリは、ブログペットの「コミヤマ」が書きました。

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2008.05.05

「ソウケケ歌謡ショー」の真相(その11)

 宗家の閉幕の挨拶はまだ続く。

 宗家はえらく堺がお気に召したご様子だ。また堺に来たい旨を強調して何度も述べる。宗家の熱い熱い思いが私に伝わってきた。子供じゃないんだし来たければ来ればいいじゃないか。なぜ「また来ます」ではなく「また来たい」なのか。ふとパンフレットを見ると「主催:堺市立堺東文化会館(北野田フェスティバル)」との記載がある。これなら前金なしでもOKだ。セッチーが総理主催の会を中座した理由もわかる。そして、館長が強気なこともだ。そして更に出来れば年2回ぐらい来たい、と観客にアピール。決して楽屋内で言わないところが宗家だ。しかも毎日来たいといわないところが宗家の奥ゆかしいところだ。私も年2回ぐらいがいいと思う。いくら大阪がお笑い好きだといっても、ちょくちょく来られては困る。ごちそうはたまに食べるからいいのである。

 大阪で教室を持っているはずなのだから,堺には簡単に来られるとは思うのだが。宗家の「また来たい」「年2回ぐらい来たい」は,せんだみつおの「仕事くれ!」のようなものか。どうでもいいが,私の喩えというのはことごとく古い。
 今回の企画は,主催が文化会館であり,宗家側は会場費は払わなくてもいい仕事だ。でもって,商工会議所のご招待については館長がさばいたのだろう。宗家側には全く主導権はない。だからこそ,このような企画が成立したのだと思われる。
 そして,よしもと新喜劇のように毎日やってはいけない。普段来ないからこそ,会場の人達が熱狂するのだ。

いつもは歌謡ショーなどはないと語り、今回が特別であったと強調する。しかし、私には狂言より歌謡ショーの方が気に入っているように聞こえた。「第2部がメインになると困るな〜」と語るが、むしろ第2部がメインになることを望んでいるかのように聞こえる。あくまで聞こえる、だ。

 普通の狂言の公演では歌謡ショーはない。しかし,そのようなことは堺の人達も分かっていることだろう。「第2部がメインになると困る」と宗家はおっしゃるが,24日のディナーショーでも歌を披露されていたじゃないですか。デュエット企画があったかどうかは知らないけど,人前で歌うの好きなんじゃないだろうか。ツンデレな宗家の思いを感じ取った羽衣さんは,次のように述懐する。

 そして、この公演のことが全国で話題になり、今後このような公演を全国で行いたいと望んでいる。本当にそれでいいんだろうか。そんな宗家の意を受け、私はコバヤシさんにタレこみ、もとい全国の人にこの公演を知って欲しい、見て欲しいと思った。その結果「日々カタログ」で存分に語らせて頂いています。存分に。そして、宗家の転落の軌跡(ある種の奇跡?)サイトでも取り上げられている。この転落の軌跡サイトを久しぶりに見たら、その充実ぶりに驚いた。というか、充実させてしまったという深い感慨を私に抱かせた。
 なんでも流行モノは、西から広まるといって、みんなの口コミに期待しているようだ。自分のブログで語らないところが宗家の奥ゆかしいところです。宗家の好意に従って、もちろんペラペラ語ります。ペラペラと。だが、観客の口コミしか期待できないのも寂しいものである。
 しかし、本当に流行モノは西からなのか。私は西から流行したものをあまり知らない。大阪から発祥したもので世界に広がったものといえば、まず浮かぶものはインスタントラーメンだ。だが、宗家にそんな大衆性は全くない。能楽協会すら、満足に所属できないからだ。  次に思い浮かぶのは、やはりアレだ。大阪から全国に広がったものといえば、「同伴喫茶」「ノーパン喫茶」だ。なんとなく後ろ暗く大っぴらに語れないところが、よく似ている。そして、廃れていったところ(没落していくところ)などよく似ている。一部にしか受けないところなどがそうだ。本当に怖すぎるくらいだ。

 宗家の隠された思いを伝えるために,羽衣さんはこのようなレポを書いて下さった。私も,宗家の思いは全国の皆さんに伝わったことだと思う。「和泉元彌まとめサイト」でも取り上げられ,某掲示板でもちょっと話題になった。「宗家面白すぎる」とか「マダムとデュエットってwww」とか「こんな公演があったら見たい。3000円なら」といった反響があった。宗家の熱い思いを感じ取って切れのいい文章を書いて下さった羽衣さんのお蔭である。
 そして,羽衣さんは宗家のマーケティング戦略も推測する。アットコスメとか価格.comとか見たらお分かりだろうが,商品購買において,口コミが大きな力を持っていると言われている。だから宗家は自分のブログにはいっさい公演のことを書かず,羽衣さんに託したのだ。残念ながら,宗家の文章力では,この公演の素晴らしさはここまで伝わらなかったと思う。羽衣さんの文章力と記憶力と観察力によってこのレポは成功した。
 それにしても西から流行したもの……。「よしもと的お笑い」とか? 京都在住の茂山家は「お豆腐狂言」という「毎日食べても飽きません。料亭でも普段のおかずでも何でもなります。そんな豆腐のような狂言を目指します」と言っているが,これはインスタントラーメン的なのかな。
 

 宗家、公演で色々世話になった人に礼を述べる。館長・職員・照明・音響・・・・
 われらが宗家、ここで順調に終わらなかった。バンドに礼を述べるとき、何度も何度も手元の資料を見ているのだ。視力が悪いわけは絶対無い。覚えられないのか?ま・まさかそんな歳ではあるまい。「え・え・・・・まさか、宗家、まさか・・・よ・・・・」と思った瞬間、誰からもささやかれることなく「フリー・バート」と語り、礼を述べた。よかった。あれだけ世話になったバンドだ。名前を読めないなんてことはない。杞憂であった。宗家は外国語が得意でいらっしゃるのにだ。その証拠に宗家のブログではアルマーニをわざわざアルファベットで記している。まだまだ国税と仲良くしたいんだろう。国税には是非とも頑張っていただきたい。宗家家の今後を楽しみにしている。宗家の演出は心憎いばかりだ。 お楽しみがいっぱいだ。

フリー・バート。自由なバート。まさか"Free Bird"が読めない訳は……。青山学院大学にて8年も勉学された宗家が,中学生レベルの英語が読めないわけがない。と思いたい。たった2つの単語が覚えられないということもないと思いたい。だって自分の持ち歌である「源さん」と「モトヤDEサンバ」はちゃんと覚えた……んですよね? 最後の最後までお客をハラハラさせる宗家,素敵である。
 アルマーニというのは,宗家が横浜で購入されたお洋服のこと。「なぜそんなデザイン……」というもの。そんな金があったら,子供に絵本でも買ってほしい。あと,国税はどうなったのだろう? 「関西では,絶対無理と言われている」らしいが,確かにソウケケに1億以上の追徴課税を払う能力はないだろう。裁判で勝てる見込みもない。マルサは相当手ごわいぞ。どうする,どうなる!?

 ここで、宗家ファミリーと慶子ちゃん退場する。

 慶子ちゃんは、何度も何度も後ろを振り返り、その度ごとに手を振っていた。本当に名残惜しそうな雰囲気だった。そんな慶子ちゃんに観客たちは盛んに手を振っていた。私もその一人だ。私の方を見て手を振ってくれた。最終的には母親に促され舞台を去っていった。観客と楽しい雰囲気をいつまでも共有したかったに違いない。名残惜しそうな雰囲気であった。もちろん、そんな慶子ちゃんを文化ホールの観客は好きになった。宗家とは全く違う意味であることは語らなくてもわかるであろう。
 ワークショップの子供たちは慶子ちゃんが紹介されると拍手していたし・・・慶子ちゃんにしても・・・私はこの子供たちが宗家になにを教わるのか全くわからない。むしろ何も教わらないほうがいいのではないかと思う。慶子ちゃんにはまともな師についてほしいと思うが、これは無理な願いだろうか。

 こんな感慨を抱いて、ふと舞台を見たら、もうそこに宗家の姿はなかった。

 ご老人たちは,けなげな孫を見るような気持ちで慶子ちゃんを見ていたのではあるまいか。普段会えない孫が去っていくかのような感じだ。慶子ちゃんは,大人の気持ちを読み取るのに聡いようにみえる。前にも書いたけど,今後反動が出なければいいなと思う。ちょっと心配。
 慶子ちゃんは,宗家なんかよりずっとお客さんを大事にしている。お客さんと一緒に楽しんでいる。このままこのインディーズ狂言に埋もれていいのかという心配も湧いてくる。
 
 宗家は舞台を去った。これで公演は終了である。羽衣さん,本当にありがとうございました!
 ……が,羽衣さんのご好意で,最後に「物販編」を書いて下さった。確か,砂野さんがコメント欄で「物販はあったのだろうか」と指摘されていたので,それにお応えして下さった。結論から言えば,あったんだけど,「もっとやる気見せろ」というものだったようだ。ということで,次回が公演レポ最終回である。

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「ソウケケ歌謡ショー」の真相(その10)

 堺市で行われたソウケケ歌謡ショーも大詰めである。文化ホール館長の宗家いじりに始まり,「桜を見る会を中座してこちらに駆けつけたザマス」というセッチーの挨拶が続く。もう4月で暖かくなっているのに毛皮コートを着る宗家,「宗家ファミリーとは,節子ママと節子ママのお腹から出てきた3人である。」という爆弾発言,NHK「歌謡コンサート」を安っぽくした空間で生バンドをバックに2人のマダムとデュエットする宗家。こってりしたコース料理を食べた後のような気分になる。そして,この公演の中で様々な謎が生まれる。文化ホール館長と宗家はどのような関係なのか。宗家の狂言教室は大阪のどこでいつ行なわれているのか。宗家ファミリーには慶子ちゃんと宗家の妻子は入らないのか。なぜ「浪漫飛行」を歌うのか。宗家のご子息の初舞台はいつなのか。それについて姉の淳子ちゃんに話を振られた時に,なぜ「あわわわわ」というリアクションを取ったのか。宗家の身長は一体何センチなのか。羽衣さんも書いておられたが,次回の公演の楽しみをかき立てるような好演出である。この公演を見に行った堺の方々が,宗家についてもっと興味を持って下さったら幸いである。

 さて,最後に宗家は閉幕の挨拶をする。が,ここでいきなり問題発言をする。問題というか,「それってどうよ」的発言だが。こってりしたメインの後にデザート山盛りって感じだ。

宗家、「リハなしで歌った」と何度も何度も連呼する。

 リハなし! それでいいのか?! ダチョウ倶楽部の「聞いてないよ〜」ですら,打ち合わせ通りだというのに。しかも何度も連呼するとはどういうことだろう。「リハなしでもこれだけうまく出来た」って自慢なのか,「リハがあればもっとうまく出来たんですけど」って言い訳なのか,「ここのホールはリハもさせてくれない」というアピールなのか。全然分からない。
 羽衣さんも,この言葉の意味が理解出来なかったようだ。そして,こんな宗家の態度に少し立腹されたようだ。そりゃそうだろう。「人様からお金を貰っておいてその態度はいかがなものか,なめとんのか!」という気持ちにもなるだろう。宗家には,故・三波春夫の「お客様は神様です」という言葉の意味を深く考えて欲しい。

 私は非常に驚いた。そして最初聞いたとき、何を言ってるねんと思った。意味が良く分からなかったからだ。今でもわからない。リハをやったから良いというわけでもない。しかし、コンサートへ行って「リハなし」と公言した演者を見たことがない。みんなリハにリハを重ねて公演に臨んだとアピールするからである。よく冗談でリハ中にケンカしたとか言っている人もいるし・・・趣旨がよくわからない。現に羽野ブログでも、リハを行い舞台を楽しみにしているとアピールしている。公演の前日電話したとき「前日入りします」と女性が語っていたので、てっきり前日入りして入念にリハを重ねていると思っていた。私がバカだったのだろうか。甘かったのだ。一体どこへ行っていたのだろうか。日本橋(大阪・難波 関西オタクの聖地)だろうか。

 X JAPANだってあれだけリハしてるのに。舞台だって,宗家の場合,「別に歌謡ショーはお楽しみであって,本業じゃないし」ということなのかもしれない。でも,人前で歌ってお金もらっているわけだから。
 宗家は日記にこんなことを書いていたはずだ。もう過去の日記は消されてしまっているが,当方のブログでばっちり取り上げておいた。

・3月23日 私どもは舞台でご恩返しをさせていただけるよう、また、舞台での評価をいただけるよう、その日その時の最高の舞台を勤めるため変わらず努力精進を重ねております。(和泉元彌の声を聞いてみよう(その1・マスコミ批判編)
・3月31日 自分たちは、狂言の公演を只の1度もおろそかにしたことも思ったこともありません。(和泉元彌の声を聞いてみよう(その2・沖縄編))

 これらの言葉と矛盾はないのだろうか? 「狂言の公演はおろそかにしたことはないが,今回の公演は狂言じゃないからいいのだ」ということか。前日は一体何をしていたのか。難波でファミリー揃ってNGKでも見ていたのか。難波から北野田まで南海で一本だ。

 しかも何度も何度も連呼する(少なくとも3回言った。それ以上はむかつくので数えなかった)。私は1つ思いついた。宗家は「自分はリハなしで歌ったけど上手に歌えた」と思い込んでいるのではなかろうか、ということだ。マダム1号・2号はいきなり歌うことになってたのにすごく恐縮していた。謙虚だった。少し見習って欲しい。マダムたちより上手かったわけでもない。はっきりいって和泉元彌の歌は下手だった。自分で上手く歌えたと思ったら、それは錯覚である。浪漫飛行で音程を少なくとも2回はずした(私で分かる範囲、プロが聞くと・・・)。でもすかさず、Free Birdの人たちがフォローしていた。NHKのど自慢で、あまり下手に聞こえないのと同じである。バンドが上手いのである。
 この何度も何度も連呼するという行為、自分で祝いの舞を舞わない(もしくは、舞えない)とか堺をなめているとしか思えない。私は和泉元彌に問いたい。「何でリハなしで歌ったと語ったのか。何で何度も何度もそれを連呼したのか。一体この舞台をどう思っているのか。大阪をなめているのか。」この日々カタログを読んでいるなら、ぜひ答えていただきたい。
 と熱く熱く語りすぎてしまった。

 あくまでこの趣旨は「お笑い宗家」であるので話題をもどす。

 3回以上連呼! 一体どうしたというのか。他人の持ち歌(特に有名な歌)を歌う時はカラオケボックスで練習した方がいいのではないか。池袋にもたくさんあるだろうし。そして,この舞台を一体どのように考えていたのか,聞きたいところである。自分の書いた言葉に嘘はないのかと。
 あと,前のエントリでコメント欄に書いたことだけど,羽衣さんは,芸に厳しい方だと思う。そして芸を判断する際に,知名度を参考にしない。おそらく,今回舞台に立った人達の中では,生バンドがもっとも芸達者で,次がマダムお二人というところだろうか。館長は名プロデューサーということで。
 このエントリは,宗家の閉幕の挨拶に対する「何を考えてるんだ!」というちょっとした怒り編であったが,次はお笑い編に続く。

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2008.05.04

「ソウケケ歌謡ショー」の真相(その9)

 さて,会場が一体となって盛り上がった熱狂(狂乱)の「歌声喫茶」編に突入である。まずは羽衣さんから残念なお知らせ。

私が藤九郎の衣装を「深紅」のワンピースとしたから、妖艶な姿を思い浮かべた人が多いと思いますが、全くの誤解です。腹から上がベルベットみたいで、腹から下が群集のバレリーナみたいなものです。例えて言うなら、七五三です。

 故・青江三奈みたいなものを想像していたのに……。さすがに平均年齢60超の空間ではそれは無理か。
 それはともかく,ここからは宗家ファミリーと慶子ちゃんが観客と合唱する。

 もうすでに一部の人はご存知だと思うが、曲はなんと「青い山脈」である。なぜ「青い山脈」なのかは、謎である。相変わらず謎が多い公演である。しいて言えば60歳以上のばあさんが、セピア色の青春を思い出す曲だったのであろうか。そして、やはり慶子ちゃんは宗家ファミリーの一員ではないと強く実感した。子供がいることを配慮したらこの曲を選択しないであろう。さらに残念なことは、わざわざ印税を払って歌っていることである。著作権が切れた童謡などを選択すべきであろう。

 戦争が終り,貧しいながらも希望に満ちた平和な日々を願っていたあの頃を思い出してということなのだろうか。でも,慶子ちゃんはさすがにこの曲は分からないだろう。宗家と姉ズだって,教科書でこの曲を覚えた年代だろう。童謡だと短すぎるし,会場のじいさんばあさんがノレないからダメなのだろうか。それにしても本当にNHK歌謡コンサートのようである。「最後はこの曲でお別れしましょう! 会場の皆様もぜひ一緒に歌って下さい」と小田切アナが喋っていても不思議ではない。

 進行役の女性が全員起立をうながす。
 国家斉唱でもないのに。歌声喫茶とは全員立って歌っていたのか?全員素直に指示に従う。

 いよいよ全員で合唱開始である。歌詞はパンフレットの裏に書いてあるのでバッチリである。

 宗家ファミリーと慶子ちゃんが高らかに、そして観客もなんとなく和やかに歌う。
最初の頃は小刻みに足でリズムをとっていた慶子ちゃんは、全身でリズムをとりノリノリだ。

 慶子ちゃんはいい子だなあ。オトナが喜ぶツボを心得ているというか。大人社会であまり無理しすぎて後で反動がこないか心配だけど。総立ちの客と宗家ファミリー,慶子ちゃんが一緒に歌う。いい風景である。
 ここで,宗家による大サービスが行われる。

 曲が進むと、本当のハプニングがおきた。宗家おん自ら舞台を降りられて客席に乱入したのだ。宗家はマイクを年配の紳士に差出し、一緒に歌うよう促した。もちろん関西人でこのような申し出を断る人はなく、紳士はもちろん観客も一緒に歌った。
 さらに宗家は歩みを進める。宗家はみんなと握手しながら進む。私の近くのご婦人も宗家と握手してもらった。ご婦人は「モトヤと握手した」「モトヤと握手した」と小躍りしていた。頬を高潮させ喜びを爆発させていた。その姿は女子高生がアイドルと握手してもらって興奮している様に似ていた。さらに歩みを進め観客とハイタッチをしている。宗家と観客は一体となり、会場は狂喜乱舞し、興奮のるつぼと化す。全盛期のジュリーも真っ青であろう。

 宗家がジュリーを超えた瞬間である。

 「モトヤと握手した」とご婦人を狂喜させるとは,恐るべし宗家。きっと,このご婦人は,公演から帰った後に家族,近所の人達に自慢したことであろう。「今日は手を洗わない!」と誓ったに違いない。観客とハイタッチもする宗家。観客の皆さんにとっては,今まで舞台の上にいた,伝統芸能(笑)の宗家が一気に身近になったことであろう。
 しかし,あまりにも観客に近づきすぎると,隠していたこと,あまり見えて欲しくなかったことまで見えてしまうことがある。

 私の近くに宗家が見えた。あの「伝説の毛皮のコート」がよく見える。コートはペラペラで薄く、コバヤシさんが期待するように真夏でもいけそうな雰囲気である。ぜひ真夏でも着て欲しい。しかもコートがシワシワなので余計にヨレヨレに見える。そして「毛皮」はボサボサで毛が固まっている感じがする。う〜ん、ダメじゃないか宗家。ちゃんとブラッシングしないと安っぽいものが余計に安っぽく見えるよ。宗家はNHK大河のプロデューサーにコネがあるらしいので、ぜひ口をきいてもらい、見事「NHKおしゃれ工房」に出演を果たして欲しい。そこで「オトコの主夫はじめ」というコーナーをつくってもらって、アイロンのかけ方、衣装の保管方法等を学んで欲しい。
 宗家が近くに見える。公演の時の髪の毛は茶髪(茶色がムラムラ)だ。その後10日あまりで髪型を変えている。公演代が入ったのが大きかったのか?なので 、公演に行って宗家に貢献したという実感がアリアリだ。公演後まで余韻を残すとは心憎い演出である。

 コートがペラペラでシワシワ。そういえば,マダム2号さんのブログに写真が載っていたが,腕の部分がヨレヨレである。クリーニングに出すと高いだろうが,ちゃんとシワは伸ばした方が良いだろう。「あちこちで着てます」感が漂うから。あと,この毛皮はフェイクなのか本物なのか? 今更のように不思議になってきた。フェイクでもいいが,ちゃんと手入れしないといけないぞ。「おしゃれ工房」で3か月くらい手習いを受けるのはいいかもしれない。掃除,洗濯,アイロン,そして子供や妻が喜ぶ料理。うまくいけば,薬丸のように「ベストファーザー」になって夫婦してCMに引っ張りだこになるだろう。
 そして,髪形。セッチー,藤九郎と映画の試写会に現れた時はボサボサ風になっていたが,この公演の時はまだそうではなかったようだ。やっと美容院に行けたのか。でも,あの髪形で本当にいいのか。更に,近づきすぎて,こんなことにも気が付いてしまう。

 さらに宗家が私の横を通った。ここでまた新たな真実が明らかになった。それは「宗家の身長が絶対169cmない」ということである。ただ残念なことはシークレット足袋(靴)の存在を確認できなかったことだ。なので正確には「宗家の身長が最大169cmない」。残念である。これは私からの宿題として皆さんに解明していただきたい。
 私はこのとき宗家に対して、なぜか「いや〜、ソウケ」と叫んでいた。普通は「きゃ〜、ソウケ」「ステキ〜、ソウケ」なのであるのに・・・全然、イヤじゃないのに・・・でも、そんなことどうでもいいや。

 イヤよイヤよも好きのうちということで(笑) 違うかも知れないが。それはともかく,宗家の身長である。絶対に最大169センチない。
 一応念のために書いておくが,宗家の身長が低いことが問題になっているわけではない。狂言師は大体背が低いものである。例えば,人間国宝の茂山千作も野村万作も小柄である。でも,誰もそんなこと気にしていない。
 しかし宗家は違う。誰も気にしていない身長を勝手に気にして,身長のサバ読みをしたり,ベッカムへアにしたり,シークレット足袋を履いたりしてしまう。だから面白いのだが。かつて171センチという自己申告がサバ読みだったことが判明した宗家だが,169センチもサバ読みかもしれないという疑惑が浮上した。一体宗家の本当の身長は何センチなのか? 本当ならシークレットなんかに頼らなくても自分が大きく見えるようなを身に付けて欲しいのだが。

 さて,この後は宗家の挨拶というか「言い訳」編が続く。

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「ソウケケ歌謡ショー」の真相(その8)

 ソウケケ歌謡ショーも「2人のマダムとのデュエット」まで進んだ。実はこれで終わりではない。この後にまだ,熱狂(狂乱?)の「歌声喫茶」編,最後の最後まで宗家は宗家だった「宗家の挨拶(言い訳)」編,サイン会くらいやってもええやん「物販」編と続くのである。しかも,まだまだ見所があるのだ。宗家恐るべし。

 さて,「歌声喫茶」編に入る前に,羽衣さんは「ソウケケの狂言の評価」を送って下さった。「ソウケケ歌謡ショー」の真相(その1)でも狂言のレポを書いて下さったが,その時よりも詳しい感想を送って下さった。「狂言は見た事がないので,もしかすると的外れかも知れません。素人の感想だと思って下さい」と羽衣さんは謙遜しているが,結構重要なポイントを指摘して下さっているので,紹介する。
 まず,ソウケケの芸は全体的に「単調」に見えるということを指摘して下さった。まあ,狂言はセットもなければ特殊音響もない。歌舞伎みたいにトンボ切ったりするわけでもない。なので,下手な演者だと間延びした感じに見える。狂言って難しいんですよ。
 
 最初の「祝言小舞 鶴亀の舞」。

 宗家の地謡をまず聴いて思ったのが、線が細いということでした。宗家の声質はやや高いというのか、女性っぽいというのか、分からないけど、でもこれは宗家のせいではなく、仕方ないかもしれませんね。本当に女性ぽく聞こえた。

 実は「鶴亀の舞」についてGoogleで検索すると,和泉元彌師みずからの指導による狂言小謡「鶴亀の舞」(Youtube)という動画が見つかった。和泉元彌,三宅藤九郎による金城学院大学現代文科学部での講義風景がYoutubeにアップされている。これを見る限り,宗家の声はかなり高い。女子学生に教えるために声を高くしているかもしれないが,共演者が女性ばかりだからかもしれない。たった1週間の講義で素人に謡を謡わせるためかもしれないが,教え方が独特だと思った。狂言の謡の「リズム」は教えないのね。「音程が高いところは上げきる」という問題じゃなくて,「リズム(拍子)に乗せる」のが大事だと思っていたのだが。ちなみに私が教わった先生は拍子とりながら教えてくれたが,この教え方は1週間ではダメだから使えないのかも知れない。
 

私はこういう地謡というのは、ある種の抑揚というのか、強弱というのか、リズムがあると思っていましたが、全く感じられなかった。私は慶子ちゃんの動きがギクギクしたと書きました。なぜこれが目立ったかと考えました。宗家が全然彼女をフォローというか導いていなかったことが原因ではないかと思います。宗家は自分に夢中で慶子ちゃんに関心があるように見えませんでした。慶子ちゃんは自分で拍を取りながら進んでいたと思います。慶子ちゃんは子供だから宗家が合わせるものですが、合わせてるという感じが全くありませんでした。だから二人の間で協調が感じられず、ぎこちなさが余計に目立ってしまったのかも知れません。子供は気の毒ですが・・・

 能楽堂ではないところで小舞を舞うのは,いつもと感覚が変わって難しいと思う。舞台の広さが違ったりするし。オトナならともかく,子供にとっては特に難しいだろう。慶子ちゃんの動きがぎこちなかったのは,いつもと違ったところだったからかもしれない。ちゃんとリハしたんですよね,きっと。あと,地謡は舞っている人に合わせるべきですね。まあ,ぎこちない方が「子供が一生懸命やってる!」感があっていいのかもしれないですが。
 次の「痺」は「もう記憶にない」そうです(笑) あーいた,あいたあいた。そして最後の「昆布売」

これに関しては、以前コバヤシさんが書いていた「間」のことがよく分かりました。本当に間合いがありませんでした。台詞が終わるか終わらないかのうちに、すぐ台詞を言っていました。1拍か2拍あけたほうが、効果的なのになあと感じました。昆布売は何度か同じ繰り返しが出てきましたが、どれも同じ調子でした。普通は後へいけばいくほど大げさになっていくと思うのですが、同じ調子でした。でもそんなものかも知れないと思ってみていました。それに台詞の調子も全部同じ感じで強調とか全く感じませんでした。
   「間抜け」は相変わらずか。「昆布売」は刀を手にした昆布売が逆に大名を脅して昆布を売らせようという話だが,その時にいろんな謡をさせる。最初は嫌々だったはずの大名がどんどんとノリノリになっていくのが面白いところのはずだ。私も終わりに向けてどんどんとテンションが上がっていく方がいいと思うのだが……。それよりも気になったのは次のこと。
特に気になったのが、祥子が足を下ろすときドスドスといっていたことです。これはけっこう耳につきました。なんでこんなにドスドスするねんという、感じです。宗家は「米米」の時のほうが足が上がっていたような気がします。

足を下ろす時ドスドスいう? 足を下ろす時に音を立てていい時と悪い時がある。「昆布売」だったら,刀を振り上げて脅す時とか,舞で拍子を取る時に鳴らす。それだけなら別に問題はない。念のために羽衣さんに確認を取ってみたところ,帰っていく時もドスドスしていたとのことである。

帰っていく時? 何故?

 昆布売ってすり足で歩くんじゃなかったっけ? すり足で退場すれば,音はしないはずである。しかし羽衣さんの文章を見る限り,「帰っていく時に,足を上げている。更に音をさせている」ということになる。昆布売って山伏みたいな歩き方するっけ? 時々宗家の記事を書いていると,自分の知識や記憶に自信がなくなるのだが,誰か覚えている方教えて下さい。あと,たとえ山伏歩きだとしても(違うと思うんだけど),足を下ろす時にいちいち音をさせない。和泉元彌まとめサイトにも書いてあるけど,野村も三宅もそんなことをしない。お父さんもそんなことしてなかったと思うよ,多分。
 この感想を読んで,一回宗家の芸を生で確認しなくてはならないという気にはなった。山伏の足の運びではどうしているのか? 中抜きはまだやってるのか? やっぱり間抜けなのか?

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2008.05.03

「ソウケケ歌謡ショー」の真相(その7)

 後半は,「銀座の恋の物語」編。さて,前のエントリのコメント欄でも話題になったが,羽衣さんと同じ会場にいて宗家のショーをご覧になった方のブログが話題になった。そのエントリはここにあるが,ここで紹介している羽衣さんのレポと合わせて読むと,視点が違っていて面白い。当該ブログ主の方は,かなり「親宗家家」というか宗家に対して「全肯定」的である。一方,羽衣さんも明らかに「宗家好き」ではあるが,スタンスは違う。だって,ショーについてのレポートをこのブログに送って下さるという方ですよ。これは単にブログを持っている・持ってないという問題ではないと思う。
 さて,このエントリを読んでみると,なんとこの方は2人目にデュエットされた方のようだ。このエントリと羽衣さんのレポを読む限り,仕込みは本当になかったと思われる。関西という土地柄を信じて,こういう企画が行われたのだろう。
 

 進行役の女性が再び登場し、共演者を募る。


 が,このときは前回とは違い,共演者候補がすぐに現れなかった。気まずい雰囲気が流れ始め,「私が・・・」と思った瞬間,宗家を哀れみ義侠心にあふれたご婦人が「はい」と手を挙げた。舞台に上がるご婦人に宗家は優しく手をさしだす。その手はかつて羽野のパシリとして買ってきたみかんが握られていた(羽野が「たかじん胸いっぱい」という番組で語る)手だ。宗家の差し出した手にやさしく手をのせご婦人は舞台にあがった。

 この時も宗家はご婦人のプライバシーを完全保護。心憎い配慮である。宗家の配慮に配慮を重ねた姿を見て,不覚にも落涙しそうになった。よって,このご婦人を便宜上,「マダム2号」とする。

 羽野晶紀はたかじんの番組でそんなことを語っていたのか。宗家はみかんを買いにいかされたのか。亭主関白ぶっていたが,トホホであるなあ。もはや「羽野家の居候」なので仕方がないのか。羽衣さんには,次の機会(あるのか?)にぜひ宗家とデュエットしてほしい。曲は「浪花恋しぐれ」あたりどうだろうか。特に深い意味はないが。

 マダム2号は首に巻いていたマフラーを取り,やおら両腕にかけ直した。気分はすっかり,銀座のマダムである。
 歌が始まり,宗家とマダムが見つめあうという,熱い世界が展開された。その様子は,銀座のマダムとパシリのホストである。
 やがて歌も終わり,宗家がマダムに語りかける。「すごいですね〜」と。するとマダム2号は「何がでしょうか?」と切り返す。あくまで主導権はマダム2号にある。宗家は「歌もそうですが,歌の途中の小芝居が!」と言う。「あほちゃうか?宗家」と思った。誰が見てもマダム2号は銀座のマダムを演じて下さっているのに,渾身の演技なのに・・・宗家は呉服のお見立会でなにをしていたのであろうか。女心が全くわからないのに売れたのか,呉服屋に一度聞いてみたい。
 なんとマダム2号は宗家と記念写真を撮りたいと申し出た。宗家が快諾し,淳子がシャッターを押す。宗家とマダム2号のツーショット写真が撮られた。このような場合,観客にも見えるようにして撮影し,みんなに心のシャッターを押させるのだが,あくまでも自分たちの撮りやすさを優先。残念。

 宗家は「演技者」であるはずなのに,他人の演技も分からないのだろうか。そしてこの文章を読む限り,羽衣さんはマダム2号の方が演技が上手だと感じたようである。宗家は,人前で歌う時にはどっぷりと曲の世界につかる努力をしてほしい。気持ちだけでも裕次郎になってほしい。マダム2号はそれを実践していたのに,ホスト役のあなたがそれを出来ないのは何事か。本当に呉服のお見立て会で何をしていたというのか。中条きよし(お見立て会のプロ)に弟子入りした方がいいのではないか。


 さて,この後は「モトヤDEサンバ」が再び歌われたらしい。なぜ2回も歌うのか,やっぱり歌いたくてしょうがないのか,それは分からないが,なぜか羽衣さんはここだけ記憶が飛んでしまっているらしい。今までこれほど細かく登場人物の言動を覚えているのにも関わらず,なぜかここだけ。想像を超えるソウケケショーの凄さに圧倒されてしまったのだろうか。

 「モトヤDEサンバ」を宗家ファミリーと慶子ちゃんで再び合唱したらしい。
 なぜ「らしい」という表現を使っているのかというと,この「モトヤDEサンバ」を全く思い出せないからです。記憶が飛んでいる。
 あれほど詳細に館長の「男前が災い」「歌声喫茶」発言,宗家の「宗家ファミリーとは,節子ママと節子ママのお腹から生まれた3人の子供」発言,あげく藤九郎の自虐ネタまで覚えているのに不思議である。さらに宗家の毛皮の質感まで鮮明に覚えているのに不思議である。デュエットとこの後の歌声喫茶があまりにも笑劇的すぎたのであろうか。それともそれらより笑劇的すぎてもはや私の許容量をオーバーしたのであろうか。それとも,あんなことを考えていたのが原因ではないかと思った。あんなこととは宗家の狂言公演の演目と同じものを前日とか前週に三宅右近氏に演じてもらうのだ。三宅氏にはぜひ本物の狂言を堺の客に見せ付けて欲しいと思った。このままでは堺の住人は狂言に対して誤解したままではなかろうか。ぜひスポンサーは「かっぱ寿司」にお願いしたい。こんなことを考えたことがいけなかったのか。謎がナゾを呼ぶ不思議な公演である。
 しかし,なぜ「モトヤDEサンバ」なんだろう。もはや記憶がないので何故これを歌うことになったのか全然分からないが,もっとましな選択はなかったのであろうか。例えば藤九郎に「瀬戸際の花嫁」を。淳子・慶子ちゃん母娘に「アイアイ」(南の島で猿がたくさん出てくる明るい歌)を。そしてセッチー一同ファミリーで渋く「昭和枯れすすき」などを歌って欲しかった。

 「痺」での「和泉家の狂言は普通の狂言ちゃうやん」発言が頭に残っていたのかもしれません。この狂言は普通の狂言ではない。そして,このショーは普通の狂言師のショーではない。この文化ホールの館長には,ぜひ「まともな狂言の公演」も企画してほしいところです。右近さんが無理なら,茂山さんでもいいから。堺の皆さんも,さすがにあれは和泉元彌様の色物ショーとして認識されているとは思いますが,念のために。
 それにしてもソウケケに似合う曲は何だろうか。私が最初に思いついたのは,敏いとうとハッピー&ブルーの「よせばいいのに」。「馬鹿ネ馬鹿ネ よせばいいのに ダメなダメな 本当にダメな いつまでたっても ダメなわたしネ♪」と宗家に熱唱してほしい。あとは「ラブユー貧乏」か。実年齢が知れるってものである。

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