小学校という空間とみつをとの親和性
暗い自己語りエントリを書いてしまったが,小学生の作文ネタに戻る。この話ね。
これ読んでいる皆さんも経験的にご存知だろうが,小学校というのは作文やら感想文のコンクールがやたらとあって,誰もが一度は作文に苦しんだことだと思う。そして,コンクールに選ばれる作品というのが子供が書いた作文そのままではないことも公然のことである。夏休みに作文を全員に書かせるわね,それを先生が読んで,文章がそこそこ書けて,内容も「子供」らしくて,教師の価値観にあっていて,先生の言う通り辛抱強く書き直してくれるような子供を何人か見繕って,何度も書き直しさせる。その中で一番良さげなものを選んでコンクールに出す。
なんでそこまでしてコンクールに力を入れるのか昔からずっと不思議である。絵でも工作でも何でもいいんだけど,「うちのクラスはこれだけコンクールに入賞した」というのが教師の評価に結びつくのか?
それはともかく,文章はその年齢らしく(と大人が勝手に思う程度の下手上手),内容も教師になるような大人が想定するような,好むような子供らしさを感じさせるようなものが受けるのだ。例えば,「将来の目標」についての作文だと,「学校の先生」とか「看護婦」とかが受ける。「ラッパー」は絶対ダメ。「しんぶんではさいきんのこどもはかがくてきのうりょくがひくいというきじをのせていました。れいとかぜんせとかいってるテレビはやめたらいいとおもいます」みたいなのもダメ。
そんなことを考えながら,件の作文を読んでみたが,私の感想は単なるみつをじゃないかというものだった。「がまんとがんばりはちがうんだなあ」とかみつをが筆文字で書きそうなことである。筆文字も子供の文章も,「稚拙さ」が「素朴」とか「感動」を演出するんだろうか。「甘える」と言ったって,せいぜいマクドだもんな。「おもちゃ屋の全部のプリキュアグッズ」じゃないもの。
1年くらい前に「小学校ってやたらとみつを貼ってない?」というエントリを書いたが,小学校的価値観とみつをって親和性が高いのだろうか。つよがりやごまかしはよくない,ありのままの自分を見よう,我慢せずに人に甘えたっていいんだよ,にんげんだもの,みたいな。
しかし,自分の小学校時代を思い返してみると,私はやたらと「甘えるな」とか「手を抜かずに精いっぱいやれ」とか「みんなが迷惑しているだろう」とか言われ続けていたような気がする。同じクラスの「将来はお嫁さんになるの」と言っているような普通女子はそういうことを全く言われないにも関わらず,私は居残りで絵を描かされたり,作文をやたらと書き直したりしている間,ずっと教師はそんなことを言っていた。完全に吊るし上げだな。
みつをには強い偽善の匂いがする。にんげんだものといって自分は甘やかすが,他人には「自己批判をしろ」みたいなことを言いかねないところがある。そういう偽善的価値観が,小学校という特殊空間において強く働いているのは何故だか分からない。子供だから理性が弱いとか,教師がなんだかんだ言って権威が大好きとかそのくらいしか思いつかない。




Comments
こんにちは、はじめまして。
その昔、コンクール向け作文を書いた事があります。
コンクールに出すと言われ、居残りさせられ、
担任が付きっきりで誘導のように作文を書きました。
この時はっきりと、自覚がありました。
大人が喜ぶ物を書けば良い、大人から見た子供らしい物を書けば良いんだって。
そう思ってしまった事、そして実際それが評価につながる事が分かった事は、私のその後に良い影響を及ぼさなかったのですが。
ありのままで良いと言われても、実際には誰かの望むありのままでなければ受け入れてもらえない。
まじめな性格の子供程、この問題の矛盾に後々苦しむだろうなぁと思います。
その時の事を思い出してちょっと胸がちくりときましたので、コメントさせて頂きました。
Posted by: R | 2008.01.08 at 02:22 PM
コメントありがとうございました。
私も,作文じゃなく,絵で何度かコンクールで入賞したことがあります。一人だけ描き直しさせられたり,他の人はのんびり他のことをやってるのに,ひたすら絵を描いてました。でも,自分の絵が本当はあまり上手くないことは当時自分でも分かってました。
作文や絵のコンクールって,もともとはいろんな子に自信をつけるとかそういう意味で行われているのかもしれませんが,「これで入賞したからといって才能があるわけではない」と子供も薄々分かってますよね。今回の作文ですが,コンクールでほめられるために作文を書くことも,「へんなもの」がいっぱいなのにな,つよがりやごまかしがへんだってことに気がつくならそれに気がついてもいいのにと思うのですが,これが書いた本人の「適応」なのでしょう。
「ありのままで良いと言われても、実際には誰かの望むありのままでなければ受け入れてもらえない」のは大人社会でもそうで,小学校というところはその大人社会に子供を適応させる訓練場なんじゃないでしょうか。幼稚園で受け入れられなかった女の子が,社会適応した姿がこの作文なのかもしれないです。
Posted by: コバヤシ | 2008.01.08 at 06:54 PM
この作文を書いた子には罪は無いですが、このような形で「社会適応した姿」は複雑な気分です。子どもに何か言うのも大人気ないですが、このように「社会適応した姿」を将来恥づかしいと思う日が来ればいいのですが。
山崎邦正の元相方が相田みつをと似たようなことをやっていた気がするのですが。
相田みつを、鬱陶しいですね。
Posted by: デンジョン | 2008.01.08 at 08:13 PM
子供自体より,こんな作文を書かせた親とか教師の方が問題ありそうですよね。この子は今は高校生になっているはずで,親に「もっとケータイ使わせてよ〜」くらい言っているようになっていればいいのですが。
>山崎邦正の元相方が相田みつをと似たようなことをやっていた気がするのですが。
詩人なんですよね。今wikipediaで調べたら,アムウェイなどのネットワークビジネスにはまっているとか!! みつをとアムねえ……。相性はよさそうです。
Posted by: コバヤシ | 2008.01.08 at 11:03 PM
無差別に文句をつけてはいけないので
「何にでも該当する便利なおまじない」は存在しません。
これは「論じる能力が無い者が謙虚に黙っているか
論じプレイで人に迷惑をかけるか」て問題すね。
Posted by: 砂野 | 2008.01.09 at 07:40 PM