現代日本の象徴としての山脇家
[和泉元彌][和泉節子] 山脇家騒動も一段落したらしく(というか,もう世間も飽きてきたか),マスコミによる報道も全くなくなってしまった。「週刊朝日」がインタビュー申し込んだらしいので,それが載るかもしれないが。こういう「お金をもらって取材に応じる」仕事を「正式の取材」と呼んでいるらしいのだが,そういう正式の取材も今後はめっきり減ることであろう。次に出てくる時は,本当にあの家が競売にかけられた時だろうか。
それはそうと,一つ気になっていることがある。少し前まで,「和泉家の会」が4月18日に渋谷にあるセルリアンタワー能楽堂で行われると和泉元彌のウェブサイトに掲載されていた。チケットの申し込みも,メールフォームで受け付けていた。しかしながら,セルリアンタワー能楽堂のスケジュールには全くそれが記載されていない。今までもこの能楽堂で何回か公演しているがその度にちゃんと紹介してらっていたし,だいたいにおいて素人会ですらスケジュールに掲載されているのに,なぜ載ってないのか。と思っていたら,昨日の時点で,和泉元彌のウェブサイトから「和泉家の会」の情報が削除されていた。現在はそのページは工事中になっている。何かあったのか? この期に及んで断られたってことはないと思うんだが,舞台使用料が払えなかったのか? 今まで受け付けた分はどうするのだろうか?
「名古屋のカルチャーセンターでは狂言を習おうとしている人が増えた。分かってくれる人は分かってくれる」と大見得切っているが,今後も大変であるなあ。
しかし,世間の人は和泉宗家を「うさんくさい」とちょっとは思ってるかもしれないが,意外と嫌ってはいないのかもしれないと思うことがある。まず,あの一家の構成は,現代日本のある種の典型的家族である。「マイルール=常識」で押し通す母親,その母親の教育を一番先に受けたために,世間のいろんなことが見えてしまい,逆にちょっと距離を置こうとしている姉(うまい具合に結婚。でも,いざと言う時は実家頼り),価値観から何から何まで母親べったりの行き遅れの妹,長男長男と一見頼られているが実は家の中で全くと言っていいほど権力がない弟。「老いては子に従え」といった女大学的母親は,実は昔からそう多くないのではないか。たとえば,農家なんて実質姑が一番仕切っているようにみえる。姑には誰も逆らえない。長男は単なる姑の権力維持装置である。いざと言う時に責任を取らされるのは長男なんだけど。そんな家庭は世の中たくさんありそうである。
また,「伝統」ということに対する世間の曖昧な理解を彼らは味方にしているようにみえる。何度も書いてるけど,宗家継承ルールは「血」だけじゃないから。「血」のことが確かに多いけど,あまりにも実子の芸や人格に欠陥があったりすると,有望な弟子を養子にしてそっちに継がせるなんてことは昔からままある。「血」だって,「長男」とは限らない。たとえば,今の仁左衛門は三男だし(次は,実力的には某養子になりそうな感じがする)。しかし,多くのひとは狂言600年の歴史をちゃんと考えたりはしない。せいぜい数十年程度の知識で歴史を語る。生まれたばかりの男の子に対し,「二十一世宗家」という称号(登録商標かもしれないけど)がつくことのおかしさに,みんな気づけよ。あ,気づいても何もいわないのか。
更に,「英才教育」という点からもこの一家は大変興味深い。和泉元彌は「(自称)天才」である。何しろ6歳で「三番叟」,16歳で「釣狐」を披いたから。フツーの狂言師は20歳前後で「三番叟」,25歳くらいで「釣狐」を披いている。フツーの人より10年近く早いわけだ。しかし,pokoponのお兄さんが言うように,これらの演目はある年齢になってからやらないと意味がないのだ。別に他の人だって,もっと早くやってやれなくないのだが,「長期的に考えた時に意味がない」からやらないのだ。まあ,今のモトヤちゃんをみれば,本当に意味がなかったのは分かるだろうが。しかし,オトナというか関係者というのは「フツーの人よりもこんなに早い段階でこんなにマスターできた!」ということを単純に喜びがちである。そういう分野もあるんだろうけど,何事もそうとは限らない。しかし,今の英才教育ってそういうところもあるように見える(このような「無理なトレーニング」は元彌や父親である故・元秀だけの責任ではないのかもしれない。故・元秀は確か幼少で宗家になったはずだ。そのせいで彼自身が無茶をさせられたのかもしれない)。
というように,この一家は今の日本を象徴しているのだ。彼らが本業だといっている古典芸能らしきものよりも,「一家」の方が需要が高いのは仕方ないだろう。
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Comments
そもそも狂言の宗家なんて、大蔵も和泉も「紀元2600年」ブームに乗って、復活しようってことになって、それで養子に行ったりしたんですから、60年ちょいの「伝統」ですからねぇ。
ただ、元秀に好意的に解釈すれば、本格的なトレーニングは大学出てからすりゃいいと思って、それまでは「お遊び」で親しむか「権威付け」にインスタントなレッスンをしてたのかもしれません。
ところで、節子は元秀を「重要無形文化財保持者」とかわざわざ書いてるみたいですね。普通は「総合認定」の場合は、わざわざ言わないんですけどね。というか、元秀がマンサイや次期ニザ候補と同レベルと主張したいんでしょうか。
Posted by: 南郷力丸 | 2007.04.16 at 08:23 PM
狂言ブームで「狂言習おう」という人が出てきたことも,「宗家」制度に関係してますかね? 宗家の必要性って,お稽古事くらいしかないような気がするんで。確か今の大蔵も茂山から出てるんですよね。
茂山なんか見てても,「本格的にやるのはオトナになってから」という感じは結構しますよね。まあ,あそこは人が多いし,年寄りがやたら元気なんで,若者が十分にトレーニング積んで立派になるための時間はやたらあるからいいのかな。
次期ニザで思いだしたけど,ススヌちゃんって大丈夫なんですか?(笑) 前に南座の顔見世行った時も,朝一の「寿曽我」(五郎が我當,十郎が梅玉,と何が悪いかは指摘できないが,なんだか微妙な配役)にしか出てないという御曹司と思えない扱いだったし。
Posted by: コバヤシ | 2007.04.16 at 10:55 PM
アメリカの人情ドラマでは母子ではなく父子の絆を
描いたものが多い。アメリカは女性上位で
男がシイタゲられてるから父子が仲良くなるような気がします。日本はこの逆かというと男子と母のセットだから
ちがうんですよね。
これは父親が仕事人間で家庭から離れているからでしょうか。・・・と安直な家庭論を展開してみました。
Posted by: 砂野 | 2007.04.20 at 06:16 AM
朝のバラエティでもセッチーがなんかほざいてたみたいですが,需要あるんですね。でもあと20年頑張ればセッチーも弱るはずなので,羽野晶紀にもチャンスはあります。
20年和泉家が持てばですが。
Posted by: コバヤシ | 2007.04.21 at 01:22 AM
セッチーの説だと、才能はDNAによるらしいので(養子縁組でも伝わるDNAらしいけれど)、それなら羽野晶紀は「八百屋の娘」ですから、大根を売る才能にかけては、鉄工所の娘より優れているはずです。まず、マネジメントを任せればいいのに。
Posted by: 南郷力丸 | 2007.04.22 at 11:53 PM
養子でもDNAですか。故・尾上梅幸ってどうなっちゃうんだろう。あと,故元秀に隠し(略) 羽野晶紀の方が確かに売り込みの才能はありそうです。というか,なんでNHKって元彌ちゃん使ってるんでしょうかね? 大河の責任取るため?
Posted by: コバヤシ | 2007.04.23 at 10:56 AM