共感文化圏と議論と転載と
イライザという有名なセラピストがいる。このセラピストは,生身の人間ではない。人間が作ったプログラムである。しかし,このプログラムはその出来の良さでとても有名である。本当に「カウンセリング」してくれるという実感を「対話」している人に与えることが出来るからだ。
イライザのルールはただ1つ。「ひたすら相手の話を聞いて,絶対に答えの評価をしない」というだけである。
「私,疲れてるんです」
「あなたは疲れているんですね。なぜですか?」
「いろいろあって……」
「いろいろあるんですね。一体何があったんですか?」
という具合である。たったこれだけ。たったこれだけだが,これ,カウンセリングの基本らしいのである。あんまりこの分野は詳しくないのだが,ロジャースが言ってるのかな,カウンセリングをいいものにするためには,相手とのラポール(信頼関係に基づいた協力関係)の形成が必要で,とにかく「相手の話をそのまま受け入れる」ことが大事なんだそうな。相手の話を自分の言葉でまとめることすら避けた方がいいんだとか聞いたことがある。そういう「ありのままを受け入れる」タイプの共感が大事なんだそうだ。
長い前置きになってしまったが,前にじょしぢからというエントリを書いたことがある。とあるブログのとあるエントリが話題になった時に書いたものだが,「あまりにも女子的な文章が読み手に対して”共感”を強いてしまっているから,ネット上での反応がここまで過剰になったのではないか」という内容の文章である。実は,元のエントリを書いた人は,単に読み手に「ああ,あなたは本当に生理が辛くて大変なんですね」と言って欲しかっただけだと思っていた。しかし,次のエントリを読んだら,「異論をスルーしないで議論することが必要だと思うんですぅ」とあってかなり驚いたのだ。議論する気だったらしい。うーむ。
そして,年末から現在に至るまで,Yahoo!ブログの転載機能問題で,Yahoo!ブログとはてな界隈でいろいろ話題になっている。この転載機能とはどういうものかというと,誰かのブログでいい記事を見つけた時に,「転載」ボタンをポチすると自分のブログのエントリに「そのまま」取りこめるという機能である。
この機能,知れば知るほど不思議な機能である。もし,自分がブログ巡ってていいエントリを見つけて「このエントリはみんなに紹介したいなあ」と思ったら,普通にその記事にリンクを張ると思う。負荷や著作権云々というより,そうした方がエントリを書いた人の利益になるだろうから。内容を紹介するにしても,全文こちらで引用する必要はない。できるだけ,向こうで読んでもらうのが一番いいはずだからだ。あと,「誰かのエントリそのまま」なエントリばっかりのブログは,つまらんので読む気がしない。でも,これは私個人の考えで,「絶対みんなこうしなきゃダメだからね」というわけではない。
しかし,この転載機能は,書式から何から何まで「ありのまま」そのエントリを受け入れなければならない。元記事が改変されたらそれがそのまま反映される。
もしかすると,Yahoo!ブログというのは「共感文化圏」に属するのではあるまいか。相手の言うことをありのまま受け入れ,それに対する評価はしない(特に批判はしない)という文化なのではないか。
こういう「共感文化」の人は,いわゆる「議論」が意外と好きである。しかし,言葉をものすごく尽くしているにも関わらず,なぜかかみ合わないことが多い。
議論の仕方はいろいろあるが,ディベート的な議論だと「相手の論点を自分の言葉でまとめる」,「それぞれの論点に対して,問題点を指摘する」,「問題点に対する自分の意見を述べる」というのが割と一般的ではあるまいか。このような議論の仕方においては,相手に対する「共感」は一切必要ない。大体において,相手の言葉をまとめたり批判したりするんだもの。
共感文化の人は,こういう議論の仕方は「自分の否定」に見えるのかもしれない。なので,「自分の気持ち」を分かってもらうべく,「相手が自分を否定した(必ずしもそういうわけではないんだけど)ことへの非難を表明すべく」,言葉を尽くして「議論」する。しかし,「ディベート的議論」を求める相手にしてみれば,「論点はどこいった?」である。最終的にはスルーするのがいいんだが,共感文化の人はスルーも嫌う。
別に私は「共感文化イクナイ!」とか「ディベートマンセー!」と言いたいわけではない。それぞれがそれぞれの趣味や嗜好に合った形でブログを運営するのがいいと思っているし,時と場合に応じて共感と議論を使い分けるのがいいと考えている。ただ,ネットでは異なる価値観を持つ人が「議論する」場合があって,その「議論」の意味が同じ言葉であっても文化によって異なるとすれば不毛なことになるかもな(というか現に不毛なことになりつつある)と思うのである。
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Yahoo!ブログの「転載機能」は、私にとっては、不思議であり、バカみたいな機能だと思った。けれども、そのアホな機能を備えたYahoo!ブログと、このblogは、ネットの上で繋がっているわけであり、... [Read More]
Tracked on 2007.02.02 at 11:20 PM





Comments
よくネットで「建設的な批判は歓迎しますが、荒らしや誹謗は削除します」とか書いてる人がいるんですが、この「建設的」というのは、普通に言う「意見や認識を高める」という意味ではなくて、公共工事のような「建設」であることが多いようですね。
つまり「建設」は決まっていて、そのプロセスでのオプションは歓迎という。
結論への共感を前提としないと、コミュニケーションが出来ない人ほど、こういうことを書きたがるのが不思議。
Posted by: 南郷力丸 | 2007.01.19 at 03:50 AM
まあ、確かにAAの羅列とか「怒」の文字が100個※欄を埋めてるとか言うんなら「荒らし」ですし、いくら「意見」でも1000も※欄を埋めてれば「イナゴ」ですし、そういうのに対して対処するのはしょうがないんですけど、「対立する意見」のトラバも「誹謗中傷」とか言って罵倒する例も少なからず見られますなあ。
自分の意見を止揚する気どころか、修正する気すらないのは別にいいんだけど、「建設的」とか「議論」とか「正論」とか持ち出すんですよね。自分の感覚が根拠だから論理的否定をしようがないんですよね。それを否定することは、自分自身の否定になるし。でも、こういうのって偽善ですけど。
Posted by: コバヤシ | 2007.01.19 at 03:06 PM