炎上系ブログはなぜ炎上するのか?
「炎上系」と分類される一群のブログがある。その特徴を簡単にまとめると、
1.管理人は、自称・大学生
2.戦争放棄、特定アジアへの謝罪、(偏った)ジェンダーフリーを主張
3.「慈善活動」は全面的に支持(ホワイトバンドなども)
4.マスコミの報道を信じて疑わない
5.ロジックは特にない
6.2ちゃんねるが嫌い
7.こんな感じなのでコメントスクラムが頻発するが、反論に対しては、馬鹿呼ばわりするか即座に削除
8.自分に都合の悪いツッコミがあると、いつの間にかエントリを修正かさくっと削除
2や3の要素があるブログはたくさんあるが、管理人がネット慣れしていたり、エントリにロジックや説得力があれば、「荒れる」ことは少ない。まあ、某有名政治系ブログでいつも高みに立ったエントリ書いている方が7か8をしているというのはちょっと有名だけど(笑) それはともかくも、炎上するかしないかというのは、別にエントリに書かれている思想的内容に問題があるからではなく、そのエントリに読み手を説得させるロジックや、自分なりにいろいろと調べた証拠が欠如しているからだと思う(まー、勿論、「自分と思想が違う→荒したれ」という思考停止した輩もいなくはないが、それは別に保守系に分類されるブログでも一定数いるし、炎上系ブログのコメント欄で「批判的なコメント」とされているものを見ても、相手の論理を問いただし、自分の認識を問うものが多い。
前々から、やたらと声高に「戦争反対」だの言う人って、なんで自分の身近な人間の不快感に対して無神経な人が多いのだろうと思っていた(別に全員ではないが)。それって矛盾じゃないのかなあとも。でもって、こういう一連のブログを見るにつけ、彼らは自分の主張を相手に理解させるためにブログをやっているのではなく、自分の優越性を見せつけるためにやっているのだという仮説に達した。1月4日のエントリにもそのことをちょっと書いているが、その時はまだ頭の中がまとまっていなかったでやめておいた。オリエンタルな紅茶の人も「伊勢崎のジャンヌダルク」の例を挙げているが、炎上系ブログの人達は自分のポジションが勝ち組であることを示すためだけにブログをやっている。大学生の段階で自分が勝ち組か負け組か分かるわけはないのだが、おそらく「自分はずっと勝ち組に選ばれてきた人間で、これからもそうなのだ」ということを信じたくて仕方がないように見える。
彼らが自分を勝ち組だと考える根拠は、おそらく「相手を馬鹿呼ばわり」と「自称・大学生」にある。彼らはおそらく高校まではかなり優等生だったのではないかと思われる。優等生というのは、単に成績が良いだけではなくて、読書感想文とかもうまくこなして先生に好かれる感じの生徒(ケッ)という意味で。でもって、学校の先生(特に公立学校)というのはおそろしく価値観が偏っている。おそろしく価値観が偏った大人が多数の子供の相手をしているのが、学校という空間なのだ(だから、少人数学級制度は実は反対。40人のクラスで担任が2名の方がいい)。学級を支配する大人の価値観が、子供のクラス内の序列に影響するなんてことはよくある話である。しかし大学に来ると、自分より頭のいい人はたくさんいるし、なにより自分をちやほやしてくれる先生というのが存在しない(大学の先生はそこまでヒマではない)。自分が勝ち組であると保証してくれる根拠はいったんなくなってしまった。
戦争反対も、(悪い意味の)男尊女卑も、それ自体はみんな反対しない。ただ、どうやったら戦争をなくせるか、何をもって「平和」というか、または皇室や伝統といったものとジェンダーをどう調和させるかという各論に入ると途端に話は難しくなるし、簡単に結論が出せない。だからその問題に関心がある人はいろんな証拠を集めたり、ロジックを組み立てたり、対立意見を聞いたりして問題に対する理解を深めるわけである。しかし、「勝ち組幻想」の人達は、自分を支える絶対的な、それ自体は誰も反論しないお題目さえあれば良い。それを支えるロジックや証拠はどうでもいいし、相手が理解出来ないのは「思想が違うから」とか「馬鹿だから」で片づける。それならコメントとトラバも閉鎖すりゃいいのにと思うが、閉鎖すると称賛さえしてもらえないからダメなのか。
一応、私は教育業にも身を置いているのだが、大学での勉強、あるいは大学以降の社会に出てからの勉強というのは、どうやって知識を集め見極めるか、どのようなロジックを組み立てるか、相手の話をどのように理解するか、究極的にいうといいものと悪いものをいかに見極めるかの能力がとても重要になってくる。結論自体が問題となるわけではない。ネットの普及によって、より個人の「見極め能力」が重要になるが、やっぱり「自分の知りたいことしか知りたくない」人達てのは減りやしないどころか、それに開き直っている感じがする。




Comments
ちなみに「伊勢崎のジャンヌダルク」です。ジャンヌ・ダルクじゃありません。何か意味があるのかも知れないので、当方では使い分けてます。
Posted by: 南郷力丸 | 2006.01.22 at 11:00 PM
了解です。どうもありがとうございました。こっそり修正いたしました(笑) 確かに何か意味があるのかもしれないですね。ジャンヌダルクが名前で名字は別にあると思っているとか。
Posted by: コバヤシ | 2006.01.22 at 11:17 PM
伊勢崎で一連などを戦争しなかった。
Posted by: BlogPetのコミヤマ | 2006.01.23 at 09:36 AM
まーあえて肯定的に言うと、
「その種の人たちがある割合で存在すること」
が明らかにならないよりなったほうが良いという意味ではネットの効能ですね。
Posted by: 砂野 | 2006.01.24 at 10:57 AM
<!−−−業務連絡:タイトル変更したらトラックバックが二重になったので、古い方は削除ください。ーーー>
Posted by: 南郷力丸 | 2006.01.25 at 09:10 AM
>砂野さん
「朝日新聞投書欄」というのも「ああ、こういう人が少なからずいるのか」というサンプルですよね。いつの世にも、ある程度そういう人がいるんでしょうね。でも、昔は朝日新聞を購読している人しか知らなかったけど、今はみんなの目に触れられるという。
>南郷さん
業務連絡は了解です。
いつも面白く思うのは、立ち位置はおそらく私と違うのに、物の見方や考え方の筋道が割と似ている(のか?)ところです。
Posted by: コバヤシ | 2006.01.25 at 06:35 PM
割と似ている(のか?)と思うのは、私に説得力があるのか、怖い呪文を使っているか、コバヤシさんの中のオヤジが納得力を発揮してるのか、どれでしょう。
Posted by: 南郷力丸 | 2006.01.26 at 10:16 AM
3に一票!
Posted by: コバヤシ | 2006.01.26 at 04:17 PM