「宗家」の意味
和泉元彌問題をお笑いの文脈でだけ捉えるのは(確かにお笑いとしかいいようがないが)、「宗家」とか「伝統」の本質的な意味が捉えられなくなるので、今日はちょっと真面目にエントリを書いてみる。お笑いになってしまうのは、「プロレス参戦」という事実のせいと彼らにとっての「宗家」や「伝統」の読み違えのせいもあるのだけど。
なぜこんなに「宗家」という身分が問題になるかというと、その原因は「能楽」の特殊性にあると思う。能楽というのは、歌舞伎やその他の舞台芸能のように、「舞台に出てお客さんからお金をもらう」だけでは成立しない芸能だからである。というか、ちょっと前までは「舞台に出る」ことは収入を得るための第1手段ではなかった。以前は能楽の主な収入源は「お稽古料」であった。趣味でお稽古に来ている素人や、素人上がりのプロ志望の弟子(能楽を職業とする家出身ではないという意味です)を教える、その収入の方が大きかった。本当か嘘か分からないけど、昔は年に1回しか舞台に出ないシテ方がいたそうな。時たま舞台に出るのは、「その舞台を見た人がお弟子になってくれるように」という宣伝活動の一環だった。能楽は、歌舞伎よりも日舞にシステムが近い。日舞だって発表会があるのは、「お弟子の晴れ舞台(=お稽古料の徴収)」だけでなく「お弟子獲得」の一環である。今は方々に能楽堂があって公演も多くあるので、さすがにいまだにお稽古料だけで食べている人はいないだろうけど、仕舞や謡を習おうという素人は結構いて、その人たちにお稽古をするのも仕事の一つなのである。
で、能楽の宗家の主な役割は、お免状を与えたり、大曲を披く許可を与えたりすることである。あるお弟子がプロとなって独り立ちするかどうか決めるのは宗家なのだ。勿論、大きな流派だと宗家1人で決めるわけはなくて、重鎮も含めて決定するのであろうが、お免状に名前が載るのは宗家だ。ちなみに、狂言だと謡本の最初に宗家の名前が載っている(私が持っていたのは「十九世 和泉元秀」の名前が載っていた)。
つまり、お弟子の生殺与奪(とまで書くと大げさか)の権利を握っているのは宗家なのだ。だから和泉親子が宗家にこだわるわけである。宗家というだけで結構な収入が入るしさあ。
しかし、宗家が絶対君主かというとそんなことはない。最近も能楽の喜多流の宗家が財団を私的に使ったといって弟子から造反されてしまったらしい。更に、昔にはこんな話があった。江戸ー明治期に和泉流の家元であった山脇元賢の息子和泉元清は、能楽の動乱期にあって、家元としての権威を誇示し、流儀を統率しようとした。その結果……、
かえって反発を買い、晩年には孤立化し、後を継いだ息子も不遇なうちに三十歳でなくなってしまう。
そして和泉流はいったん家元不在になってしまったのである。
ん? どこかで聞いたことある話のような……(笑)
(このエントリの参考文献は、↓のハンドブックです。能楽についての基礎知識はまんべんなく載ってます。オススメ。)
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Comments
広い流派などを許可したかった。
Posted by: BlogPetのコミヤマ | 2005.10.23 at 05:43 PM
コミヤマさんはどこかのお家とは違って、心が広いんだね。
Posted by: コバヤシ | 2005.10.23 at 06:12 PM
なるほど。
稽古料がメインの状態はスポーツや音楽のレッスンプロみたいなものですね。スポーツの場合は草スポーツが本来の姿でプロは特殊。音楽は両方アリで踊りはアマチュアがメインか。草狂言がさかんになりうるかは
鑑賞に堪える水準も問題ですね。
中国の映画でアマチュア京劇のサークルを描いたものがあるそうで、
これは衣装を揃えて賑やかにやってれば観客も一応楽しいのかな。
Posted by: 砂野 | 2005.10.23 at 08:38 PM
楽器を習っていてそこそこうまくなってくると、その道のプロが教えてくれるじゃないですか。あれと大体同じです>能楽。江戸時代までは大名のお抱えで舞台で披露したり、名家のご子息に教えたりして保護されていて、明治以降はお稽古とお稽古のための舞台を行っていたのですね。今は古典芸能として国から保護されているので、レッスンが主になることはないと思いますが。
でも、能って結構習っている人多いんですよ。老後の道楽としては最適ですからね。やっぱり自分でやるとかっこいいし、姿勢を保ち、お腹から声を出すので健康にもよさそうです。
草狂言がさかんになるかというと、やっぱり習うのならお師匠がしっかりしている方がいいですよね。能楽堂に出られないお師匠じゃやっぱり嫌です。
Posted by: コバヤシ | 2005.10.23 at 11:09 PM
うちのコメントじゃ「まあ、素人弟子からのあがりで食ってる芸能だと、免状の関係で「宗家」の価値もあるんでしょうけどねぇ。アイに喚ばれないなら、意味ないかと。」とアッサリ書いちゃったんですけど、考えてみりゃ、能のプロというのは、歌舞伎・文楽よりも、茶の湯・生け花に近いってこと、ちゃんと書いておかなきゃ不親切ですよね。
スポーツにも、競技プロ、レッスンプロがいますが、企業お抱えってのもいますね。音楽でも、宮内庁お抱え雅楽とか京都市お抱えオーケストラとか。
だから、お抱え能楽師・狂言師も復活してもいいんじゃないかな。企業お抱え。昼頃、出勤して、午後はシゴト、夕方から社員に教える。それで、企業のイベントとかで芸を披露する。
能の家元には、実質、新興宗教のお抱えになってしまったのもいるし。
北京好日の公道口老人京劇サークルとか「戯迷」のことは、機会があれば、アマチュアの歌舞伎にからめて書きます。
Posted by: 南郷力丸 | 2005.10.24 at 02:17 AM
南郷さん、前に「ゴルフ中継と能の共通点」をエントリに書いてたじゃないですか。うまいこと言うなと思いましたよ。謡本広げて神妙な顔をしながら能を観賞している客が普通にいる舞台芸術or芸能って他にないですからね。南郷さんの中では能楽の特殊性は暗黙の前提なのでしょう。でも、今の世の中ではものすごく「ヘン」すぎて世間で(というか、能楽一般に興味のない人に)あまり理解されてないように思えます。当事者の和泉家すらよく分かってないから仕方ないか。
「お抱え狂言師」。茂山家とか野村家だと抱えてもらう必要はもはやなさそうですが、和泉を抱えたい企業ってあるかなあ(笑) 文化事業に力を入れている某酒造会社も、六本木のホールの維持にお金がかかりすぎて無理そうです。トヨタなんかどうでしょうか(笑)
Posted by: コバヤシ | 2005.10.24 at 01:49 PM
能楽が「特殊」というより、むしろ観客が収入源である歌舞伎の方が特別なのかも知れません。舞踊(日舞だけじゃなくて、バレエとかも)、箏・三味線、長唄・小唄、それにピアノだって、お稽古料とおさらい会で食ってるプロがほとんど。
バイエルンオペラなら観に行くコバヤシさんも、二期会なんか出演者に義理でもないと行かないでしょ。オペラだって能楽と同じですよね。
Posted by: 南郷力丸 | 2005.10.25 at 03:30 AM
一応、能を「演劇」とか「舞台芸術」とすると、歌舞伎やミュージカルと比べるとヘンだよなあと思ったのですが、ミュージカルも教える方で食べている人っていますね(笑) いや、教える方で食べているのが実は殆どなのでしょう。となると、歌舞伎の方が不思議ですね。時々日舞の家元も兼ねている人がいますが、それが主というわけではない。殆ど毎日歌舞伎座で上演していて客入ってますからね。
>バイエルンオペラなら観に行くコバヤシさんも、二期会なんか出演者に義理でもないと行かないでしょ。
う。確かに(笑)。あ、でも、結構二期会のファンっていますよ、とフォローしておきます(笑)
Posted by: コバヤシ | 2005.10.25 at 10:06 AM